哲学にハマりそうなカエルの話

クラウス君は池に住む4歳のカエル。だけど、ずっと半人前だから、なかなか尻尾がとれないのです。ちゃんと沼田維盛って本名があるのですが、なぜ、クラウスだなんてドイツ人みたいな名前を名乗っているかといえば、友達である魚のチャーリー君やなめくじのヨハン君と一緒に外国にかぶれているからで、そういった意味では、結構インテリなクラウス君。何にでも興味津々、世界のあれこれを全部知りたいと願っているのです。

そんなクラウス君がある日、亀のじい様に質問があるとやってきました。亀のじい様は1万年生きて、人間にとうとう神様認定されちゃった偉い亀なのです。クラウス君としては、亀のじい様が遥か遠い昔に元々の名前をなくしてしまったのに、名前がある頃も今も、なにも変わっていないと聞いて、そのことも謎だと常々思っているけれど、今日の質問はそれじゃない。もっと気持ち悪いものだったのです。

「ねぇ、亀のじい様。『人は主観的なものだ』というでしょう?あれは本当?」

亀のじい様は、クラウス君の質問を意味を掴みかねて、もっと詳しく説明するように促しました。(長く生きているからといっても、言葉足らずの説明ではわからなかったのです。)

「僕は主観的に考えていると思う。でも、主観的に考えていると思う僕は、主観的に考えている僕とは違うようだよ。」

「主観的に考えている僕を眺める僕が僕なのかなぁ?それとも、考えている僕が僕なのかなぁ?さらにそんなこと考える僕は?これ、ずっと果てしなく続きそうで、なんだか気持ち悪いや。」

亀のじい様は答えを持ちません。それは、亀のじい様が生きているからこそなのですが、そのことをクラウス君に説明しようにも納得しないのは目に見えていました。そこで、(なにせ歳なので眠かったこともあり)、クラウス君になめくじのヨハン君と、このことを話してみることを提案しました。なめくじのヨハン君は、なめくじながら哲学マニアなのです。昔、拒食症から過激思想にハマり、その流れで哲学や宗教学を勉強しているからです。

「わかった。これは哲学なんだね。それじゃ、ヨハン君に訊いてみるよ」

素直なクラウス君は亀のじい様にお礼をいって、ヨハン君の住む日陰に向かいました。


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