心ときめく読書のために。
読書は枷ではありません。
中世の修道院で鎖につながれていた本ではありません。
どんどんベストセラーを冠する本が並べられて、新書があらゆる広告で宣伝される時代です。
読書を通した知識取得へのハードルは格段に低くなっている。
電子書籍もあってKindleなら一定の料金を払えばそれ以上のリターンを得られる。
だけど、時々問う必要があると思います。
質のいい読書が出来ているか?
今後の人生に影響を与えるような本に向き合えているか?
読んでいるときには頭がすっきりしているか?
読み終わった後に「ほうっ」と息をつけるような読書が出来ているか?
どんどん次のアイデアが出てくるか?
ただ早送りして視る動画のように読み飛ばしたり、要約や記事だけを読んで読んだ気になっているのではなく。
むしろ簡単に要約できない言語化できない本を発掘できているか?
そういう本に出会うために、私は欲しいと思ってもすぐには買わないようにしています。
その時はときめいても、表面だけ一瞬だけの時があるからです。
一旦頭の片隅に放り投げて、2冊以上の別の本を読んでいた時に浮かんで来たら買う。
複数の本を読んでいるときに意識の底から、ひょっこり出てくるなら。
それは次読むべきという暗示です。
読書メモも取っているので、その時に欲しい本が引用+言及されていたら買います。
すでに持っていたら再度その本を読みます。
例えば、今週の旅行時に持っていって、移動中にとにかくのめり込んだこの本。
ライプニッツ、パスカル、ブルクハルト、キルヒャーが出てきました。
パスカルとブルクハルトは『世界の名著』で持っています。
でも私が知ってる歴史学者のブルクハルトの専門は、ロゼッタストーンではなくてルネサンスだったんじゃ…?と思い確認したところ、別のブルクハルトでした。
ヤーコプ・クリストフ・ブルクハルトが歴史学者で、アブ・シンベル神殿を見つけたのは、ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルト。
ややこしい。ヨハンが亡くなった翌年にヤーコプが生まれている。
どちらもスイス生まれ。親戚?
ライプニッツ、キルヒャーは持っていない。
けど『キルヒャーの世界図鑑』は前から気になっていた本でした。
なので、『キルヒャーの世界図鑑』を手に入れたいですね。
そういう循環です。
この循環が身につく前に買った本はあまり読めていません。
自分の中で結びつかないのです。
誰かに勧められた本でも、ときめくか?循環に組み込めるか?を基準にして買います。
それがないと、申し訳ないけれどNOと心の中で言う。
全ての本が自分にとって良い本なのか、というと断言できません。
未知すぎても簡単すぎても不完全燃焼で終わってしまう。
2~4時間で集中して読むぐらいがちょうどいいのかもしれません。
もちろんそれだけの時間を確保するために、タスクの取捨選択もする。
そして大事なことがもうひとつ。
雑音をなくすのです。
本だけに集中できる環境に行く。スマホを手放す。
もう読書でさえ薄い夜明かりでじっとのめり込むことができなくなっています。
明るすぎて、気が散りすぎて。
周りが気にならないぐらいのめり込んで、一種の瞑想のようになるには。
その相棒となる本も、自分に合わせて厳選する必要があると思います。
本好きだからこそ、そのまま買うんじゃなくて自分なりの(それなりに厳しいかもしれない)選書基準や場所を持って、より本に向き合いたいです。