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20年後の「はたらく」を描く「社会関係資本を紡ぐ」シェアオフィスとは

こんにちは、たか(Takayoshi)と申します。現在、ソーシャルデザインパートナーズ株式会社(SDP:Social Design Partners)の代表取締役を務めるほか、東京工業大学の特任准教授として活動しています。

本日、1年以上にわたり企画や事業構想を並走させて頂いてきた「清水荘」プロジェクトにつき、無事プレスリリースを発信することができました。

プレスリリースでは施設ご紹介に留めていますが、ここではもう少し私の主観に基づき、清水荘がなぜ「20年後」を見据えたオフィスの在り方であり、社会にとって必要な場だと考えているのかをご案内できればと思います。


そもそも「オフィス」ってなんだ?

「オフィスとは何か」と問われれば、仕事をする場所、と答えるかと思います。何をいまさら?と思われると思いますが、私はこの前提から疑っています。

オフィス、例えば本社等の事務所は、事業を執り行うための空間であり、当然ながら経済活動を生み出す拠点となります。そのため、オフィスはその「経済活動」が効率的、効果的に生み出される空間でなくてはなりません。発射台が「仕事をする場所」である以上、ここは疑いの余地がないのです。結果的にオフィスは、機能面が重視される形でターミナル駅や大型ビルが選好されるようになりますし、立派なオフィスほどその業績を示すかのような一種のステータスにも繋がります。

こうした「経済活動」を主軸にした効率化モデルは何もオフィスに限ったことではなく、資本主義の中では当たり前に加速していきました。効率化を図るうえで、オフィスは町から切り離されていき、オフィス街という新たな集積地を生み出してきたのです。

オフィスは「学校みたいなもの」

10年程前の私がまだ投資銀行に勤めていたころ、ある日系アメリカ人の同僚がいました。彼は確か部門横断で英訳業務を受け持つ業務委託だったかと思いますが、出社義務がないにも関わらず普段から会社にいるので、私たちの中では陽気な同僚として接していました。

業務上、どこでも仕事ができるとあって彼の出勤時間もバラバラだったのですが、ある日の夜、19時頃に出勤してきたことがありました。私目線ではもはや意味が分からず、なぜわざわざ出勤してきたのかを尋ねたのですが、その時の答えが

「会社って学校みたいなもんじゃん?行けば友達がいるから楽しいんだよ」

とのこと。アメリカ出身の彼は、学校も発砲事件もあるような地域と聞いていただけに「逆にアメリカの学校は一体どんなだったんだ??」と思いつつ、その時は深く考えずに勝手に解釈していました。

「はたらく」≠「経済活動」

やがて私が独立してから、働くとは何なのか、を考える機会が増えました。その中で私が好きな概念が「はたらく」です。江戸しぐさ(口伝で伝えられてきたとされる江戸時代の行動哲学)では、「はたらく」は「傍(はた)を楽(らく)にする」ことと解釈されています。「はたらく」の例として良く説明されるのが「朝飯前」です。彼らは、朝食前に地域を回りながらボランティア活動に励み、お困りごとや故障箇所に対処します。これを「朝飯前」と呼んでいたわけです。

つまり、はたらくというのは、経済活動を行うことではなく、地域社会をよりよくする活動なのだという前提があり、それに伴って金銭を媒介とする経済が生まれている、といった順序で捉えられます。はたらくは、経済活動だけでなく地域活動全般を含む、より広義なものだったのです。

金融機関にいた当時の私は、あまりにも業務が専門的であり、到底だれか周りの「傍を楽に」している感覚等これっぽっちも感じませんでした。その跳ね返りなのか、今はそうした働き方に近づきたいし、そうした社会になればと願ってもいます。

しかし、経済活動を効率的に回すことに特化された空間は、そもそも楽にすべき「傍」が存在しません。会社を通じて間接的に社会をよくするといった考えは間違っていませんが、それを自分事と感じ取るには距離感が大きいように思えます。私たちが感じられる社会の限度は、地域レベルではないかと個人的に思っています。

私は「働くためのオフィス」は世の中に溢れているけど、「はたらくためのオフィス」は存在しないな、と感じてきました。地域に溶け込み、自分の活動が誰かの傍を楽にしていると実感が持てる職場、これこそが「はたらくためのオフィス」ではないかと考えており、清水荘を構想していくにあたってのビジョンの原型となりました。


オフィスが目指す「原点回帰」

従来のオフィスが無くなるとも廃れるとも思ってはいません。ただ、どの業界であれ「箱の外で考える」が当たり前となってきている中、オフィスの本質的な価値にメスが入り、清水荘のような考え方が広まっていくのではないか、と根拠なく信じています。

コミュニティ経済とは

社会概念に「コミュニティ経済」というものがあります。以下、抜粋となりますが、簡単に言えば「コミュニティと経済を切り離したら、儲かるけどしんどかったから、もう一回つなげてみよう」という考え方です。

もともと「コミュニティ」と「経済」の両者は相互に結びついていたが、近代社会以降、市場経済の拡大ないし資本主義的システムの展開の中で互いに切り離されていき、そこから様々な問題が派生していった。こうした「コミュニティ」と「経済」を現代社会の新たなニーズに合わせて再び結びつけ、ローカルな地域を出発点にヒト・モノ・カネがうまく循環し、そこにコミュニティ的な紐帯や雇用も生まれ、かつまた若者や高齢者など様々な世代が包摂されるような地域・社会を構築していくということ

出所:広井良典「コミュニティ経済に関する調査研究」全労済協会公募研究シリーズ49

わかりやすい例として、昔の商店街は「はたらく人」と「地域の人」はニアリーイコールでした。サザエさんの世界が近いかもしれません。しかしながら、労働を「効率的に」回すため、職種で取りまとめ、規模の経済を取りに行くのが資本主義の戦い方であり、仕事は大手町やら渋谷へ行き、買い物はイオンへ行く、の構図が都心部中心に当たり前のものとなりました。

商店街はもともと、地域の子供にとって就労の疑似体験の場であり、貴重な社会勉強の場でもありました。地域コミュニティが生み出すリアルキッザニアです。そうした場が失われ、私たちはどんどん「はたらく」を通じた地域コミュニティが過去の産物と化してしまったわけです。

コミュニティ経済を回す「はたらく」場は?

こうして地域に密着した「はたらく」場は失われていったのですが、私がこう申し上げると「商店街を復活させよう!」という議論になりかねません。ですが、古き良きを復活させよう、は無謀です。何かしらの理由で資本主義をベースとした社会構造が抜本的に変われば別ですが、そうでない限り、少なくとも経済面で持続可能ではない確率が高いです。

ただ、個人的な見解として、ようやく「コミュニティ経済を成り立たせる土壌が整ってきた」時代背景があり、論語と算盤を満たす方法が見えてきたように思えます。

コミュニティ経済をベースにした働き方は、ローカルとグローバルの双方を兼ね備えた事業モデルが好ましいと考えています。一つの事業が、地域と世界、両方に接点を持てる形だと一番理解しやすい(例えばD2Cビジネスで地域にも密着している等)ものの、弊社含めてto Bビジネスを展開している人は、別途to Cビジネスで地域と接点を持つようなイメージです。

ただし、肝心なのはその両輪が「バラバラ」ではなく「一つの軸で」つながり回っている状態です。ローカルがあるからグローバルに展開できるし、グローバルな事業があるからローカルによりよい効果を波及できる。そういった相互関係を生み出せる働き方を自然と促せるオフィスが、次世代型オフィスのあるべき姿の一つではないかと思います。

イメージ、サザエさんの商店街の地域密着性を持ちながら、日本社会や世界に目を向けた仕事を生み出す場。これが求められる「はたらく」ためのオフィスではないかと考えています。

コミュニティ経済の構造
(出所:広井良典「コミュニティ経済に関する調査研究」全労済協会公募研究シリーズ49)


社会関係資本を紡ぐオフィス

ざっくり、清水荘の特徴をかいつまむと、以下の5点に集約されます。

  • 千駄木にある築50年超のアパートをシェアオフィスとしてリノベーション

  • オフィスの半分が「エンガワ」と呼ばれる、地域に開けた商業区画

  • テナントとオーナーによる自律組織「円卓会議」が施設を運営

  • 各テナント同士、事業共創を目指したアライアンス関係を構築

  • 入居者属性を絞り、社会課題等に関心の強い人や法人がターゲット

このように書くと、どれか1つだけでもきっと独自性のある施設なんだと思いますし、傍から見れば「色んな要素を混ぜ込みすぎ」とも見えるかもしれません。ただ、私の中では、これら5つの要素は全てが繋がっていて、清水荘の目指す世界を一言でいうと、「社会関係資本を紡ぐ」シェアオフィスだと思っています。

社会関係資本とオフィスの関係

社会関係資本とは、一般的には社会や地域における関係性や信頼性といった目に見えない資源を指します。ただ、この資源は定量化が難しく概念的な側面もあるため、普段生活する中で資源として認識される機会は少ないかもしれません。その比較としてよく挙げられるものは「金融資本」や「物的資本」と呼ばれるものでしょう。一言でいえば金銭的価値を指します。

最初に私が投げかけた「そもそもオフィスってなんだ?」に対し、経済活動を執り行う空間という答えを持つなら、それは金融資本を積み上げるための機能と定義されます。一方清水荘は、社会関係資本を積み上げていく場と考えています。社会関係資本を積みあげる方法は「はたらく」を通じたものとなり、私たちは「はたらく」ことで地域の一員として繋がりあいます。

地域密着というと、ある種のボランティア的側面や非経済的な印象が強いと思いますが、この繋がるという行為は、社会にイノベーションを起こす仕組みと相性が良いと私は考えています。逆に言えば、近年これだけバズワードとして「オープンイノベーション」や「共創」と謳われながらも、なんちゃってで中々進まない背景にも通ずると考えます。

イノベーションの土壌

一社単体で社会にイノベーションを起こすというのが難しい時代になってきています。そこで、オープンイノベーションや共創といった概念が使われるようになりました。

大企業同士であれば、多大なアセットを双方に有しており、それらを出し合うことで新しいことが生まれる可能性がありますが、持たざるもののベンチャー同士だとそうもいきません。かといって、受発注の関係では、対等な立場で価値創出を図るのも難しい場面が多いでしょうし、リスクも偏ります。

結局、どんな事業であれ、人と大きなプロジェクトを生み出すのであれば共創関係を築かなくてはなりませんが、何もない状態からそういった関係を築くのは並大抵のことではありません。どんなに「コワーキング」したり「シェア」オフィスにいても、小さい受発注こそ生まようとも、そこから先のイノベーションがそこから生まれにくいのはそのためです。

海外事情は知りませんが、少なくとも私たちは、身内でない人への警戒心は強いです。ましてやリスクを張って命を預けうるようなことをするなんて、どんなに契約書で縛ろうとも限界があります。逆の言い方をすれば、イノベーションを生むには、それに先立っての身内的な信頼関係がベースになくてはなりません。

清水荘は「同じ屋根の下」で活動を共にする仕組みが整っており、共創を生み出す土壌を育てられると考えています。

Think Globally, Act Locally

また清水荘の特徴の1つに、何かしら地域密着事業を行う「エンガワ」という機能を有することを掲げています。飲食店でもマッサージ屋でも、なんでも構いません。地域にとって、傍を楽にする、何かを持っていることが重要です。

当然、地域活動を通じて、その事業単体で収益を上げることは想定すべきですし、前述のような横同士の関係構築を通じたイノベーション基盤といった狙いもあります。そこに加えて、このローカルの事業展開というのが「傍」に近しい領域であるからこそ、グローバルな事業展開を想定した際に具体的な顔が浮かぶ、といったことも、事業を展開するうえで重要な観点です。

これは私に限らずですが、こんな社会にしていきたいとビジョンやミッションを遠くに打つ時ほど、それが身近な人で実現している場面が思い浮かべられていないようなことがあります。ですが、社会は必ず繋がっていて、その先に地域や家族が含まれていくため、両者を切り離すべきではありません。大半の事業は、どんなにグローバルな事業を描いても、地域密着のコミュニティと何かしら接続されていくのです。俗にいう、Think Globally, Act Locallyを具現化する場と言っていいかもしれません。


20年後の未来を描く

清水荘は1つの実証実験でもあり、今後のオフィスや「はたらく」のあり方を占う試金石になるのではないかと考えています。なので、敢えてターゲットのペルソナは絞りつつ、ビジョンに共感する人へと入居頂きたいと思っています。かくいう私も101のテナントとして4月に入居予定です。ちなみにエンガワではブルワリー構想を描いています、皆でわいわいビールを飲めたらいいな。

清水荘が成功事例となるのはもちろんのこと、このモデルを日本全体へと広げていきたいと思っていますし、その時に必ず仲間が必要です。その仲間こそ、清水荘の一員であってほしいと思っています。これこそが清水荘の掲げる共創モデルの考え方です。

そしてこうした考え方が普及していき、やがて20年後には普通になっていればと願っています。20年後は、世代が一巡し、今の子供たちが大人になる頃です。今の社会が内包している様々な社会課題を、そっくりそのまま次世代にバトンを渡してしまうのはあまりに不本意です。

私が独立したのは、広告代理店に勤めていた女性が過労自殺し社会問題となった時期でした。かくいう私も、投資銀行時代は最も忙しいとされていた部署に、急逝された方の欠員分を補うかのように配属され、そして私自身もドクターストップがかかるまで仕事に打ち込んでいました。働くって何なんだろうな、ということに敏感なのは、そうした背景があるからだと思います。

人は労働に対して、人生の大半の時間を割きますし、その活動が誰かの傍を楽にしていると思えないのは、圧倒的に不幸です。20年後、私たちの労働に対する価値観が化石となって、新しい世代が当たり前のように傍を楽にする世の中になる未来を、ここ清水荘で描いていければと思っています。

20年後、今の子供たちが「行けば友達がいるから楽しいんだよ」と言ってくれるような、そんな未来を描いていきたいと思います。



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