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0歳からはじめる就職活動

平成42年7月24日
朝日新聞 朝刊 29面[教育]

分娩室に産声が響きわたった。太田憲一さん(31)は複雑な面持ちで我が子の誕生を見守っていた。

「元気に泣いていますよ、と看護師さんはおっしゃってくれました」と太田さんは振り返る。「でもあの子が泣いたのは悲しかったからなんです」

太田さんは高校を卒業すると、練馬の食品工場に就職した。二十七歳のときに知人の紹介で妻の文江さんと知り合い、一昨年の春にめでたく結婚。稼ぎは少なかった。それでもどうにか夫婦で支え合って、この日の出産にまで漕ぎつけた。

「ちょうど同じころに隣りの部屋でも産まれたそうでね、向うは両親ともに総合商社勤に勤めてるんです。それは明るい産声でしたよ」

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「就職活動は大学四年生の三月から」というルールが撤廃されてから十数年が経つ。早期化の波にのまれて、かつては人気のあった文学部も「実用的」ではないためすっかり見かけなくなった。

就職活動をはじめるタイミングは年々早まり、ビジネスマナーの指導を取り入れた小学校が話題になったのもつかの間、昨今では0歳からの就職活動が当り前になりつつある。

大企業に勤める親のもとに生まれれば、幼いころから会社訪問の機会を得られる。役員に顔を覚えられるのも大きなメリットだ。

子どもの名前を決めた両親はさっそく名刺の作成に取りかかる。幼少期からいかに経験とコネをつかみとるかがポイントなのだ。

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大手広告代理店に勤める岡崎由希子さん(36)は、今年で四歳を迎える娘の遊びにも工夫を凝らしているという。

「うちではおままごとをするとき、買い物や調理だけでなく、小売店のバイヤーやメーカーの営業など様々な役をさせるようにしています。いまのうちから顧客ニーズを読みとる力をしっかりと身につけてほしいんです」

よその子どもが遊びにきたときは、積み木の代わりにペーパータワーに挑戦させる。より高いタワーを立てるべく議論を重ねることで、PDCAサイクルの基礎に触れさせることが目的だ。

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「子どもたちのいない放課後は、ちょっと淋しくもあります」

川口市の小学校で校長を務める三波武夫さん(56)は、校長室の窓から校庭を見降ろす。

「私たちが子どものころは、授業が終わるとランドセルを投げ捨てて野球やサッカーに興じたものです。それがいまじゃすっかり変ってしまった」

ほとんどの児童は、授業が終わると各企業の研修所に向かう。講演や実習を通して企業理解を深めるのだ。人事が目を光らせているので子どもたちも気を抜けない。体力を残すために、学校での授業を居眠りでやりすごす児童も多いという。

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越谷市の公立高校で物理学を教える羽山峰子さん(46)は、静まりかえったテニスコートに立って昔を思い出す。当時、彼女はここの生徒だった。

「とにかくテニスが好きで、最後の大会では関東大会にまで進んだんです。そのときから、教師として母校に帰ってきて、今度は生徒たちを全国大会に連れてくんだって決めてました。それがこんなかたちで挫折するとは、正直思いも寄らなかったですよ」

三年前、保護者からの強い反対で部活動が廃止された。県内の他校でも同じようなことが起きているという。受験勉強と就職活動を両立させるためには致し方ないと、学校側も判断せざるを得なかった。

高校生の段階で内々定をもらっている者もおり、生徒たちのあいだにも焦りが漂いはじめる。

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1,228 という数字がなにを示すかわかるだろうか。

昨年度の「就職活動の失敗」を理由に自殺を遂げた学生の数である。ルールが設けられていた十数年前と比較すると、十倍以上に増えている。

生まれた瞬間から就職のことばかり考えてきたにもかかわらず内定の出ない絶望を、「違う親のもとに生まれたかった」という言葉を遺して去る悲しみを、果たしてわれわれは想像しうるだろうか。

彼らはかつての若者たちが味わった青春を知らない。就職活動をするだけで二十余年の命を終えた彼らのために、いま、社会はなにができるだろうか。

一銭でも泣いて喜びます。