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物差しの仕入れどころ

たったの数十分話しただけでこの人は面白い人だ、いい人だって思える経験はなかなかにない。けれど今日はそんなことがあった日だった。

信頼する友人の友人との出会いだった。これってもしかすると、完全な白紙からのスタートだったらそうはならないのかなと少し思った。

ぼくの中でその友人の友人ってだけでもういい人であろうフィルターは準備万端になる。それであったらどんな方もいい人に見えちゃうんじゃないかなぁとか思う。人もモノの良し悪しを判断する物差しがどこ由来なのかということは、良し悪しを図ることよりも実は重要な気がする。

自分の一生における決断の数々は100パーセント自分由来の決断である、と言い切ることはできない。ぼくの決断はたいてい誰かがいいと言ったとか、芸能人が使ってるとかそんな横入りの物差しによって決められている。自分の良いが大多数と違うときに自信を持つことはとっても難しい。

それは何かを作ることにも言える。このnoteだってたくさんスキをもらえたらこの文はいい文だったのだと思うし、自分が自信満々に公開したものでもスキがぜんぜんつかなかったから、ぼくの自信を疑うことに自然となる。

良し悪しなんてものはそれくらいに不確かなもので、世の潮流に流されて決まる流動的なものなのだ。振り子は右に振れたら、左に振れる。

そう考えると自分のやっていることを良いものとして世に認めさせ、形づくることの、これいかに重要たるかというのは作品においてはことさらだ。手っ取り早いのは偉い人に良いと言ってもらうことで、そうすると今日のぼくみたいにフィルターを勝手にみんながこさえてくれて、自然と良いものとしてみてくれる。

とかなんとか言ったんだけれど、

対人においてのフィーリングはやっぱりウマが合うとか合わない、というような形而下のものを超えた形而上のものさしで判断していると考えた方がなんとなく自分の幸福度は高まるとぼくは思う。

その方がそのご縁を大事にできるんじゃないかな?

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