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「とにかく」で変わるという幻想

とにかく何かやりたいんです!若者の熱意は素晴らしい。そしてその熱意を潰すなという大人もいる。いや、甘いだろうという大人もいる。どっちも正しい。ただ、世の中が求めているのは「行動」なのか、ということは冷静に考えた方がいい。

1、「社会」の課題は重たいものばかり

「世の中をなんとかしたい」というのは素晴らしい考え方だと思う。何よりも自分のことよりも、他人、社会のことを考える、奉仕の精神があるということ。それは、多くの社会の人を救うことになり、結果として、自分だけでなく、その成果という果実を沢山の人とシェアできることになるからである。

でも、この世の中の問題の多くは、すぐに動けば解決するような問題ではなく、長く、大きく、たくさんの課題を抱えたものばかりが残っている。

少子高齢化だって、2024年には、人口構成の50%以上が50歳以上となる時代に日本も突入することになる。

若者が少なくなり、高齢者が多い社会構造では、働き手が減ることから、労働力不足になり、企業の成長や拡大どころか維持さえも困難になる。そして、労働者の減少は、消費の根幹である「財布」の減少となり、消費も落ち込む。そして、社会保障を支える分母も減るわけで、高齢者にとっても年金の減額改訂や、若者も将来受け取る年金の維持が困難になる。そんな負のスパイラルが続けば、世の中はどんどんマイナスの方向にいくしかなくなる。

2,女性の社会進出、辞めますか?

単純な解決策は、たった1つ。出生率をあげて、子供の数を増やすこと。だから、行動力を伴い、社会を解決したい!という若者がいるのならば、早く結婚し、たくさん子作りをして、1世帯5人以上の子供をつくり、育てることである。

そんなことをしたら、唯一出産が可能な生物的な機能を有する女性は、若い年齢の出産可能な時期の多くを「出産と子育て」に費やさなければならないし、たとえ夫婦の協力や社会の支援があったとしても、身体と時間を強制的に当てはめなければならない以上、「女性の社会進出とやりがい」などと真逆の人生の生き方を推奨せざるを得なくなる。

仮に、社会の労働力不足を、外国人労働者や機械化、ロボット化、省力化したとしても、将来人口推計の基本は「出生数」によるのだから、もはや絶望的な未来しか残されていない。

一人でも多くの女性あるいはいま働いていて、身体的に出産が可能な女性に対し、一人ひとり説得する形で「もっと出産してください!」っていえますか?言って回れますか?もはやタブー化されていて、簡単に解決できない問題であることを薄々皆気づいてしまっている。

この解決策がいいかどうかなどわからない。もしかしたら、何か技術的か、制度的か、あるいは生物学的イノベーションによって、男性も出産可能な世界が訪れるなら、創造可能な未来ではない、解決策も出てくるだろう。それでも、この問題は「単純ではない」ということに変わりはないのです。

3、「地方をなんとかできない」

廃れていく地方をなんとかしたい。これもよく聞く話。そして、最近の話は、古民家や空き家を改築リノベーションして、若者が集える場を作って、そこに10~20人が集える環境になり、社会や人生や人間関係について車座になることで、何か行き詰まった未来が開けたような錯覚に陥る。

確かに、問題共有をする仲間がいれば、それは「共感」という名の実質的には共依存によって、何か解決がなされたような気分にはなるだろう。それでも、地方の若者の多くは、そんな小洒落た古民家ができたとしても、高校を卒業した時点で、大学や専門学校に進むには、より大きな街にいかねば、学習環境はなく、そして就職さえもままならず、地方の人口は「社会減」という形で、二十歳前後で減る。

やりたいことはひとそれぞれだし、地方特有の濃くて、境目のない、プライバシーがない世界に嫌気がさして、故郷を飛び出したい人だっているだろう。それを否定することはできないし、止める権利もない。

「なんとかしたい」というのは街の意志ではなく、「外部」や「他人」の理想ではないか。衰退することがすべて悪いかのように決めるのは、都市部の勝手な価値観かもしれない。そんな多面的な見方もしてみなければ、「地方をなんとかしたい」と「とにかく地方に行く」という行動は、果たして正しいかという疑問も湧いてくるはずだろう。

縁もゆかりもない人が、移住してくれたら嬉しいだろうけれど、これまで何人もの沢山の人が移住に失敗し、再び離れる。其の過去を知ってるからこそ、地方の人も簡単に「外」者を招き入れるようなことはせず、一線を引き、外からでは見えない内向きの関係性やコミュニティは存在している。

それは、長く築いてきた経験に基づく、「その土地」を守っていくために生み出された知恵でもあり経験でもある。

4,「時間」という価値

だから、「すぐ動く」という価値は、即応性があって、一瞬は評価されるかもしれない。けれど、社会に存在する多くの問題は、短期的なものではなく、長期的に蓄積され、重い課題ばかり。それを解決するためには、相応の理解や経験、技術が必要。

だから、大卒ですぐ行動したり、休学して人生のモラトリアムを充実する暇があれば、課題に取り組むための知恵と技術の研鑽に一秒でも多く時間を費やすのが、本当の解決策だと思う。

地方をどうにかしたいなら、その地域の政治と行政、あるいは地域経済の構造について理解し、どんなパワーバランスが働き、そしてその地域の資源を活用しながら、地域経済を成り立たせるには何が必要か。それは、かっこいいホームページを作ることでもなく、古民家を再生する建築家でもなく、政治や経済あるいは農業・工業などの技術を持って関わるほうが、具体的な解決と「事業や産業」という規模での解決策が可能になる。

1案件の目の前に生まれる熱気に狂乱してはならない。

問題解決とは、地味であり、そして、大きな石を動かすために必要なあらゆる知恵とノウハウを必要とする。だから、「何者かになる」なら、「何時間も費やした結果」でしか手に入らない、という謙虚さも必要であろうと思う。

つまみぐいばかりの人生を、大卒で10年続けたあと、「すぐ行動」で受け入れられる場は、そうそうない。そんな冷静さも兼ね備えた「考える」ことの魅力に気づけるか。

だって、地方は、そこで先祖代々、そして何十年も従事した人と一緒に「課題解決」をすることになるのだから…持ちうるものが「若さ」だけなら、それは時限的で、持続性のない武器で戦っているということ。仮にその「すぐ行動」だけで40歳、50歳も同じアプローチができるか、想像してみればいい…。

古民家1件、2件を改築することで、得られる地方の効果。
そして、
土地の再開発事業で年間120万人来訪、総事業費20億円の事業を推進することで得られる経済効果、雇用、税収、にぎわい、移住促進効果、定住持続、高齢者買い物難民対策…どっちが地方の効果として、得るものがあるか…。

地道に長い蓄積があって、できるようになったこと。一朝一夕にできたわけじゃない…。

日本と世界を飛び回った各地域の経験と、小論文全国1位の言語化力を活かし、デジタル社会への一歩を踏み出す人を応援します!