同棲者を同居人と表現することについて

X上でしばしば同居人という表現を見かけるが、よくよく話を読むと同棲者を指していることがほとんど。なぜストレートに「同棲者」「同棲している人」などと言わないのか。個人的に少し違和感を覚える。

試しにXで「同居人 表現」というワードで検索してみたところ、以下の様な意見が散見させられた。どうやらこの表現に違和感を覚えるのは僕だけではないようだ。

同棲してる人ってなんで「同居人」とか「相方」とか表現をぼやかすんだろう。ツッコミ待ちなのか?

同棲してる彼氏彼女のこと「同居人」って表現する人のこと信頼してない

同棲してる恋人(だよね?)のことを、同居人って表現するのたまにみるんだけど、どういう心境で彼氏・彼女って言わないの?気持ちわかる人教えて

付き合ってる相手のことを同居人って表現するクソボケツイッタラーのアカウントが一斉に凍結されますようにと願って寝る 言葉は正しく使われて欲しい

この同居人と表現することに如何なる心的作用が働いているのか?


まず「同棲」という言葉の意味を確認してみよう。

① 一つの家にいっしょに住むこと。夫婦、男女が一つの家でいっしょに生活すること。

※酒中日記(1902)〈国木田独歩〉五月四日「母と妹とは自分達夫婦と同棲(ドウセイ)するのが窮屈で」 〔銭起‐山下別杜少府詩〕

② 特に、正式な婚姻関係にない男女がいっしょに生活すること。

※江戸から東京へ(1922)〈矢田挿雲〉七「悲哀な約束を結び只管(ひたすら)同棲(ドウセイ)の日を楽しんだ」

はっきりと「夫婦、男女が一つの家でいっしょに生活すること」「正式な婚姻関係にない男女がいっしょに生活すること」と記されている。これは辞書的な意味ではあるが、一般的な語の使用感としてもそれほど意味の乖離があるものではないだろう。

では「同居人」という言葉はどうか。

〘名〙 同じ家に居住する人。また、ある家族と住んでいる、その家族でない人。

※歌舞伎・木間星箱根鹿笛(1880)三幕「区役所へ離別届けをした上で、附籍に直した同居人(ドウキョニン)」

おわかりだろうか。そう、同居人というのは、「一緒に住んでいる家族でない人」という意味でしかなく、それが男女であるとは限らない。何者かと住んでいるらしいことは明かしているが、それが一体どのような人物であるかは明かしていないのである。

二つの表現の差分は「男女の関係」である。同棲⇒同居人という置換表現は、「二人の間柄から男女関係性を取り除く」という意図があるように思われる。


さて、一つ屋根の下に男と女がおり、そこで必然的に起こるイベントとは何か。それはセックス以外にあり得ない。これは何もやましいことや恥ずかしいことではなく、誰もが普通にしていることだ。普通のことだから、僕もわざわざボールドで強調したりしない。

もうすでに勘づいたかたもいるかもしれない。そう、この同居人という表現は、男女関係性(=セックス)の脱臭である。なぜ脱臭するのかというと、自分達の純潔性のアピールだろう。同棲者から同居人という言葉に置き換えることにより、私たちは性的にクリーンな存在であると主張しているのである。

どうせやることはやっているのに自分は純潔だとほざいているわけです。


ほんま小賢しい真似しよる。一回しんできた方がええんちゃう?俺もセックスがしたいよ、ほんと。

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