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高齢者は若年者の延長線上

今週1投稿目は、最近多い高齢者による交通事故のニュースに感じたことについて書いてみます。


悪いのは当事者?車?

高齢者による交通事故ニュースに対する世間の反応の中で、事故の原因と言われているのが大きく分けて2つありました。

事故を起こした際の乗用車にプリウスが多いことから、プリウスに問題があるという意見と、当事者の判断力の低下に問題があったという2つです。

しかし、プリウスでも事故を起こさない人の方が多いし、そもそも車の種類は他にもたくさんあり、購入の際は吟味して選んだはずです。

よって事故についてプリウスの構造や、難しいと言われる操作に問題があるのではなく、それでも乗れると判断した当人のミスと言えるでしょう。

しかし、これは本当に当人だけが悪いのでしょうか?



免許を返納すれば済む問題ではない

池袋の事故を機に、高齢者への返納の呼びかけの声が強くなりました。

実際に返納数も増えたそうですが、まだ返納を渋る人の多い気がします。

理由には自分はまだ大丈夫という自信や、親の世話のため、買い物などの生活上のため、仕事の通勤のため等があるようです。

プライドや運転への自信については後で考えるとして、まずは生活上での車の必要性について考えてみます。


車がなくても公共交通機関を使えば良いという意見がありますが、本当に高齢者が公共交通機関で生活できるのでしょうか。

私はまだ免許を持っていないので、車を持たない生活をしています。

その中で感じるのは、交通機関の不便さです。

田舎になればなるほど本数は少なくなり、駅やバス停の場所も移動距離が長く、そこに天候という問題も加わります。

そんな環境を、親を世話しながら、また買い物の荷物を持ちながら行動できるでしょうか?


また、年々、年金だけでの生活は厳しくなっていることもあり、定年は今や65歳が普通で、その後も特別雇用によって働く方も多くなっています。

しかし体力は年と共に低下していく中で、通勤時間中、電車で立っていられるでしょうか?

6人がけには5人がけしか座れないのが普通、優先座席にはヘルプマークやマタニティマークをつけていても座れないことが多い、時間帯によっては満員電車でつり革も持てず自分で踏ん張らなければいけない…

これが現実です。


瞬間的解決よりも長期的解決を

「高齢者だから判断力、瞬発力、認知力、体力が低下している」

そこまで私たち若者は分かっているはずなのに、高齢者への詐欺や孤独死が減らないのは何故なのでしょうか。

詐欺や痴呆による行方不明、孤独死に対しては「高齢者だから仕方ない」と言うのに、死亡事故については「高齢者だから判断力が落ちているのに、運転したから事故が起きた」と言うのはあまりに身勝手に思います。

私たちが両親や祖父母の面倒を丸々見ることはできませんが、気にかけることはでき、それが家族に留まらず、近所や町と繋がりが大きくなればなるほど一人一人の負担は減るはずです。

サザエさんやちびまる子ちゃんの世界が良い例でしょう。

また、誰しも歳をとり、いつかは高齢者と呼ばれるようになります。

私たちが今すべきことは、高齢者への批判や同情ではなく、根本的な問題点やその原因を見抜き、先輩とも言える高齢者の声を聞き、自分たちが同じ高齢者になった時に同じ過ちを繰り返さないように社会を改善していくことだと思います。

「高齢者が子どもの未来を奪ってはいけない」のではなく「誰もが他人の命を奪うことのない社会」を作らなければいけないと感じました。


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