哲学にハマりかけているカエルの話

なめくじのヨハン君は日向が大の苦手。いつも「乾燥してカピカピひび割れそうだ!」と、日が差す場所を避け、池の側の鬱蒼と草が生い茂る一角にいるのです。

「こんにちは、ヨハン君。今ちょっといいかな?」

「なんだい、クラウス君?」

ヨハン君は読んでいる本を閉じて、顔を上げました。ヨハン君はいつでもこうなのです。本を絶対に手放さない。ただ、今日読んでいる本の表紙にレーニンという単語がチラッと見えたので、クラウス君はヨハン君がまた過激思想に走るのではないか、と少しヒヤッとしました。ただ、そのような感情は表に出すものではない、と心得ているので、そもそもヨハン君に会いに来た目的、「人は究極的に主観的なのか?それとも客観的なのか?」を冷静に尋ねました。「自分が考えていると認識する自分、自分が考えていると認識する自分を認識する自分・・・」きりがないじゃないか、この行き着く先はどこにあるのか?と。

「合わせ鏡みたいなもんさ」

ヨハン君は事もなげに言い放ちました。これは彼の癖なのです。

「合わせ鏡?」

クラウス君はついていけません。

「そうだよ。これは単なる例えなんだが、僕が鏡の中の僕を見る。さらに鏡の中の僕が、僕の後ろにいる鏡の中の僕を見る。これがずっと続いていくと、僕の像はどんどん小さく、ぼやけてくる。でも決してゼロにはならない。」

「それで?」

「僕はね、その先の限りなく0に近い・・・なんだっけ、物理学の用語で・・・そうだ、特異点。それをね、この世界は共有しているんだと思うよ。」

「つまり、みんな同じルーツがあるということ?でも僕たちの考え方は違うところも多いじゃないか?というか、違いの方が多いよ?」

「それは合わせ鏡だからさ。鏡は完全に平らじゃない。必ず多少なりとも、ゆがんでいるものさ。その歪みは人によって違う。だから、特異点から離れれば離れるほど、どんどん歪みが大きくなって、それぞれ違う像が鏡に現れるんだと思うよ。」

「ふーん」

なめくじのヨハン君の説明はなんとなくわかる、とクラウス君は考えました。僕の前に僕がいて、僕の後ろに僕がいて、僕の前にいる僕の後ろに僕がいて・・・ん?

「ねぇ、僕は今まで、自分が合わせ鏡の最後にいるつもりだったんだけど、よく考えれば、そんなわけないんだよね?合わせ鏡なんだから。つまり、僕の前にも後ろにも僕がいる。僕は一体誰なんだ?」

カエルのクラウス君は急に怖くなりました。自分の存在があやふやなものに、まるで風が吹けば吹き飛んでしまうタンポポの綿毛のような存在に思えたからです。「僕の本質はどこにあるんだ?」

ヨハン君はまた突き放すように言いました。

「鏡の歪みさ」

「え?」

「だから、鏡の歪みだろう?この場合。出処は一緒なんだから、個性は歪みに現れるのさ。鏡の表面の揺らぎだよ。」

クラウス君は面食らって、思わずよろけてしまいました。「歪み?僕が?単なる歪み?」今回は流石のクラウス君も衝撃が顔に出てしまっていたので、ヨハン君も「しまった!」と思い、すぐに説明します。

「そんなに悲壮的になるもんでもないさ。鏡っていうのはあくまで例えであって、歪みってのも結局アナロジーなのさ。そうだな、時代や生物的特性や言語や国といった生まれ育ち、生活する環境だな、実際のところ。」「もちろん、生まれ育った環境が全然違っても、本を読んだり、いろんなことを経験したりして、その歪みも人と似通ったりするだろうけどね。そういう意味では、歪みは制御できるとも言えるな。全部じゃないだろうけど。」

クラウス君は未だ納得せずの表情です。ヨハン君は慌てて取り繕います。

「それにさ、この宇宙だって元々は揺らぎから発生したって本で読んだことがあるぜ。銀河とかさ、重力のほんのささやかな歪みから大きくなっていったんだって。あ!そうだ。今日は夜まで雲が出ないって予報だよ。チャーリー君も誘って一緒に天の川鑑賞とでも、しゃれこもうじゃないか!」

クラウス君は、落ち込んでいたものの同意しました。魚のチャーリー君はいつでも躁状態で非常に明るい性格です。そんなチャーリー君と話すと気がまぎれるかもしれない、と考えたのです。そこで、2匹は池に向かって歩き始めました。なめくじのヨハン君の進むスピードはゆっくり。クラウス君は歩調を合わせながら、「今、とても誰かと手をつなぎたいのに、ヨハン君とそれができないのは、なかなか悲しいことだ・・・」と考えていました。


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