未来に「歴史」はあるか?【未来のIF SHORT STORY②】
これはずいぶん先の未来か、はたまた目の前の未来か-
高校生のRは、家の空間ディスプレイで祖母と話していた。
空間ディスプレイは文字通り、物を介さず空間をモニターとして反射させるものだ。
「おばあちゃん、久しぶり」
「久しぶりだね。高校はどうだい?」
「楽しいよ、今はVRで自分の行きたい国に行って、その国の学生とイベントの企画とか立ててるんだ」
「それは面白そうね、物理的距離も感じなくなってきたわ」
「そうそう、距離考えなくていいのは便利!
そういえば、おばあちゃんが好きな授業って何だったの?」
「わたしは歴史だったよ。過去の人物がどう生きたのかとかにロマンを感じていたね」
「歴史?何それ、カリキュラムにないよ?」
Rはその時の祖母の顔は忘れられないと思った。
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あらゆるモノからデータを取得できる時代
精密正確な予測によって最適化が進んだ社会
そこでは、過去に立ち戻ってなにか教訓を得る必要はなくなっていた。
なぜなら、失敗や挫折は予測によって回避できるからだ。
過去の失敗はすべてデータに取り込まれ、二度と同じことが起きないように最適化されたアクションがはじき出される。
また、知識がすべてアーカイブ化されるようになった。
他人の考えを知りたければ、データベースにもぐれば良い。
3Dホログラフィックで哲人や歴史上の人物と話せるようなアプリもある。
大けがしても、再生医療で大体は完治するし、体内にセンサが入っており、身体の不調を感知して、パーソナライズ化された薬を投薬することができる。
人間関係によるストレスも、ストレスを可視化するアプリがあり、それをみて自分がストレスを感じる状況を特定でき、それに合わせた解決策をAIが自動で教えてくれる。
「歴史」を学ぶ動機の1つとして、何か挫折したときや行き止まったときに、偉人はどのように向き合ったのだろうか、などと考えることがあげられる。
だが、挫折自体がなくなりつつある世界では「歴史」の必要性は低くなる。
これらが重なり合って、学校で学ぶ内容も大きく変わっていったのだ。
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「そうなんだね、時代が変われば学ぶことも変わるのだね。それは良いことだと思うし、技術が発達して、私たちは創造的活動に注力することができるわ。「歴史」が失われていくのもやむを得ない結果なのかもしれないね」
Rは寂しげな表情を見せる祖母に、何を言おうかと迷った。
「確かにカリキュラムはどんどん変わってる。不変の教科なんてないかもしれない。だけど学びたいことを学べる自由はあるよ。おばあちゃんのいう「歴史」がどういうものなのか、ライブラリをみればデータが残っているかもしれない」
祖母の深くなってきたしわがくしゃっとなった。
「ありがとうよ。Rは自分が好きなことを学んでいけば良いわ。学びたいことを学べる自由は歴史上でも珍しいことだよ。今は何に興味があるのかな?」
「うん!えっとね、今はー」
ー完ー
※これはフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。