同じ場所を再訪するのが好きだ。自分の変化を感じられるから(海へ行こうの巻)

また海へ行ってきました。

ここへは今までに7~8回ほど行っていて、近すぎず遠すぎない絶妙な距離にあるので、自分の人生の精神的なマイルストーンのような役割を果たしています。

あの時はこういうことを考えていて、ああいうことをこの場で感じていたけど、1年くらい経ってから行くとまた違っていた、ああ……(しみじみ)みたいな。


場所は、前に珍しく写真を投稿したときの波打ち際に地球の鼓動【海と公園】 と同じところに行きました。

前回から2か月ほどの期間を置いたわけですが、今回は写真ではなく言葉にしてみたいと思います。


まず毎回思うのは、波打ち際で水面に手をかざしてその満ち引きの水圧を感じていると、「地球の鼓動だなあ」と思います。これは変わらない部分ですね。


今回はそれに加え、天気が良かったので、青空に浮かぶ雲を眺めていると、ゆっくりと動いていて、「これも地球だなあ」と思いました。しみじみ


あんま関係ないけど、平沢進の曲で「地球ネコ」ってタイトルのあるよね。センスすごすぎでしょ。二つの単語の組み合わせでここまでセンスの良さを感じさせられることってなかなかないと思う。曲もいいぞ。


……そして話を戻すと、この場所の全体が、穏やかな日々をつづった古い映画みたいだなあと思いました。

その海には、子どもの元気な声もあれば、老夫婦の静かな眼差しもあれば、自分と同じように一人で散策している人もいて、それら全てを大いなる海と空が悠久の風で優しく包み込んでいる空間で。


――いつもはILL、でも今日はCHILL、みたいなありふれた韻も踏んでみる

海と空の一面の青を感じながら、そんなことが思い浮かんできた。


……さらにこれは前に来たときも思ったんですけど、自意識ってコンクリートに反射されるような気がするんですよね。

窮屈なビルの一室みたいなところにいるのと、何も遮るものがない天然の空間とでは精神風土も圧倒的に変わってくる気がします。

人間は身体的な影響を思ったより大きく受ける生き物だと思っていて、自分の身を置く場所をマネジメントしていかないと、無意識的なひずみが生じ、意に反する悪い行動を取ってしまうと考えています。


……他にも自分の心の動きだけでなく、建築デザイン的にもストーリー性を感じました。海までの道のりとか、視界が開けてくるパノラマとか。いい感じ。


……なんか自分、細かいことばかり気にしていつも怒っている人みたいに思われてるかもしれないけど(確かにnoteにはそういう話が多め)、穏やかにも楽しくも過ごしてますよ。

仲の良い人(少ないけど)に怒ることってめったにないし、なるべくお互いを理解しつつ尊重しつつ、楽しく優しい時間を過ごそうとしてます。

……色んな場所で、色んな顔がある。見せ方が難しいな。


関連(前回同じ場所を訪れたときの写真note):波打ち際に地球の鼓動【海と公園】

(その続き → インスタグラムで自分が撮った写真を海外へ発信して楽しかった話


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頂いたサポートは無駄遣いします。 修学旅行先で買って、以後ほこりをかぶっている木刀くらいのものに使いたい。でもその木刀を3年くらい経ってから夜の公園で素振りしてみたい。そしたらまた詩が生まれそうだ。 ツイッター → https://twitter.com/sdw_konoha