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彫刻のじかん、はじめます
statement
つい先日のこと。
右手を頬杖にぼんやりしていて、ふと思いました。
彫刻って、いったい何なんだろう? と。
だって、彫刻という言葉には、誰しも当然のごとくなじみがある。でも、じゃあ他に彫刻について知っていることは? そう問われると、とたんにソワソワしてしまう。
えーと。ロダン。あ、「考える人」ってあるよね……。あと……
『ラオコオン 絵画と文学との限界について』 レッシング
ラオコーン像は紀元前に造られた彫像で、1506年にローマで発掘されたもの。その存在自体は、森羅万象に関心を抱き「博物誌」を著したローマの学者プリニウスがこの像についての記述を残していることから広く知られ、発見が待望されていた。
プリニウスいわく、この像こそあらゆる絵画・彫刻作品のなかで最も好まれているものであったとのこと。発掘が成るとセンセーションを巻き起こし、さっそく像を目にしたミケランジェ
「彫刻のわからなさ」 吉本隆明
ピカソらによるキュビズムは絵画史上の大冒険だったというのが大方の世評、というか史実になっているけれど、じつはちょっと違うと思う。
キュビズムは絵画ではないからだ。
ではキュビズムは何だというのか? あれは彫刻だ。
「彫刻とは、具体的な素材に則した視覚的表現ではなく、想像的な表現ということになる。視覚は一方向からしか物事をとらえられないが、想像力は多面的で綜合的な代りに、細部の再現を無視するも
この彫刻を見よ! 《火焔型土器》
これを彫刻と呼ぶべきかどうかは、彫刻の定義をもすこし固めてから考え直したいところではあるけれど、日本で生まれた造形として縄文土器を原初のものとして据えるのには、異論がないはず。なかでも、燃え上がる炎をかたどったような《火焔型土器》は、最も派手な形態としてインパクト極大だ。
こんな眼を見張る造形が生まれた縄文時代とは、改めていつごろのことを指すのかといえば、1万3千年前から2千〜3千年前あたり。
『夢十夜』 夏目漱石
夏目漱石の書くものはいつだって、出だしが鮮やかに過ぎる。
夏目漱石『夢十夜』の「第六夜」もそうで、
「運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいるという評判だから、散歩ながら行って見ると、」
と書き始めて、有無を言わさず鎌倉時代に亡くなっているはずの運慶を、一文にして蘇らせてしまう。
漱石の筆によると、運慶は山門の前で、明治時代の男たちに囲まれながら、一心不乱に像を刻み続けていたという。
様子を
戸谷成雄個展「視線体」オープン! シュウゴアーツ
「彫刻」という単語に多少なりとも関心を抱く向きには、足を運ぶこと必須と言いたくなる展示が幕を開けました。
東京六本木・シュウゴアーツでの戸谷成雄個展「視線体」。
戸谷成雄といえば長らく実作・理論の両面において、彫刻の世界を牽引してきた存在です。彼がつくり上げる形態の魅力もさることながら、作品が置かれた空間全体の空気まで変容させてしまう不思議さには、いつも驚かされ胸を打たれます。
思えば彫刻
この彫刻を見よ! 《ディエゴの胸像》 アルベルト・ジャコメッティ
発電所を改造したロンドンの美術館に佇む、ディエゴの像
かつてロンドンの美術館「テイト」といえば、現在のテイト・ブリテンのことを指しました。テムズ河畔で1897年以来の歴史を刻み、テイトの名を冠する唯一のギャラリーだったから当然です。
ところが年を追うごとに、ある問題が浮上してきました。英国美術と19世紀以降の近現代美術を扱うテイトは、このままだと増え続ける収蔵品を抱えきれず、展示スペースも不