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ACT.106『富士到達』

闇のチェックイン

 田野倉駅を降りて、相変わらずの富士急行線路沿いの暗い道をずんずんとはいかないまでもチェックイン予定のホテルに向かって歩き、マップと照らし合わせ進んでいく。
 しばらくすると、大きな旅館のような施設が見えた。
 どうやらこの場所らしい。
 建物に向かって進み、灯りの僅かなホテルのフロントに到着する。
 チェックインを早速…と思ったのだが、自分の訪問した時間が既に21時を回っていたのかカウンターには誰も居らず、一瞬の戸惑いの時間ができる。
「どうしたら…?この空間はどうすれば…?」
と思っていたところに、別の宿泊客が要件があったのかカウンターにやってきた。
 そこでようやくチェックインの手続きとなり、軽い説明と部屋の鍵を貰う。
 鍵を貰った後に今日の晩の自室となる部屋に向かう。
 階下にあるようで、地下1階であった。
 階段を進んで階下に向かうと、整然と木の扉が並んでいる。途中、大きな広間があり団体宿泊客の飲食スペースのような場所があった。自分も体験した少年期のレクリエーションでもこうした部屋に入って夕食を摂ったなとぼんやり考えて歩いていると、鍵の番号と同じ部屋を発見した。
「ここだな、てか広…」
だいぶ扉の質感からして広い部屋が待ち受けているのだろうと思った…
 その予想はキッチリと的中した。
 で、冒頭写真の部屋である。
 完全に広大な旅館の空間である。
 部屋には靴を脱ぐ為の専用の玄関もあり、宛らの大規模旅館である。
「部屋でっか…!ってかこのホテル、バブルに置いてかれたんじゃないのか??」
あまりにも声が出そうかと思うくらいの大規模な部屋。
 押し入れはあるし、テレビもしっかり完備だ。
 この部屋には5,500円で宿泊する事になった。5,500円でこの巨大な広間を占有できるなんて、中々ない体験ではないだろうか。
 しかしどうも、逆にここまでのやり取りと暗い質感のホテルの装いを感じていると…
 気が気でない怖さも感じるのであった。
 しばらく畳敷きの部屋に転んでこの日の疲れを癒す。

 部屋に入って、京都で交友している友との通話の時間を作った。
 テレビを点けて、一応の賑やかし。
 この日はTBS系列で30年以上続いた長寿番組『世界ふしぎ発見!』の通常放送終了とあってチャンネルを変えたところかなり賑わっていた。
 少しだけ自分も見てみる。
 と、そんなテレビの状況を部屋に寛いで部屋に寝転び、京都の友人とXの spaceで話す。
 この日は新たに話した東北出身の女性との会話も楽しめ、自分にとってはまた1つ交友の幅が広がった。
 部屋に関して写真を撮影する幅が多くあったのだが、僅かにしか記録がないので友人と話していた間の時間は田野倉駅構内で行き違う富士急行の列車の写真を掲載してお茶を濁しておこう。
 この日は山梨の旅路の話をして一定の思い出を振り返り、その後は自室の襖から布団を引き出して寝たのであった。
 甲府の吉野家で胃の中に沢山の白い米をおかわりして腹が満腹になったのか、何処か重い感覚は寝る最後の時間まで消えなかった。

名残で離れて

 田野倉駅周辺のホテルを出発する朝がきた。
 あまりにも宿泊した部屋が完全に1人向けとは思えない程の豪華を演出していたので、生活感の残らなかった場所に関しては撮影をして記録を残した。
 この巨大な玄関。
 宿泊しようと思えば…ではなく、部屋に人を上げようと思えば軽く数人はくだらないのではないかと思う程の広さがあった。
 さて。この玄関を抜けて朝風呂を浴びよう。
 昨夜はあまりにも胃が重たい感じが拭えず。そして歩いた疲労と列車を渡り歩いた疲労が拭えなかったので、風呂は翌朝に持ち越したのだった。
 暗がりがちな階下のフロアを歩いて、風呂に向かう。この宿に備え付けられているのは大浴場で、男性のみはこの日稼働していた。(確か女性向けは故障だったかメンテナンスだったか)
「やっぱ埃被っとるとはいえバブルやんけ…」
あまりにも年代を感じさせるものばかり、そして装備ばかり。自分はある意味で恵まれし空間に居るのかもしれない。
 階下に続いていた部屋への階段を上って1階に戻る。
 そして再びジグザグした道を移動していくと、暖簾のかかった大浴場に到着する。
 脱衣所には既に先客がいたようで、自分以外にも朝風呂に使っている宿泊の客がいたようだ。
 服を脱いで、まずは身体を洗う。
 大浴場はガラス張りにされており、温度で結露はしているものの外の景色は昨夜に安全を確認しつつ下見をした時のあの道が広がり。その先には山梨県の肥沃な山々と自然が綺麗に跳ね返していた。
 身体を洗って浴槽に浸かると、頭にある事が浮かぶ。
「そろそろ電車来るんじゃなかったかなぁ…」
時間と体力が許せば、撮影してから風呂の時間にしようと思ったのだが完全にそうした復活はできず、そのまま風呂に向かってしまった。
「いや…なんか部屋から線路向かうの面倒くさいしやめようか…」
その気持ちだけで朝は身支度に切り替えた。
 外のまだ覚めきらぬ朝の空気の中を、銀色にオレンジの帯を纏った白いマスクの電車が通過した。
 東京に向かう、JR東日本のE233系電車だ。
 山梨県の富士に見下ろされる小さな町から東京までを乗り換えなしで結ぶ、実に逞しい電車である。
「おぉぉ、本当にJR走ってんだなぁ…」
風呂の丁度良い温度に癒されながら、東京まで走るE233系に激励と感動の眼差しを送って、朝風呂は終了した。

 東京に向かう電車を宿内の浴槽で見送り、そのまま自室に帰って荷物を纏めると、自分はこの日の目的である富士急行線の乗車と撮影の為に出発した。
 広々とした部屋をチェックアウトして出ていくのは名残惜しいものがあったが、今日の時間をめい一杯楽しむには仕方ない犠牲である。
 鍵を再びフロントに返し、宿を出発して昨夜ぶり。来た道を戻って富士急行の線路沿いの道に戻った。
 まずは行きに闇夜の中で発見したセブンイレブンに入り、クリームの入ったパンとイチゴの練り込まれた食パンを買う。
 朝の時間のセブンイレブンには、多くの客が行き交い賑わっている様子だった。
 セブンイレブンを出ると、線路沿いを再び歩く。
 すると。
 踏切が鳴動した。列車の通過があるようだ。
 丁度、大月を出て河口湖に向かう列車の時間が近いようだ。
 やってきたのは、昨夜に大月にて一夜を過ごした金色の富士山が描かれた6700系であった。
 顔に関しては完全に改造205系なので、まだ反射的に『205系』と呼んでしまいそうになる。
 そのままゆっくりと山への上り坂を踏み締めるようにして去っていった。

というか田野倉は行き違い駅だから先に掲載するのはこっちだよね
 はい。そういうマヂレスは置いておきましょう。
 線路沿いの道を大月に向かって走っていく6000系電車。
 車両はかつて埼京線で活躍した205系ハエ28編成だ。平成28年頃まで活躍し、『28』の編成番号から鉄道ファンに『ハエニッパ』と親しまれた編成である。
 引退後は富士急行に転職し、沿線観光地…富士急ハイランドのトーマスランドを宣伝する『トーマスランド号』として走行している。
 沿線の観光宣伝を兼ねた特別な列車としての需要が大きいのか、各駅には時刻表に『トーマスランド号』の注意書きも残されるほどだ。
 切り拓かれた線路をゆっくり踏み締め、大月まであと一息のところを走って行った。

田野倉駅(朝)

 再び来た道を戻って、田野倉駅に帰ってきた。
 一旦、この駅から帰る道のようにして大月に行き、その後いよいよ富士急行の旅を開始である。
 まず、写真は田野倉駅の駅舎である。
 訪問した最初の時間は夜闇の中だったので撮影できなかったが朝の日差しを受けた時間として撮影できたので記録。
 何処か日本人のDNAとして、故郷に帰ったようなノスタルジーを演出している小さな駅だ。
 その後、改札に隔てられたICカードの読み取り機をタッチして列車に乗車する準備を開始した。

 改札内に入って、駅舎を違う視点から眺める。
 この日の天気はもう文句の付けようない勢いの晴天であった。雲を見た記憶があまりないくらいである。
 晴天の中に、沿線の象徴である富士山が顔を覗かせている。
 初日の身延方面の雨量規制を除外すると、今回の旅で天気に悩んだ事はあまりないのではと思う。
 さて、いよいよ本格的な旅の開始だ。

 踏切の音が山間から聞こえた。その遠い音に呼応するかのように、駅構内の踏切が鳴動する。
 田野倉は前回連載にも記したように、この駅で大月までラストスパートになった列車とこれから急坂の登山を開始する河口湖行きの列車とが行き違う沿線の大事な運行形態の要を握る駅なのである。
 特急列車は停車しないが、単線である富士急行線の安全を担う要衝だ。
 先に大月方面の列車が入線してきた。
 やってきたのは真っ赤な車体のラッピングに、スイスの鉄道の写真を施した『マッターホルン号』である。
 かつては京王から譲渡された車両で運転されていたが、現在は205系…いや、富士急6000系によって2代目の車両へと継承された。

 田野倉駅に停車する、マッターホルン号。
 この車両が今日の富士急行1発目の乗車となった。
 マッターホルン号は、側面と前面で大きく印象を変えているように思う。
 側面は205系時代からの帯色を特色のように活かしたフレッシュながらも質素な装い。
 そして前面は富士急6000系として新たに授かる事になった赤の塗装を大胆に纏いつつ、白いアクセントを配した主張と個性の強い顔である。
 この駅で河口湖に向かう列車を待機し、少しの休息である。

 しばらくすると、大月方面から河口湖ゆきの列車がやってきた。
 河口湖ゆきの列車は通常の6000系電車である。
「お待たせしました…」
の車掌の車内放送と共に、扉を閉めて列車が動き出す。
 行き違いの様子を車内から収めたかったが、今回は失策によってナシ。
 代わりに富士急行沿線の生み出した永遠のミュージシャン、志村正彦氏を掲載して大月までの短い旅路の序章としよう。
 志村氏の広告を眺めると、いよいよその膝下にやってきたのだなと感動する思い出ある。
 地元は京都で、何度志村氏の楽曲を聴き続けて勇気を貰ったか。その思いが少しづつ溢れ出してきた。
 こうして、田野倉駅を離れる。
 大月まで短い列車の旅だ。

襲来

 大月までマッターホルン号による移動でやってきた。
 短い時間であったが、車内は提携しているスイスの登山鉄道の案内や少し欧風な感じが良いアクセントに仕上がっている。
 下車した後に、記念撮影の記録を残した。
 車両は205系としての先代の形状が残っているが、こうして派手な姿に変化するともう車両としては完全に『富士急行の6000系』として第二の生活に染まった印象を受ける。
 それもそのはずで、最後の205系が富士急行にやってきてからもう5年近くが経過しているのだ。
 さて、この大月駅で再びの準備をする事になる。

 こちらが、富士急行側の大月駅。
 軽い神社のような構えが特徴的だ。
 駅の中に入らなくとも、外から列車は撮影できるようになっており、列車は街に面して停車している。
 この駅では6000系による普通列車。そして小田急RSE形を改造したフジサン特急にJR東海371系を改造した富士山ビュー特急が発着する。
 そしてこの駅での準備とは…
 フリー乗車券の購入である。
 富士急行ではフリー乗車券を購入した後に、追加料金ナシで自由席特急券の代金も付属しているお得な全線乗車券がある。
 お値段3,000円。少し高めだが、富士急行線の乗り降りで切符を購入する余計な手間を省くには丁度良いし、何よりこの天候なので沿線撮影日和だ。
 いくつかの駅を巡って行こうと思う。
 早速、改札にいる富士急行の駅員に申告する。
「すいません、フリー乗車券を…」
「フリー切符ですね、お値段3,000円になります…」
 やり取りの後に長い短冊状の切符が出てきた。
「うっわ長っ!!」
他社のフリー切符では体験したような事もない長さの乗車券がそこにはあった。
 通常なら出し入れの機会が多いものとしてスマホケース脇に入れるものだが、流石に折り畳んでもまだはみ出たので財布の中に折り畳んで収めた。
 さて、いよいよ購入したので富士急行線の移動準備は完了である。

 フリー乗車券を購入したのは良いが…
 次の普通列車の発車場所はJRホームであった。この車両に乗車するのである。
 JR側の改札に移動して、富士急行のフリー乗車券で移動していく事にする。
 駅員も手慣れたやり取りで通してくれた。
 車両は山梨県内の移動で散々の世話になった211系。信州帯のこの電車に、この旅路何度目の世話になるだろうか。
 列車は3両編成+3両編成の編成を組んでこの大月までやってきた。
 そして、この大月で3両編成と3両編成に分割する。
 写真に映っている前方の3両は、これから富士急行線に入って河口湖を目指すのだ。

 解放作業中の様子を撮影した。
 既に幌が取り外されており、片方は休息の時間まであと少しという感じである。
「おっいぃ…車内エグい人ばっか乗ってやがるなぁ…」
 解放作業中に、河口湖に向かう211系電車の車内を見て唖然としてしまった。
 金髪・白色系外国人。そして黒い肌の外国人…中にはアジア系の外国人観光客も乗車している。
 圧倒的に日本人ではない乗客の数が多いのだ。
 しかも立ち客が出るレベルである。撮影していてドン引きしかしなかった。

 列車の行き先表示。
 特に富士急行線の駅として特別な書体などは採用していない。
 しれっとJRのコマ内に挿入されているのがこの幕のまた面白い点ではないだろうか。
 国鉄の書体はかなりの落ち着きを感じる。
 あくまでも乗り入れ路線の駅だとしても、JRの一部かのように振る舞った状態だ。

 発車標の表示はこのようになっていた。
 富士山行き…の列車というのも実際響きだけでは縁の良さそうなモノだが、実際には先ほどの掲載にあるように『河口湖』の表示を列車は出している。
 富士山…はあくまでもこの駅を経由しますよという意味での挿入だろう。

 逆、英語表示。
 この英語表示がヤケに凝っていた。
 ここまで際立つフォントのLocalという表示は山梨県の移動で見たことがなく、この駅独自のものだろうか…
 そして流石に外国人利用も多いこの駅として、やはり富士山に関してはMt.Fuji表示となっている。
 流石にFUJISANとローマ字表記にはならなかったようだ。
 しれっと高尾方面に向かう列車と同じホームから発車する富士急行線行きの列車。流石に紛らわしすぎる…
 東京都心からの利便性の向上に乗っかったから今こうなっているだけではあるのだが。
 そもそも大月からの途中乗車には向いていない列車だろう。

 駅を移動し車内に到着すると、車内は予想のように大量に乗客が満載されていた。
 嗅いだことのない香水の香り。そして飛び交う自分の聞き慣れない(ある程度京都で聞いた)言語。そして長身の人々によって車内は完全に埋め尽くされた。
 中にはスーツケースを持ち込んでいる乗客もいる。あまりにもこの狭い列車内では大きすぎるし、乗客の移動の足枷になっている。
 車内に漂う香水の香りに鼻腔を向けると、中学時代の英語演習の指導をしてくださった外国人の先生を思い出す。
 様々に個性的な先生ばかりな3年間だったなぁ…なんて青春に浸っていると、列車は動き出した。
 この駅から、列車はJR中央本線→富士急行線と別の路線に入る為、渡り線を入って富士山めがけた登山の道となる。
 全国の私鉄は現在でもJRと繋がっている路線が数えるだけあるが、こうして実際に直通列車を介して移動できる路線は少ないだろう。
 立っての乗車になるので暇つぶしが欲しいと前の景色でこの渡り線侵入を見届けた。
 しかし乗客が隅々まで押し込まれている車内ではこの写真を撮影する事すらままならない。

 列車に『ガクンっ!!』という衝撃が入る。
 富士急行への渡り線に本格的に入ったのだ。
 キュいいっ、キュいいっと軋みそして呻くようなサウンドを奏でて列車は富士急行線への渡り線に乗った。
 だが…光景だけは感じたものの実際に車掌からの放送が入っているわけではないのでどうも富士急行線に本格的に乗車した実感が湧かない。
 車内放送がヤケに小さいなぁ…と思いつつ、揺れから立て直した自分は手摺を持ち、富士急行線へ再び戻った。

 ここまでやってくると完全にJRではない。
 富士急行線の区間である。
 振動に足腰を必死に根のように据え、なんとか撮影できた記録だ。
 かつてはこの渡り線のおかげで、幾多のJRから設定された臨時列車や団体列車が富士登山の乗客や富士観光の乗客を乗せてこの路線にやってきた。
 渡り線を華やかなジョイフルトレインたちによる団体・臨時列車が走行する事はもうなくなったが現在でもこの渡り線を活用し、東京都心からの定期列車が走行している。
 かつての風習は現在にも引き継がれ、今日の主力車両たちが富士急行線へと乗り入れる道としての役目を現在に残している。

登坂する電車

 列車はJRから会社を跨いで富士急行線に入線すると、すぐに登山鉄道としての線形を叩き込まれるのかすぐに上り坂に挑んで行く事になる。
 富士山が何度も見えるのは勿論の事、富士急行線の路線上の主戦場、都留市に入るとあるものが見えるのだった。
 それがこの高速道路のような建造物である。
 これはあの知事によって開業の延期などの惨禍となった山梨リニア実験線である。
 山梨県ではこのリニア実験線が1つの観光名所のようなものになっており、高速鉄道の新たな可能性などを語る1つの施設として稼働しているのである。
 高速走行しているリニア新幹線の試験車両を見る事は実際できないが、都留市の実験施設からはリニア新幹線の走行する姿を見る事ができ、超伝導で浮遊する鉄道を垣間見る事ができるのである。
 事前予習によって知った場所であったが、こうして見てみると山梨を貫き走行している事がよくわかる1幕であった。

 登山鉄道として、富士山めがけて走行するような路線の形状となっている富士急行。
 富士山の姿は至る所で車窓に目にする。
 自分の近くにいた乗客も、車窓に富士山が見えるや否やすぐに写真を撮影し、特別な時間を楽しんでいた。
 そして。
 やはりこの列車には登山客も乗車していた。
 沿線の山々は東京都心にも近く、気軽に散策が出来るので愛好家には好評の場所である。
 ちなみにどの山に向かうのか…を登山客に質問したところ、都留アルプスに向かうと話していた。
 登山客は2人組であり、途中の都留市で降りていった。
 仲良く話していた登山客の会話は全て関東訛りであり、自分の『京都出身』の肩書きは完全に浮いてしまう。
 いや…最もな話。
 日本人である事がこの車内では浮いていると思う…

 大月から乗車した211系電車は、登山客を各駅で少しづつ下ろし。
 そして多くの富士に憧れた外国人観光客を乗せて登山の道に挑んでいく。
 車掌の声があまりにも小さくて聞こえないので、前面展望をして見える駅の駅名標が自分の下車のヒントになる。
 そうして、ようやく自分の目的の駅に到着した。
 この駅で下車したのである。

 下車したのは、富士急行線でも登山の聖地として親しまれ、そして列車の行き違いも可能な三つ峠駅である。
 ホームの上屋は木造建築のようで、列車と一緒に年季の入った姿が特徴的だ。
 駅に窓口は配置されているが、駅員はいない。
 この駅で列車の行き違いを実施した。
 大月方面の線路には構内踏切が架けられている。

 行き違いを実施した列車は、富士急ハイランドのアトラクション…NARUTO木ノ葉隠れの里ラッピングの6700系であった。
 車両自体に関しては後に何度も遭遇する事になるのだが、この三つ峠の駅ではJRの211系電車と並んでいる様子の記録をした。
 NARUTOのラッピングの車両が唐突に見えた事もあって、外国人観光客…に日本人の観光乗客から歓声が上がる。
「え?待ってアレ帰り乗りたいよね??」
「NARUTOじゃん…!」
とのチヤホヤした眼差しを受けて、現在の205系電車の生涯は彩られているようだ。

三つ峠から始まる道

 偶然の一致だろうか。
 駅名標の色彩と211系電車の帯がこうして似合うシチュエーションを迎えるとは。
 富士急ハイランドのアトラクション(施設なのだろうか)、トーマスランドに因んで、富士急行の沿線駅名標は全てキャラクター『きかんしゃトーマス』の仲間たちが描かれている。
 三つ峠はスペンサーであった。
 スペンサーは公爵夫妻の専用列車を牽引する蒸気機関車で、そのモデルには世界一速い蒸気機関車と名高いイギリスの『マラード号』がモデルになっていると言われている。
 列車を下車し、いよいよこの駅から本格的なフリー乗車券の旅が始まる。
 富士山はすぐそこ。どのような彩りの旅が始まるだろうか。

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