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鐘姫詣りの怪【其ノ參】

此れ迄の御噺
https://note.com/sea_thousandleaf/m/m5e404cb188a6
直近迄の御噺
『鐘姫詣りの怪』其ノ壹
https://note.com/sea_thousandleaf/n/n9303cffb2e2c
『鐘姫詣りの怪』其ノ貳
https://note.com/sea_thousandleaf/n/n458d3352cb3a


     

 巫女神楽の時は神楽殿の奥で目立たなかった「二つの梵鐘」がこの『鐘籠り』では主役になります。私たちの巫女装束も神楽の時の華やかなモノではなく、白衣と緋袴の普段通りのモノ。ただし“蛇帯”は腕に巻いたままです。持ち込み品に不足がないか今一度確認して、いよいよ村の男衆によって大きな梵鐘が持ち上げられ、その中に私たち巫女が入ることになります。
 刈穂さんがおっしゃってたように梵鐘の内側に入っても「百八ある突起部に空気穴が開けられている為」呼吸には問題ありません。ただやはり「大きな釣鐘」とはいっても内側に入ると大分“圧迫感”はあります。私は意外と平気でしたが、閉所恐怖症の方だったら無理かもしれません。
 唯一の光源である“燈明とうみょう”というのは受け皿に専用の油を引いた物で、そこに灯芯という紙縒こより状にした細紐の先に火が灯っているという、ちょっと原始的な和製ランプなんですね。これで四〜五時間も保ってくれるのかしら?というのは唯一不安な点かもしれないです。
 神道の“祝詞集”には何種類かの祝詞が載っていて。先ほど本殿でも奏上したのと同じ、ちょっと長めの“大祓詞おおはらえのことば”を私たちは唱えることになります。ずっと持続的という訳ではなく、時には休憩も入れながら。心で念じることでも構わないそうですが、なるだけなら小声でも言葉に出して「神様に奏上する」という気持ちが大事だそうです。
 鐘を持ち上げるのに協力してくれた村の人たちが帰って行き、辺りがいよいよ物静かになり、秋虫の声だけが目立ちます。刈穂さんは
「何か異常があった時にはすぐに撞木で叩いて知らせて下さいね」と云い。俊文さんは鐘が降ろされる時に私たちに何か言いたげで心配そうに見てらっしゃいましたが、結局何も云わず刈穂さんと共に社務所に戻って行きました。
「いよいよ二人っきりだね」と清華が云い
「うん」とだけ私は返しました。
「じゃあ、始めよっか」という清華の合図と共に二人で大祓詞を唱え始めます。

高天原たかまのはら神留かむづます——』から始まる“大祓詞”は、高校生の私にとっては中々に難解な内容です。ただ外国由来の仏教のお経よりは「云ってる意味は何となく解る」というか。やはり大和言葉で綴られているというのは、唱える際に気は楽に思えます。
 午前零時から開始された『鐘籠り』も二時間ばかり経過した頃でしょうか。いつの間にうつらうつらと白河夜船を漕いでいた私は
「桜花、大丈夫?起きてる?」という清華の問いかけに気付きました。お互いに梵鐘を隔ててとはいえ、二つの鐘の距離は1メートルも離れていないので、こうして息抜きに会話することは許されています。
「ごめん、清華。ちょっとうたた寝してたみたい」
「仕方ないよ、いつもなら就寝してる時間だし。巫女神楽に慣れてない桜花は緊張と疲れもあっただろうし」
「ホントごめん。私ちゃんと頑張るから!」
「全然気にしてないから謝らないで。むしろこっちがこんな儀式に親友を巻き込んじゃって、すごく申し訳ないなって思ってる。今更だけど本当にごめんね、桜花」
「清華まで謝らないで。そこには清華の信頼があったればこそでしょ。私にしか頼めないって思ったことだから、清華は私と一緒にこの儀式を乗り越えるって決意してくれた。だったら私もそんなこと気にしてないし、むしろ儀式を終えたら今まで以上の友情がそこに生まれるって——そう思えない?」
「桜花、あんたってバカ。こんな時に泣かせないでよ」
「も〜、お互い励ましあってんだからバカはないでしょうよ」
「違うって、親愛の情が込もったバカなんだから。桜花はバカでイイの」
「ちょっと、いくら親愛込もってたってバカバカ言わないでよ。清華の意地悪!腹黒!」
「ちょ!腹黒は酷い!まぁ桜花になら言われても良いけどね、フフ」
「この儀式、折り返し地点くらいには来たかな?鐘の中に閉じ籠るって最初は新鮮でちょっと面白いと思ったけど、時間が経つと地味に拷問だね」
「そうだね、時計で時間経過が計れればって思うけど禁止されてるし。何となく体感時間で云うと二時間前後は経ったのかな?」
「じゃあもしかして今、丑三つ時ってやつ?」
「そうかも。だからこれからの時間がちょっと油断できないし、何が起こるかわからないからお互いに気を付けよう。あと火の元、燈明の火が紙とか装束に移らないよう絶対気を付けて!」
「わかった。やっぱり清華とこうして言葉を交わすだけで元気もらえるし、頑張ろうって思えるよ」
「あたしも、桜花が居てくれたからここまで頑張って来れた。桜花が居なければ儀式の前に逃げ出しちゃったかもしれない。嘘かと思うかもしれないけど、これは本音。あたしって明るい性格に見えるかもしれないけど、全然そんなことなくて。落ち込みやすいし後ろ向きだし。桜花はうちの家族のことよく褒めてくれるし、それは嬉しいんだけど。でもあたしだって『こんな特殊な家族厭だ』、『私たちに儀式を押し付ける村も厭だ』って何度も家出しようって思ってた。高校卒業したら絶対こんな村出てってやる!とも思ってた。けど桜花と出逢えて、桜花が家に来て一緒に過ごすようになって、少し変われた。なんだろう、世の中には自分とぴったり相性が合う人がいて、その人と一緒に居られればどんな場所に居ても何も変わらないんじゃないかって」
「何それ?愛の告白ってやつ?フフッ」
「そうかも。だから桜花がこれからもあたしと一緒に居てくれれば嬉しいかなって」
「そんなの決まってるじゃん。私だってとっくに清華が私のベターハーフなんだって分かってたし。知ってると思うけど『最良の片割れ』ってやつね」
「じゃあお互いにもう少しだけ頑張らなくちゃだね。でも桜花、絶対無理しないで。何かあったらすぐに知らせて」
「うん、わかってる。夜明けまであと二、三時間。清華も私のこと心配になったらまたいつでも声掛けて!」
「わかった、あと少し頑張ろう」
 私たちがそうしてお互いを励ましあってから——それは一時間ほど経った後のことでした。

     十一

 なんとか眠気に耐えつつ小声で大祓詞を唱えていた時です。
〈カランコロン、カランコロン〉と鐘の外から音が聞こえて来ました。
〈カランコロン、カランコロン〉〈カランコロン、カランコロン〉と音は続き、恐らくは「神社の石畳を下駄か何かで歩く音」かと思いました。
 おかしいです。神社や村関係の人なら『鐘籠り』が公開を禁じた“秘儀”であることをご存知でしょうし。それを知らないような小さい子供が出歩く時間帯でもありません。それにちょっと「深夜に響く下駄の音」というのは、有名な江戸の怪談——『牡丹灯籠』を否が応でも連想させるので、その「足音の主」を想像すると本当にゾッとするモノがありました。
〈カランコロン、カランコロン〉〈カランコロン、カランコロン〉と響く音はどうやら鐘の周囲、というより神楽殿を囲む石畳を「足音の主」がぐるぐると巡っているかのように感じます。
〈カランコロン、カランコロン〉〈カランコロン、カランコロン〉と音はまだ続き「これは異常事態なのでは」と私が清華に声を掛けようとした時
「刈姫様、刈姫様、刈姫の姉様あねさまはいらっしゃいますか?」と聞いたことのない女性の声がしました。
「刈姫様、刈姫様、刈姫の姉様はどちらにいらっしゃいますか?」と声は続きます。どちらかというとまだあどけなさを感じるような、私たちとそう年齢の変わらない“少女”のような声でした。
「刈姫様、刈姫様、刈姫の姉様はいらっしゃいますか?」と声はまた続きます。
「声の主」が云う「刈姫様」とは『刈鐘姫』のことでしょうか?早合点はいけませんが「刈姫の姉様」とも呼び掛けていますから、妹の『清鐘姫』が「声と足音の主」なのでしょうか?
 何しろ私たちは二人ともそれぞれに鐘の内部に居るので「声の主」を探ろうにも自由が利きません。それとハッとして気付いたのですが「燈明がいつの間にか消えていて」鐘の内部は真っ暗であり、鐘の上部の通気口から外を覗こうにもやはり光源がないため「夜の闇しか見えない」のでした。
「刈姫様、刈姫様、刈姫の姉様はどちらにいらっしゃいますか?」と声の呼び掛けは続いています。演技やお巫山戯で出しているような声には聞こえません。その声には何か切迫感というか「姉を必死で探している妹の姿」が浮かんでくるような、本当の感情が込められているように想えます。

刈姫かりひめ様、刈姫様、刈姫の姉様はいらっしゃいますか?」と声がもう一度呼び掛けた時
「その声は『清鐘姫様』ですか?」と清華がその声に応えました。
「刈姫様、刈姫様、刈姫の姉様でいらっしゃいますか?」
「あたしたちは巫女です!刈鐘姫様と清鐘姫様をお祀りするための、その儀式の最中で」
「まあまあ、姉様。そこにいらっしゃるのですね」
「あの清鐘姫様、あなたは清鐘姫様なのですか?」
「まあまあ、姉様。キヨですよ。清姫きよひめですよ」
「ああ、やっぱり。けれど清姫様、刈鐘姫、いえ刈姫様はここに居ません。きっとどこか別の場所に——」
「まあまあ、姉様。隠れ鬼でもされているのですか?キヨですよ、清姫ですよ。そこに居るのは姉様なのでしょう?」
 なんだか「清華と声の主の会話」はいまいち噛み合っていないように感じます。やはりここは“異常事態”と判断し、撞木で鐘を叩いて知らせるべきでしょうか?
〈カランコロン、カランコロン〉と音をさせて、その人物は神楽殿の階段を上がり、舞台に上がって来たようです。
〈カランコロン、カランコロン〉〈カランコロン、カランコロン〉と今度は二つの梵鐘の周囲を廻り歩いているようです。
「姉様、姉様。もういいですか?まだですか?」と声は私たちの鐘に向かって呼び掛けています。
「姉様、姉様。隠れん坊はもういいですか?まだですか?」とさっきは必死で呼び掛けていたような声が、今度はどこか「親しい人に甘えた、どこか媚を含んだような声」に代わっているかのように聴こえました。
「清姫様、あたしたちは巫女です。刈姫様はここに居ません」
「まあまあ、姉様。そちらの御鐘でしたか。それではわらわと共に参りましょうね」
 ゴトッと一度、重い鐘の倒されるような音がしました。
「さあさあ、姉様。隠れん坊はお仕舞いです。沼の方へ共に参りましょうね」
 清華はその声には応えません。なぜ黙っているのでしょうか?姿は見えませんが様子がおかしいのはわかります。
 撞木を、私が撞木で知らせないと。必死で撞木を掻き寄せようとするのですが、なぜか指先が届きません。というより体全体が動きませんし、さっきから清華に呼びかけようと、「声の主に応えること」を止めさせようと声に出そうとしているのですが、それも喉が詰まったように苦しくて声が出ないのです。
〈カランコロン、カランコロン〉〈カランコロン、カランコロン〉と足音が神楽殿の階段を下り、遠ざかって行くのが聞こえます。
 もしかして「清華も一緒に連れて行かれてしまった」のではないでしょうか?それは嫌です。絶対に嫌です。幽霊に清華が連れて行かれたなら、私が絶対に連れ戻さなければならない。暗闇の中で動けない中、必死に大祓詞を心で念じるのですがどうにも動けるようになりません。
 その内、外気が異様な熱を帯びてきました。いいえ、外気だけでなく鐘の内部にまで熱が込もり始め、酸素も徐々に薄くなってく気がします。ああ、これが刈穂さんが経験したという「黒い炎のわざわい」なのだろうか?と思いました。その時の刈穂さんは幸い体が動けたようだし、救助も霊力の高い清華のお祖母さんが行ってくれたので九死に一生だったみたいだけど、私の場合このまま死ぬんだろうか?と思ったらなんだか眩々くらくら気が遠くなってきました。
 せっかく清華と親友になれたのに、その清華を助けられずにこのまま死んでしまうなんて、後悔だけの人生だな、なんて思いながら。だんだん、だんだんとくらい眠気で脳が死んで逝くのが——

〈りん——〉と一度、聴いたことのある清涼な音がしました。
〈オンシュチリ・キャラロハ・ウンケンソワカ!!!〉という呪文が、一喝されたように聞こえました。
 ゴウンッ!っと重い金属が吹っ飛んだような音がし、徐々に私の周りの空気が清浄なモノに変化するのを感じます。
「巫女殿!気は確かにございますか?」と話しかけられました。
 ああ、あの独特の網代笠と黒を基調とした僧衣は「鳥居のそばにいたお坊さん」。あの人が助けて下さったのか。まだ意識がぼんやりとしていますが状況がわかってきました。
「助けて頂いたみたいでありがとうございます。先ほどお会いしたお坊さんですよね?沼に御用があるという」
「そなたらの『梵鐘隠れの儀』はそばの森に潜み見届けていた。そなたの朋友は恐らく沼のあるじ怨陀羅魔おんだらまに連れられ、かの沼に向かった様子」
「だ、だったらすぐに助けに行かないと!」
「拙僧の法力だけでは彼奴きゃつ調伏ちょうぶくするに不足があるやもしれませぬ。巫女殿もお力も借りたく思うが、如何であろうか?」
「私にできることが何かあるのかはわかりません。でも私の親友は清華だけなので、あの子の為なら何でもできます!」
「拙僧はいにしえの巫女たちに同じく、山神やまかがしより使わされた者。巫女殿に山神よりの贈り物がある。これを肌身離さず持ちて、御身おんみと拙僧をお守り下され」とお坊さんに渡されたのは恐らく“金剛杵こんごうしょ”と呼ばれる仏教や密教で使われる法具でした。
「御存じかと想うがあの山の神は龍の化身。それは“九頭龍杵くずりゅうしょ”と呼ばれる龍をかたどった金剛杵の一種である」
「これがあれば清華を助けられますか?」
「断言はできぬ。あの惡神の力は強大であるがゆえ。いずれにしろそなたの朋友が取り込まれぬうちにカタを付ける必要がある」
「わかりました。私でよければお力になります。あ、そうだ名前を教えて下さい。私は巳津塚桜花です」
「拙僧は“嵐真らんしん”と申す者。では疾疾とうとうに朋友を助けに参りますぞ、桜花殿」

     十二

 正直、嵐真さんの足の速さというのは「疾きこと風の如く」という感じで。私も女子にしては足は遅くない方なのですが、相手がプロの短距離選手並のスピードで疾走していくので全く追いつけません。
「桜花殿はご無理なさるな。拙僧が機先を制し彼奴の鼻を明かして御覧にいれる」と数十メートル先を行ってしまいました。
 そして私が追いついた時には、既に嵐真さんと清華が「双子沼のほとりで対峙して」いるのでした。
「清華!大丈夫!?」と尋いても清華から返事がありません。顔は俯き表情もわかりません。
「清華は蛇神に取り憑かれてるんでしょうか?嵐真さん」と私が尋くと
「桜花殿、どうかここは拙僧に任せて木陰の方にお隠れ下され。その際“九頭龍杵”を両手で掲げ、朋友を想う心を念ずることをお忘れなきよう」
「わかりました!やってみます」と早速森の方へと退き下り、沼畔を遠目に見張りますが、正直清華のことが心配で心が落ち着きません。とにかく私ができることをしなければと思い、山神様からの贈り物であるという九頭龍杵を掲げ、清華の無事を祈ることに力を注ぎます。

(((山神やまかがしめ。つまらぬことを考えよるわ)))と、沼の方から地響くような重い声音の呟きが聞こえました。それと同時に「質量のある水棲生物が迫り来るかのような」水面の揺らぎが遠目にも確認できます。
(((その娘はわれへの捧げ物である。愚昧なる人の子は早々に退がれ!!)))と沼の底からズルズルと姿を現したのは太古の爬虫類を思わせる、大蛇の頭部です。
 オロチと云えば良いのでしょうか?それともウワバミ?あるいはミヅチ?とにかく巨大な、それはそれは巨大な「黒い鱗持つ蛇」。
 いいえ、黒と白の斑蛇まだらへび?それも違う。正確に云うなら「絡み合った黒と白、二匹の大蛇」。ギリシャ神話のヘルメスが持つとされる「蛇が絡み合う意匠の杖」のように。
 けれどその黒と白の大蛇の「白い方の頭は焼け爛れ、だらりと力なく垂れ下がり」、その白蛇が生きているようには見えませんでした。つまりより正確に表現するなら「黒い巨大な蛇に、白い巨大な蛇の“屍骸”が絡み付いている状態」とでも云うのでしょうか。
 その光景は“醜怪”ではあるものの、同時に「神々しい」という感情をも喚起させるモノで。例え忌み嫌われる惡神といえども、やはり「神は神である」という印象を強く受けたのは間違いありません。
「醜悪な、実に醜悪な御姿みすがたであるぞ怨陀羅魔!」
(((貴様に吾の何が解る?愚昧なる人の子よ。吾の姿が醜いと云うのならその両眼をば潰し、見えずに済むよう取り計らってやろうか?)))
「お前の何が解るか——だと?その魁偉な眼眸まなこにまことは映らぬのか!?拙僧の姿、忘れたとは云わせんぞ!」
 そこで黒蛇の眠っていたかのような両瞼りょうまぶたがしっかりと見開かれ。縦に細く閉じていた瞳孔は真円を描き。その双眸そうぼうは闇夜を照らすように赫く、ギラギラと輝きました。
(((馬鹿な!貴様が何故生きておる、嵐真坊らんしんぼう!?)))そこで蛇神が初めての感情、“動揺”を見せたように想えます。
「わかっておるであろう。拙僧は今宵限りの果敢はかなき命、山神より受け賜った!」
(((許せぬ、許せぬ!吾を裏切り釣鐘ごと焼き払ってやった貴様が、何故吾の前に再び姿を現した!!)))
 蛇神『怨陀羅魔尼』の表情を読むだけでは掴めない“感情”がその声には詰まっているように感じました。それはまるで、この恐ろしき祟り神にも「人間的な感情」が残っているかのように、その時の私には感じ取れたのです。
「元はそなたも山神の娘、『双子巫女』の片割れであろうに。そこまで修羅道に堕ちたか?人の頃の憶いすら彼方へと置き忘れたか?」
(((憎い憎い憎い!貴様が憎いことだけは吾が身に刻み込まれている。姉様の頭をこうして焼き砕いたのも貴様であろう!?)))
「もはや人の頃の名も憶い出せはせぬか。そなたは『カガミひめ』か?と『ナギメひめ』か?どちらじゃ?」
(((そんなモノどうでも良いわ。吾に残る憶いは嵐真、貴様への憎しみ!吾ら姉妹を醜い蛇へと変えた山神への怨み!そして、姉様をこのような姿にした者への仇討あだうちだけじゃ!)))
「ならばもはや何も云うまい。惡龍をも誅すという『大威徳明王だいいとくみょうおう』の法力によりて、惡神『怨陀羅魔』をここに調伏する!」

〈オン・キリクシュチリビキリ・タダノウウン・サラバシャトロダシャヤ・サタンバヤサタンバヤ・ソハタソハタソワカ!!!〉

 こうした“人外魔境”の会話の最中、「ただの人でしかない」無力な私はひたすら“九頭龍杵”に清華への想いと願いを込めて祈り続けるしかありませんでした。大丈夫です、皆さん。大分長話になってしまいましたがもうすぐそれもお終いです。
 蛇神はもはや言葉を用いず、その巨体を沈めている湖沼の水流の動きがぐるぐると渦を巻いていき、まさに「嵐の前触れのような状態」に成っていきます。嵐真さんはひたすら“真言しんごん”と呼ばれる呪文のようなモノを唱えておりますが、果たしてその効果が蛇神に通じているように想えません。
「なるほど、黒き炎は見事だが、水の術は不得手ふえてと視える。そなたはナギメ媛ではないか?」その問いに蛇神は応えません。けれどやはり「感情の揺れのようなモノ」は伝わって来ます。
「仇討ちをするとそなたは申したが、その仇討ちの相手がおのれ自身だとしたらどうする?『白き蛇神』水の術を得意とするカガミ媛の頭蓋を焼くなど、火の術を得意とする『黒き蛇神』以外に誰が想像できる?」この慮外《りょがい》の心理戦には流石の蛇神も感情をあらわにしたようで、ここで大気の流れすら捻れて乱れ、その儘に荒れ狂う水流——それはもはや“海嘯かいしょう”と呼んで等しいモノが全てを飲み込まんばかりに発生しました。

(((おのれ嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真嵐真!!!)))

〈オンシュチリ・キャラロハ・ウンケンソワカ〉
「ナギメひめよ永劫に鎮まりたまへ」その“真言”で嵐真さんの持っていた“金剛杵”が「長槍のような三叉の“ほこ”」へと変じ、刹那の速度で「蛇神の黒い頭蓋を穿った」のが私にも視えました。
 けれど、それから後は——清華や私も含めた全てが、荒れ狂う津波に押し流されてしまいました。

     十三
 
 気付くとそこは病院のベッドのようでした。一人部屋でそこそこに大きな部屋ではないでしょうか。入院というのが初めての経験だった為、勝手がわからず「私が今どういった理由でここに居て、どういう待遇に在るのか」というのが全く解りません。目覚めた時には既に夜であったらしく、照明は一部を残し消灯され、青白く薄暗い部屋だなと思いました。
 それより清華は、清華はどうしたのだろう?清華も同じ病院に入院中なのだろうか?早く逢いたい、日常に戻りたい。そういった些か身勝手な感情しか湧いて来ません。
 けれど残念ながら、体が不自然に——痛みなんか全くないにも関わらず、動けないのです。どうしたことでしょう?声も巧く出ません。『鐘籠り』の際には“異常事態”の時の、結局使わなかった撞木しゅもくがありました。
 入院中の場合は「ナースコールのスイッチ」を押せば良いとわかっていても、そのスイッチの場所がわかりませんし、それを探すための気力も体力も失われているようでした。
 だからもう、する事といったら「寝てしまう」しかありませんよね。幸いまだトイレには行く必要がないみたいなので、もう一度眠って——全ての感情を忘れ去りたい——それしかありませんでした。

 ふとまた目覚めたのが「何時間後だったのか、または何日後だったのか?」。夜だけがずっと長く続いているように想えます。
 夜はもう明けないのでしょうか?清華に逢いたいな。なぜ逢えないんだろうか?夜が明ければ逢えるんだろうか?と、うつらうつら半覚醒状態のまま、そんな事ばかり考えていました。
 けれどそこで気になりました。誰かの“視線”が。刺すような強い“視線”が、私に向けられていることに。病室は相変わらず青白く薄暗いままで、完全な暗闇ではありませんが、細部はほとんど視えません。けれどその強い“視線”が私に向けられていることだけは解りました。
 感情、そう感情を視線に乗せることができるのか?きっと“表情”というのが読めないかおでも“視線”にだけ注目できれば、その感情を窺い知ることができるのではないか?そんなことを思いました。
 けれど私に向けられるその強い“視線”と「眼を合わせる勇気」はありませんでした。色々なことがあったので。色々なことが起こり過ぎたので。もう“感情”というモノについて何も考えたくはありませんでした。
 だからその“視線”が私に話しかけてきたのには本当にびっくりしてしまいました。
「桜花、ねえ桜花」
 声は巧く出ませんでしたが、私にはその声に応える“必要”がありました。
「清華?清華なの?」
「そうだよ、ごめんね。遅くなって」
「良かった。やっぱり生きてたんだ」
「ごめんね。逢いに来るのが遅くなって」
「いいよ。全然そんなのいいよ。私こそまだ体が動かなくって、声もまだ巧く・・・だから、ごめん」
「変な桜花。桜花は悪くない。全然何も悪くない。悪いのは全部あたし。巻き込んだのはあたし。あたしがあの日桜花に話しかけなきゃ、桜花をこんな目に合わせずに済んだのに」
「なんで、なんで・・・そんなことないよ。清華だって悪くないよ。私たち、またこうして出逢えた。だから誰も何も悪くないよ」
「ダメだよ、あたしを赦しちゃ。桜花は悪くないけどあたしは悪い子なの。だから罰をちゃんと受けてる。そんな人間を簡単に赦しちゃ、ダメなんだ」
「そんなこと・・・誰が悪いとか、何が悪いとか・・・もうそんなことどうでもいいよ。またこうして出逢えた——それだけが大事なんだよ」
「でもね桜花、あたしは赦されてないんだよ。桜花に今更逢いに来たのも“罰”を受ける為なんだ。“罰”を受けなきゃ“罪”は赦されないんだ」
「何を云ってるの?罪とか罰とかどうでもいいよ。ねえ、早くこっちに来て。無事な顔を見せて。それともどこか怪我でもしてる?」
「無事なかおだって?無事なモノかよ!あたしは“罰”を受けてるって云ってるだろ。わからず屋な女だなァ!」
「ごめん。どうして?怒らないで。お互いの無事を知りたかっただけだから。ごめんね」
「だからさぁ!なんでいちいち謝るわけ?悪くもないのにサァ!悪いのは全部あたしだって云ってるじゃん。これだけ云ってもわからない?あんたってホント——馬鹿」
「ごめん清華。でも怒らないで。こうして二人とも生きて・・・戻ってこれたんだよ。あ・・・家族の方は大丈夫?」
「母さんは死んだよ。あたしらの様子を心配して見に行って、津波に巻き込まれたみたい。運が悪いよね。父さんはそれですごい落ち込んでる」
「ウソ、刈穂さんが・・・ウソ——」私はここで感情がグチャグチャになってしまいました。親しいと云える人を亡くしたのは人生でこれが初めてでした。
 それと清華の言葉の端々が「投げ遣りなのと、棘を感じること」の理由が解ったと思いました。清華は最愛のお母さんを亡くして、きっと自暴自棄になっているのだと。
「清華、ごめん。巧く云えるかわからないけど、私も・・・刈穂さんが亡くなったなんて、信じられないし。すごく、すごく哀しいよ」
「そうだね。そうだよね。『普通の人間』ならそう思えるよね。けどね桜花。罰を受けてる“罪人つみびと”のあたしはそうは思えないんだ」
「何を云ってるの——清華?あなたも哀しくて、とても哀しくて、そんなに自暴自棄になっているんでしょ?」
「自暴自棄、か。『普通の桜花』ならそう考えるのも当然と思うけど、あたしはそうではないと思う。むしろこれは“諦観”だよ。全てを、何もかもを諦めたの。『最初から決まっていた運命』にいくら逆らっても無駄だってこと」
「無駄ってどういうこと?私たち頑張ったじゃない。それは儀式の最中にあんなことになっちゃったし、少なくない犠牲も出たと思う。けど——」
「うん、解ってる。あたしたちは頑張った。頑張ってできるだけの『お役目を引き受けて』、その結果——ダメだった。それだけだよ」
「清華・・・清華、けど私たちは」
「もういいの。もういいんだよ、桜花。今日はお別れに来たんだ。あんたにお別れさえ言えなきゃ、本当になんのために頑張って来たのか解らないしね」
「清華、お別れって何を云ってるの?ダメだよ、絶対そんなのダメだよ!ゴホッ、オホッ」と無理して喉を酷使したせいか、だんだん本当に喋り辛くなって。そうですね。こうして今お話ししてる私でさえ——もうすぐ限界みたいです。
「あたしが自殺するんじゃないか、なんて思ってる?安心して、それは無いの。だってあたしの罰には『自ら死ぬことを禁じる事』も入ってるみたいだから」
「さっきから罰、罰、って一体何なの?誰が清華にその“罰”を与えるのよ?」
「だから云ったじゃない。『最初から決まっていた運命』だよ。あたし一つ桜花に嘘付いててさ。巫女としての能力なんて碌に無いなんて云ったけど、一つだけできることがあったの。予知とか“予見”て云うのかな。例えるなら『決まっている台本の少し先を読める』程度の力」
「それって・・・」
「すごいって思う?けどね本当に役になんて立たない。だって『台本は最初から筋が決まっているから』それを変更したり書き換えるなんてことは、絶対にできないの。『ただ先を知ることができる』それだけの能力」
「じゃあ、清華は・・・儀式が失敗するって、解っていたの?」
「“先”といってもほんのちょっとの先だったから、失敗するとは思ってなかった。けど桜花に話しかければ仲の良い友達になれるし、『桜花を儀式に利用できる』ってことは解ってたよ。幻滅したでしょ?」
「そんなこと——ないッ!利用されたなんて思ってない!」
「けれど事実はそうだったの。『この人の良さそうな、騙しやすそうなウブな子なら』あたしみたいな憑き物筋の嫌われ者にも親切だろうし、何なら儀式に参加させて私の代わりに“生贄”にしてやろう、って」
「ウソだッ!ウソだウソだウソだ!そんなこと清華が思ったり、するわけないじゃない?清華はもしかして私にわざと嫌われようと思ってるでしょ!そんなのバレてるんだから!清華はわざと自分を嫌わせて、どこか俗世界とは離れたところに逃げようと、そう思ってるだけでしょ?」
「半分当たりで半分ハズレかな。あたしはあんたに嫌われようなんて思ってないよ。どうせ今日が最期だから『あたしは最初からこういう酷い奴でした』って説明してるだけだよ。別に桜花のこと『好きでも嫌いでもない』からあんたにどう思われようとも構わない。けど最期くらい『あなたは最初から騙されていたんですよ。人が良いから騙し易かったんですよ』って教えてあげないと、あたしの良心が痛むじゃない」
「ウソだよ、清華。ウソつきだよ。どうせいつものいたずらなんでしょ?私をからかって楽しんでるんでしょ?ちょっと度が過ぎてると思うから、もう止めてね」
「あのね、あたしも全く人間的感情が無いわけじゃないよ。けどね、さっき言ったみたいに『母さんが死んでも哀しくはなかった』っていうのは本当。それは『つじつま合わせだ』って思ったからなんだ。母さんは二十年前に『鐘籠り』で蛇の烙印を受けたから、そのつじつま合わせが今やって来たんだって。それだけなんだよ。桜花のこと『好きでも嫌いでもない』けど友達になろうって思ったのも『どうせ台本に逆らっても台本通りに“収束”はするから』無駄に抵抗しても仕方ないって諦めただけなんだ。けど『母さんが死んだことに対して哀しみを感じないあたし』は自分でも異常だと思うし、『好きでも嫌いでもない友達を騙して儀式に参加させたこと』も本当に心が痛んだんだよね」
「じゃあ、じゃあ清華。私のこと本当に『好きでも嫌いでもない』なら、何でわざわざお見舞いになんて来たのよ?なんで『最期だからお別れをしたい』なんて思うのよ。支離滅裂で矛盾してるよ!今の清華は混乱してるだけなんだよ。私にイラついて不満をぶつけても良いから、後でちゃんと謝ってよ——ねぇ」
「あんたに『憐れみを感じた』からだよ桜花。あんたがとてもかわいそうな存在だから同情してあげたの。かわいそうな人には親切にしたり、優しくするのが“人間”でしょう?——でも、もう良いよね。『あんたに優しくしたのも、こうして逢いに来たのも罰の内』だから、もう義理は果たせたんだよね」
「ちょっと!ホントに清華が腹黒で口が悪いっていうのは解ったから、もう止めて!私の仏の御心だって限度ってもんがあるんだから」
「そうだね、もういいよね。じゃあ最期に“握手”しようか。あんたは今の位置じゃ見えないけど、あたしは部屋の隅にいるからさ」
 清華は「部屋の隅」に居ると云いましたが、薄暗い中とはいえ病室の“床”のどこを見廻しても清華の姿はどこにもありません。
「清華?どこなの?もういたずらは止めて!本当にもう私も怒るから。私を怒らせたら一ヶ月は口訊かないよ!」それと気付いたのですが「不自然に動けなかった体」が今は自然と動かせるのです。だからよく視えるようにと電灯のスイッチを探して
「お願い、明かりはつけないで!これは、あたしから桜花への最期のお願い」
「最期、最期って。サプライズだとしても本当に意地が悪すぎるよ!イイ加減にして!」声も自然と「喉の息苦しさ」は消えて、大きな声が出せるようになっていました。
「お願い、立たないで。そのままで居て。体を起こして“天井”の右隅を見て」と清華は“最期”と云ったのにもう一つ私に「お願い」をしました。
「はいはい、解ったから。もうホントにふざけないでよね」と、私の目線のその先には——

 え、え?変です。おかしいです。だってその“天井”の右隅には
「わかったでしょ、桜花。あんたもかわいそうだけど、あたしはもっとかわいそうな『罪深いモノ』なの」
 そんなこと云われても、私にはわかりません。その天井の右隅には、清華の声の“出処”には「何かどす黒い染みのようなわだかまり」しかないのですから。
「清華?だって、清華?」
「“最期”に握手して、それで終わり。ねぇ桜花、あんたと一緒にいてすごく楽しかったのはホントだから。それだけはホントだから」
 スルスルと「黒い蟠」の方から“腕”と呼んで良いのでしょうか?「細くて黒い縄状のモノ」が、ベッドから半身を起こした私のそばまで近付いて来ました。
 不思議と怖くは感じませんでした。だってそれは「清華の一部」だから。その時は自然とそう——想えたのです。
「あたしは“右手めて”に。桜花は“左手ゆんで”にこれを」そのひと声で私は左腕を差し出し、そこに『鐘姫詣り』の儀式でも常に身に付けていた“蛇帯”が、腕全体を覆うように巻かれていきます。
「さよなら、桜花」
 私の体に巻かれた蛇帯はまるでそれが自然であるかのように——「私の左腕と共に」——私の体から離れていきました。
 腕が引き千切られたはずであるのに、痛みも何もありません。血液も飛び散ったりはしていません。
 その左腕があった“痕”には——そこに最初から何も無かったかの如く——今は何もありません。



【幕間・其の二】〜大学生・中山桂馬の視点〜

「これでこのお話はお終いです。皆さん、長らくの御清聴を本当にありがとうございました」と丁寧に頭を下げて、その女学生『巳津塚桜花さん』は話を終えた。
「普段はこんなにお喋りすることはありませんし、このお話を人前で披露したのも今回が初めてになります。あと、申し訳ないのですが、かなり気負って全てを巧くお話しせねばと欲張った為、お聞き苦しい点が多々あったかと思います。それで私も少し、ちょっと体力の限界みたいで。すいません、退室した方が——」
 彼女はよほど気を張って話を続けたのだろう。話している間中、こちらも彼女の体調が目に見えて悪くなって行くのが解った。巳津塚さんが皆まで云い終わる前に『ぬらり翁』が目配せで指示を出し、葦乃さんと稀介君が両脇を支えながら隣の客室の方へ連れて行き、布団を敷いて休ませたそうだ。一人だけ戻って来た稀介君がそう説明してくれた。
 彼女の話は一見、荒唐無稽に思える所もあったが「彼女の制服の左の袖口」を見た僕には「嘘偽りを述べているとはとても思えない」。今はただ、巳津塚さんの体調の無事を心から祈りたい。

 さて気を取り直し、次は「第三の御噺」。そして「第三の男」に選ばれたのは少しばかり軽薄そうな雰囲気だが、双眸そうぼう鋭き“美丈夫”の男性だ。
「うら若きお嬢さんが退室しやしたのは大変に残念でございやすが、あっしが御噺を続けても良いでございやしょうか?それでは名乗りから始めさせて戴きやす。あっしは軛駝梅苑くびきだばいえんと申しやして——なぁにちんけな“風来坊”でごぜェやす」

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