ロジカルシンキングでひとを殺す方法
世には流行りすたりというものがあるけれども、ロジカルシンキングの人気はなかなか根強くて、いまだに熱烈な支持を集めている。そろそろ飽きてもいい頃だと思うが、こればっかりは珍しく勢いが衰えない。
元来が飽きっぽい上に信仰をもたない日本人であるのに、ここまで熱中するとは何ごとか。
ここに、石川論理(46)という男を呼んだ。名前の通りみずからの命よりもロジカルシンキングを大切にするような男で、「ロジカルでなければ生きている意味がない」という彼の名言はロジカルシンキング信仰者のあいだではもはや合言葉のようになっている。
――こんにちは。今日はなにをされていたんですか?
「社食でうどんを食べていました。なぜなら(1)息子の大学受験に向けてコストリダクションが必要なところに二〇〇円というのは助かるし、(2)昨日は蕎麦を選んだので、違うものを頼んだほうが食の楽しみも増えて午後のモチベーションにつながるし、(3)短時間で食べ終えられるため素早く業務に戻れるからです」
――ほほう! これがロジカルシンキングってわけですか、恐れ入りました。たしかに大学受験というのはなにかとお金がかかりますね。
「そうなんです。息子には予備校にまで通わせているのでフルコミットしてほしいんですがね、最近どうも妙なことをいいだしまして。急に文学部へ行きたいだなんていうんですよ」
――それはまたどうして?
「本人は和歌を学びたいそうなんですが、そんなもの習ったってなんの役にも立たないでしょう。商学部を受けるということでフィックスしたはずなんですがね」
――石川さんは商学部の出身でいらっしゃいますね。
「その通りです。息子にいってやりましたよ、(1)和歌なんて社会の役に立たないし(2)商学部でのマーケティングを学べば就活はもちろん入社後も大いに役に立つ、さらに(3)昨年度のデータを見ても、大手への就職率は圧倒的に商学部のほうが高いとね」
――ははあ、これはまたお見事です! それで息子さんは納得したのでしょうか?
「それよりもおれの気持ちが大切だろうって喚いていましたよ。けど本人の意志なんていうのは論拠のひとつに過ぎないんですよ」
――実に興味深いです。
「文学部でもその気になればいい企業には行けるなんていってましたがね、おまえの主張には論拠がない、ファクトベースで話してくれっていったら、すっかりおとなしくなりましたよ、ははは!」
――ははは! ところで、石川さんはどうしてそこまでロジカルシンキングにこだわるのでしょう?
「ロジカルシンキングは武器なんですよ」
――というと?
「最強の武器なんです。拳よりもよっぽど強い。その気になればひとだって殺せちゃいます」
結局これについてはよくわからなかった。どうも石川はロジカルシンキングについて語るときにはロジカルになれないそうで、われわれはこれ以上踏み込むことは危険だと判断し、次の質問に移った。
――ところで、現在はどんなお仕事をされているんでしょう?
「ECサイトのコンサルティング業務がメインですかね、二十名の部下とともに取り組んでいます」
――ははあ、それじゃあ部下のみなさんもロジカルシンキングを身につけておられるわけですか。
「もちろんです、誰をアサインしても差のないように私の思考法をしっかりと教え込んであります」
――ということは部下のみなさんは石川さんとおんなじ思考をもつ、いわばコピーといったところですか。
「コピーというとちょっと人聞きが悪いようですが、あるいはそうかもしれませんね」
――ふうん、それじゃ石川さんがいなくなっても困ることはありませんね。
「そんなことはないですよ、私のようにまとめる立場の人間がいないとね、チームが成り立ちませんから」
――でもそんなのいくらだって代わりがきくわけでしょう? いま石川さんがいなくなったところで、社会にとってなにか損失はありますか?
「どうしたんですか急に。社会にとったらそりゃ私の存在なんてちっぽけなもんでしょうが、しかしそんな社会などという曖昧な……」
――ふんふん、息子さんの学びたい和歌については『社会の役に立たない』と切り捨てたにもかかわらず、ですか?
「いやしかし……私には生をまっとうする権利があるじゃないですか、私は私の人生をまっとうしたい、それだけでも私がここに存在する理由としては充分でしょう」
――それは石川さんの意志でしょう? 意志は論拠のひとつに過ぎないって息子さんにもおっしゃったじゃないですか。
「うるさいな君は! ええ? さっきからなんなんだ、こんなの失礼にも程があるだろう! そんなにごちゃごちゃいわないでも生きたいから生きる、それでいいだろう、私の人生なんだ!」
――おやおや、ずいぶんと非論理的じゃないですか。『ロジカルでなければ生きている意味がない』んじゃなかったですか?
「うるさい、うるさいぞ!」
――石川さんはもう生きている意味がないんですよ、なぜなら(1)あなたは社会の役に立たないし、(2)生きてたいなんていう意志は論拠のひとつに過ぎない、そして(3)ロジカルでなければ生きている意味がないんですから。
石川は全身をがたがたと震わせながら席を立って、ガラス張りの壁に向って思いっきりぶつかっていった。石川の身体はガラス窓の向うに放り出され(ここはビルの三十四階!)、あっという間に見えなくなった。
たしかにロジカルシンキングは最強の武器だったし、実際にその気になればひとだって殺せてしまった。ここにロジカルシンキングの根強い人気の理由があるのかもしれない。
一銭でも泣いて喜びます。