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マリオネットの考察 〜「売りもの」の宿命

その時、ショーウィンドウの外から革靴の足音が近づいてくるのが聞こえた。マリオネットはとっさに体を正面に向けて首をうなだれ、右手を上げた。
今を忘れるほど考えることはあるか。あるいは、考えることをやめた時に再び見えてくるものが生きるべき今の世界なのか。マリオネットを思考から抜け出させたのは、ショーウィンドウの外の人間であった。その日最後の骨董屋の客である初老の男は、ガラス越しに時計を指差して言った。
「主人、今日は時計を動かしているのかい。三日前までは針は止まっていたような気がするんだがね。二時間近く遅れているが、仕掛けがだめになってるんじゃないのか。それにこの操り人形は新入りだな。両手にナイフを持っているなんて恐ろしく悪趣味な持ち主がいたようだな」
どうやら男は店の常連のようであった。店主は冗談まじりに、自分でネジを回した記憶はない、操り人形が勝手に回したんじゃないかと返した。マリオネットは冷や汗をかいた。先ほど自分がしたことが露見したと思い、それよりも自分が自由になったことが知られるのがさらに恐ろしかった。また糸に繋がれて不自由になってしまうような気がしたからだ。しかしそれは杞憂であった。とっさの機転がマリオネットを救った。
店主は客を中に案内した。男が室内の売り物を見歩いているあいだ、マリオネットが劇場から売られてきた旨を話した。「ではこの店は以前にも増して街の歴史を伝える存在になったということか」と男は言ったが、しかしそれほど関心は抱かなかったようであった。男は以前から棚に置かれていた古い本を買って帰っていった。
それから一〇分ほどすると、店主も店を閉めて帰宅した。店の中の明かりは消されたが、ショーウィンドウの照明はつけられたままであった。これはマリオネットの思考が続いていくことを意味した。(それが一晩限りであるかずっと終わらないのか、彼には分からなかった)

マリオネットは賢い。彼は店というもの、あるいは商いのシステムを理解した。男は紙切れと金属のコインを取り出して、それと引き換えに本を受け取った。ここでは物が消えていく。持ち去られていく。それでもここが物で溢れかえっているということは、消えていくものと引き換えに新しいものが足されているからだろう。男は自分のことを新入りだと言ったから、自分は後者だと理解した。自分は足された存在に違いない。そして古いものとなり消えていくのだと考えた。ここにあるものは全て自分よりも昔からあって、誰かに消されることなく残ってきたということだ。
売り物にとっては、店は競争の世界といえる。早く消えていく売り物ほど魅力がある。マリオネットは先ほど売れた一冊の古本よりも魅力がなかったということだ。そもそも魅力とは何なのか。役に立つということか、為になるということか。それとも単に美しいということなのか。どうであれ自分は役に立たずで為にもならず、美しくもないと言われたような気がした。
マリオネットはガラスに映る自分の顔を見た。路上で劇場で懸命に動き回った時にできた幾つもの傷・ひび割れを隠すために真っ白に塗りたくられ、口や目の周りは赤で色づけられている。今まで劇場で会ってきたどんな人形もこんなにわざとらしい化粧をしていなかった。店の中にある木製の人形も肌色の顔に青く大きな目が描かれて、この地域の人間にそっくりな顔をしている。自分は不細工だ。マリオネットは美しさを強みにすることをすぐに諦めた。
役に立つということだけに関しては、マリオネットには自信があった。マリオネットは両手のナイフを器用に使って何でも丁寧に切ることができる。舞台の上では便箋の封を開け、野菜を切って見せたように人を助けることができる。他の売り物はものを切れない。
ものを切ることは自分の特技だ。ナイフを使ってショーウィンドウの中の売り物を切って中身を覗いてやろう。彼らの魅力の秘密を暴いてやろう。それこそが自分が自由に生きる道なのである。

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