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分かりにくさを嗜める自分でありたい。(映画「2001年宇宙の旅」の感想文)

こんばんは。今日もおつかれさまです。
「2001年宇宙の旅」を観たので22歳の今の率直な感想を残しておこうと思い、ホームポジションを意識しながらこれを打っています。

ホラー映画「シャイニング」でも知られるスタンリー・キューブリックによって生み出された、SF映画の金字塔と言われるこの作品。SF好きなのと2001年生まれなのもあって、3~4年前からずっと気になっていた。ただ、時間にして2時間半という超大作であるがゆえに、なかなかその一歩を踏み出せず、今に至っていた。

なんとなく気分が乗った瞬間を逃さず、長尺ぶりにおののきながら覚悟を決めて臨んだら、その覚悟はけっこう賢明だったようで。笑 一介いっかいのSF好きには至極難解な内容だったうえに、現代の感覚とは遠く隔たった時間間隔を持つ映画だった。

8割方がセリフのないシーンで占められているから、流れる映像と音で情報を掴むしかないのだけど、荒れ地で戯れたり縄張り争いをするチンパンジーの映像が20分くらい続いたり、「30秒見つめたあと白い壁を観ると残像が浮かび上がるあれ(補色)」みたいな色彩の光が混ざり合う場面と同じ色合いの瞳のドアップとを交互に見せるのが15分くらい続いたりと、なかなか辛抱が必要だった。

こうした表現は、”タイパ”が重要な今の10代~20代には刺さらず、早送りの対象となる可能性が高いだろう。”言葉での説明が足りない”し、同じようなシーンがずっと続くことは”冗長”だからだ。

「短く、全部セリフで説明してほしい」というのが今の需要であるとするならば、この作品はそれと真逆な方向を地で行っていて、私はとても好きだった。というか、好きでいたい。私自身も社会の影響に飲まれて、作品の長さやわかりづらさに対する寛容さみたいなものを失っているように思うから。

稲田豊史さんは「10秒の沈黙には、9秒でも11秒でもなく、10秒である意義がある(と信じたい)。」と著書で述べていて、私はそれを信じたい。私には意味わからんシーンでも、あのシーンには20分なら20分の意義が必ずある。少なくともキューブリックは、20分の意義を意図している。私には処理しきれなかったのだけど。でも、理解しようという姿勢は持っていたい。

薄っぺらくは、作品全体のテーマは生まれ変わりとか技術革新とかなのかなと考えている。チンパンジーからはじまり、赤ちゃんと地球のシーンで終わっていたから。想像を広げていって、自分で理解できる情報をちょこっとずつ増やしていけたらいいな~。

と、考えながら眠りにつきます。
良い夜を!

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