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自分の脳みその自然なはたらきと、ユニークなことを書く難しさ(月並みになってしまう!)

私はたぶん「書く力」よりも「読む力」のほうが高いので、この「ユニークなことを書く難しさ」というタイトルが我ながらまずつまらなさそうだな、と思ってしまう。しかも内容がイメージしにくい。

だから(月並みになってしまう!)と付け足したけど、それでもやっぱりイマイチだなあ、でも少しは気持ちを表現しているからまあいいか、と思いながら今この冒頭部分を書いている。

やっぱり自分は本質的に批評家タイプなんだと思う。

この文章を書きながらも、「書く」よりも「読む」にどんどん意識のウェイトが傾きすぎていってしまう。そういう精神の自然な動力がある。それを努力して「書く」ほうに戻すことが必要になる。


「書く」ことだけでなく、日常的な多くの行動についても、「行動している自分」と「それを一歩引いた視点から見ている自分」がいつも頭の中にいる。

よく言えば冷静に状況を理解しようとしている、悪く言えばなかなか夢中になれない、熱くなれない。

あと自分気持ち悪いなってよく思う。でも気持ち悪さをなるべく減らしていくと、今度はつまらないチキン野郎だなって思う。


(ここまで書いて、前置きが長くなったのでタイトルの頭に「自分の脳みその自然なはたらきと、」を付け加えました)


具体的なものと抽象的なもの

さらに「具体」よりも「抽象」のほうが得意なので、どんどん具体的な物事よりも、その背後にある抽象的な関係についてフォーカスするような動力が働いている。

意識せずに楽に書くと、どんどん具体的な情報が文章中から消えていく。消そうとしているのではなく、意識して入れなければ自然には入ってないという脳みその構造になっている。
前もこういう話書いたな今日見た印象的な夢と、そこからふと気づいた人生と傷の示唆について


これは悪いことではないので、活かせるようにしていきたい。でも、悪い方に出ることもある。良い方に出ることもある。


ユニークなことを書く難しさ、それを「すくい上げる力」

最近はどこか調子が出ずなにか書こうと思っても、月並みなことしか書けずに、書いては消し・書いては消しを繰り返している。その断片はツイッターに放流している。


noteをよく見ている方ならわかると思うんだけど、(うまい言い回しが見つからず失礼な言い方だけど)「なんか同じようなことを書いている人が多いな(見飽きたな)」って思うことありませんか。


でも本当は、そういう書き手(自分も含む)の人生の中にユニークなものがもっとあるはずだと思う。

要はユニークなものを「すくい上げる力」の問題で、多くの人が「いつもどおり、特筆することはない」と流してしまう状況の中にも、実は何かがあるのかもしれないと思う。

(あるいは、ユニークさを感じ取っていても、それをどういう言葉で表すかという文章力の問題でもあると思う。ここらへんは密接な関係がありそう)


そして「すくい上げる力」を発動させるのにも、精神的なエネルギーや余裕が必要だ。

最近の自分にはそういうエネルギーとか、集中力が散漫になっているなと思ったので、それについてだけでもここに書いておいた。


裏テーマ:最近は投稿頻度が下がり、一回の投稿が長文になっていたので意識して短めに収めました)

頂いたサポートは無駄遣いします。 修学旅行先で買って、以後ほこりをかぶっている木刀くらいのものに使いたい。でもその木刀を3年くらい経ってから夜の公園で素振りしてみたい。そしたらまた詩が生まれそうだ。 ツイッター → https://twitter.com/sdw_konoha