見出し画像

般若心経を暗唱してみた

日々、いろいろなことが起こる中で、頭でごちゃごちゃと考えることが増えてきて、ここ数日間、考えることに疲れてしまっていました。

頭をチルアウトさせるために、何か良い方法はないかなぁと考えていたとき、自分が一番こころが穏やかで安心感に満たされていたときって、どんなときだったかな?と過去を振り返ってみました。

私の場合は、子供のころ。とりわけ、小学生低学年くらいまでの期間。夏休みに祖父母の家に帰り、従妹たちに囲まれて遊んでいるときが、一番安心してのびのびできていたなーと思い出すことができました。

こんな思い出を作ってくれた家族親戚には本当に感謝しています。

祖父母の家に親戚が集まるイベントのうちのひとつに、誰かの法事、というのがありました。そのときは、家にお坊さんをよんで、般若心経を唱えてもらい、そのあとに何かちょっといいお話をしてもらう。それが、なんとも今では懐かしくよい思い出になってるんですよね。その頃のことを思い出すと、とても心が穏やかになりました。

ということがきっかけで、今の自分の頭をチルアウトさせるために、般若心経(はんにゃしんぎょう)を暗唱してみました!

般若心経ってなに?

般若心経(はんにゃしんぎょう)は、大乗仏教の神髄を説いた経典です。

大乗仏教というのは、ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の分派のひとつ。自分ひとりの悟りのためではなく、すべての生けとし生けるものたちを救いたいという思想です。

当の時代、中国の僧侶であった玄奘三蔵(西遊記で登場する三蔵法師で有名ですね)が、仏典の研究のためには原点を学ぶ必要があると考え、インドへ旅立ち、多くの経典を持ち帰りました。帰国後は、持ち帰ったサンスクリット語で書かれた経典を、漢語に訳すことに捧げ、600巻ほどにまとめたと言われています。そしてその中から。大乗仏教の神髄ともいうべき部分を抜粋し、まとめ上げたのが、般若心経と言われています。

般若心経の文字数は、本文だけならわずか266文字。
経典のタイトルである〝摩訶般若波羅蜜多心経〟を加えると、276文字になります。

この短いお経に秘められた教えはなんなのか・・・?

ブッダの弟子の一人であるシャーリプトラという人に、観音菩薩が教えを説くという場面で全文が構成されており、「真実を見抜きなさい」と教えています。

原文、読み方、意味


・摩訶般若波羅蜜多心経
(まかはんにゃはらみったしんぎょう)
〝存在〟の意味を説いたお経

・観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
(かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみたじ)
観音菩薩が「自分が存在するとはどういうことなのか」という問いについて深く瞑想していたとき、


・照見五蘊皆空 度一切苦厄
(しょうけんごおんかいくう どいっさいくやく)

人間という存在は「形(身体)・受(感覚)・想(知覚)・行(意思)・識(認識)」によって成り立っているけれど、どれも実態を持たないことに気づき、この世に確固たる自分はどこにもないと悟った。そのときに、あらゆる苦しみと災いから解き放たれた。

・舎利子 色不異空 空不異色
(しゃりし しきふいくう くうふいしき)

ブッダの弟子であるシャーリプトラよ。
カタチあるものは、実態がないことと同じであり、実体がないからこそ、カタチあるものとして存在するのですよ。
それを空とよぶ。


・色即是空 空即是色

(しきそくぜくう くうそくぜしき)
カタチあるものは実体がなく、実体がないものはカタチあるものなのです。

・受想行識 亦復如是
(じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ)
そしてそれは、カタチあるものだけではなく、
人間の感覚・知覚・意思・認識などといったカタチのないものの働きでも同じことです。

物体だけでなく、精神作用にもあてはまる。すなわち、感覚・知覚・意思・認識といったあらゆる精神作用も、形こそないが、変化をするという法則のなかにある。つまり、物体である身も、精神作用である心も、どちらにも固定的な実体は存在しないということだ。


・舎利子 是諸法空相
(しゃりし ぜしょほうくうそう)
ブッダの弟子であるシャーリプトラよ、あらゆる存在には実体がないのだよ。

・不生不滅 不垢不浄 不増不減
(ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん)
すべてのものは、生じることもなければ、滅することもない。汚いとか、綺麗であることもない。増えることも、減ることもない。

・是故空中 無色 無受想行識
(ぜこくうちゅう むしき むじゅうそうぎょうしき)
すべてのものごとに、実体というのものは存在しない(=空)。感覚・知覚・意思・認識もないのです。

・無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
(むげんにびぜっしんに むしきしょうこうみそくほう)
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、心で感じた
目に映るもの、耳にした音、臭い、味わい、感触、抱く思いらも、実体として存在するものではない。

・無眼界乃至無意識界
(むげんかいないしむいしきかい)
私たちは感覚器官で周囲の世界を感じとるが、私たちが理解できる世界は、自分の感覚器官が感じとった世界であり、世界そのものを感じているわけではありません。

・無無明 亦無無明尽
(むむみょう やくむむみょうじん)
悟りに対する無知はないし、悟りに対する無知がなくなることもない。

・乃至無老死 亦無老死尽
(ないしむろうし やくむろうしじん)
ですから、老いや死というものも存在しておらず、老いや死がなくなることもない。

・無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
(むくしゅうめつどう むちやくむとく いむしょとくこ)
苦しみもなければ、苦しみを無くす方法もない。知ることもなければ、得ることもない。

・菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
(ぼだいさった えはんにゃはらみったこ)
悟りを求めるものは、彼岸に至る本日的な知慧により

・心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
(しんむけいげ むけいげこ むうくふ)
心にはなんの妨げもない。だから、恐怖も存在しない。

・遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃
(おんりいっさいてんどうむそう くぎょうねはん)
あらゆる誤った考え方を超越し離れると、どのようなことにも揺らぐことのない心の境地にいきつくのです。

・三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
(さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)
過去・現在・未来と多くの仏さまがおられ、彼岸に至る智慧をえた仏さまたちは、悟りをひらくことができたのです。

・故知 般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒
(こち はんにゃはらみった ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ)
それゆえ、存在が存在することの真実を見抜く「般若波羅蜜多」という智慧は、あらゆる人に平等にもたらされるこれ以上ない尊いものなのだ。

・能除一切苦 真実不虚
(のうじょいっさいく しんじつふこ)
あらゆる苦しみを除くのだから、苦しみから逃れようとして苦しむことなど、あるはずもない。

・故説般若波羅蜜多咒 即説咒曰
(こせつはんにゃはらみったしゅ そくせつしゅわく)
最後に、彼岸に至る、本質的な智慧に目覚める呪文
それすなわち

・羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか)※サンスクリット語:ガテーガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディースヴァーハー

往き往きて彼岸に往き、そこに到達した者こそ、さとりそのものである。幸あれ!

・般若心経
(はんにゃしんぎょう)
般若心経の教えをここに終える。


般若心経の全文

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減  是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界  無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故  菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃  三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経


音楽付き般若心経

面白いものをみつけたので貼っておきます。


ちなみに私は、お坊さん風に普通に唱えて覚えました。
このミュージックver.では唱えたことはありませんー(笑)

では、また!


この記事が参加している募集

やってみた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?