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家を出ていく子供たち、母と子の物理的な距離

4月1日、県外の大学へ進学するため、娘が家を出て行った。 
彼らが生まれてこのかた、このタイミングできっと出ていくだろうな・・・ということは常々考えていたものの、いざその時が来るとなんだかとても寂しくなってしまった。

行きたい学校に行く。良い事で引っ越すんだから良い事なんだとグッと堪える。

我が家の好青年は茨城で暮らしている。娘は京都へ。私は松本。
それぞれが東・西・フォッサマグナの上、と遠く3拠点に分かれた。

本日、4月13日。
一人暮らし2週間目。
近所の桜が綺麗に咲いてきた。


近くの梓川。先日の大雨で増水していたが、今日は綺麗な流れに戻っていた。


元々私の子育てのテーマは、子供を育てる事ではなく、いかに子離れしていくか、という事であった。

子供が生まれた頃、私も親として初心者で、朝から晩までかかりっきりになってしまい、子離れできる日が来るとは思えなかった。
子離れできない親を持った子供は大変だろうな・・・という思いもあった。


我が家の好青年や娘がお腹の中にいた頃・物理的な親子の距離は0m。
まさに一心同体。

オギャーと生まれた瞬間に、その距離は約数十センチ。
抱っこやおんぶだけど、確実に離れた。

寝返りを打つようになり、距離は約1m。
ハイハイするようになると約3m。

歩き出してさらに数メートル離れた。

保育園に入園すると、保育園と職場の距離は約3km。
小学校入学で約12km。
中学・高校になると、自転車や電車でさらに遠く離れるようになった。

大学進学で松本から茨城まで約280km。
京都まで約340km。

母と子は、生まれた瞬間から少しづつ遠く遠く離れていくのだ。

まあそのうち私が年をとってポコっと死んでしまうから、物理的も何も距離は無くなってしまうのだけど。

子離れよりも親離れの方が容易いと思うので、その時が来たらなんとかなる、あるいはどうにかなるだろう。


4月1日、娘を見送るときにかけた言葉は、私の一番の願い。
「一生無事で」




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