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営業マンという仕事:4

(写真はホームコースである太平洋クラブ相模コース。五分咲きの桜)

時は米国のドットコムバブルが終わり、サブプライムローンの証券化が打ち出の小槌の様に言われていた時期だった。日本もそれに釣られてかなり景気が良く、氷河期世代の採用抑制の煽りを受けて人手不足が騒がれていた。とある外資メーカーの日本法人では年齢構成再編と拡張戦略のため即戦力となる若手営業マンを募集していた。

この頃、私はサラリーマンになるべく様々な情報収集をしていた。まずはどの様にしてその会社に入社したのかを営業的視点から考察、解説して行こうと思う。なぜならば自分が魅力的だと感じた会社に自分を売り込んで採用を得ることは営業に通じていること。同時にその会社がとんでもないブラック企業でなく、かつ自分に合っていて、長く続けられるかどうかを判断するのは、営業の仕事でいう売り先企業の見極めや与信管理に通じるものがあるからだ。

巷には面接のテクニックや資格取得など様々な書籍が乱発しているが、特定のテクニックを技術的に掘り下げ、これをやれば営業として成功できるみたいな言説を展開するつもりはない。

営業という仕事、特に期待される受注を取ってくるという仕事に必要とされるスキルはそういう類ではないのだ。この段階で核心に迫る例えをするならば営業の本質は料理のようなものなのかも知れない。これからの連載で言語化していくので順を追って読んで頂ければ幸いだ。

もちろん、最低限の実務スキルが必要である事が大前提である。しかし入社前ににテストされるのでなければ、実務スキルも後回しにできる。私はこの外資系メーカーの日本法人に20代後半で採用されて約9年働くことになるのだが、入社時はPCスキルさえなく、Word、Excelなどは全くもって出来なかったのである。

これから転職してジョブホッピングをしようとしている若い方達のために、私がガテンからホワイトカラーへの転職を成功させた経緯や、その過程の中で何に注意を払い、どの様に入社する会社を見極め選択し、営業マンとして成長していったのかを経験談を元に解説していくことによってこの投稿を営業バイブルに仕立てていくつもりだ。この連載は20代後半の営業見習いから始まるわけだから、中堅ベテランの方向けの話はもう少し後から始まることになるだろう。しかし中堅ベテランでも何が気づきが欲しい方は最初から読んで頂ければ私の営業哲学を理解しやすくなるかと思う。

話を戻そう。

先ほど述べた様に時代は好景気として捉えられ、大手企業はバブル以降最高益を叩き出すなどITバブルの残り香もあり転職市場は売り手市場であった。その前から転職する決心をしていた私は取り敢えず学歴の無さを補う付加価値をつけるため、TOEICや高卒認定(当時は大検)の取得に力を入れていた。面接にこぎつけるために当時設備業の作業員だった私はギリギリ嘘にはならない職務経歴書の書き方も工夫していた。

ここで、TOEICや職務経歴書の書き方などの技術論を知りたい方はそれ専門の書籍などを本屋で購入しご精読頂ければと思う。

当時転職を決意した時点から学歴と教養の無さを世間一般レベルにするために日経新聞、朝日新聞、産経新聞などを読み漁り、有名どころの作家の本、映画など、とにかくインプットに勤しんでいた。元々好奇心が強いほうなので努力的な辛さはなくむしろ日に日に増えていく知識や知らなかった世界が広がっていく喜びがあった。同時に転職市場のことも調べ上げていた。

この頃、エージェントタイプの転職サイトに登録し、担当者と面談してここでは掘り下げない職務経歴書の上手な書き方や面接時の形式的なお作法をレクチャーしてもらっていた。

当時の転職市場におけるホワイトカラーの求人の多くは大卒が最低限の応募資格で、高卒扱いの私には選択肢が少なかった。しかもこれといった学位もなければ専門もない。応募ができるとしたら営業職しかなかった。もし良い勤め先に出会えなければ2部の夜間大学に通い大卒を取ることも考えていた。

この時点で何がなんでもすぐに転職するのだという焦りがないのがお分かりいただけると思う。まだ当時はブラック企業が多く蔓延っている状態であったし、転職というのは今ほど市民権を得たものではなかった。他所へ行ってもどうせ失敗するという認識の人が多かったのではないか。この日本人の古い傾向は雇用市場の流動性という観点では失われた30年を助長していたし、現在の賃金上昇を阻む一要因として今も影響を与えていると思う。

この様な背景もあって企業は人材不足に悩まされていた。事業を拡張できる引き合い案件は多いがそれをこなす人的リソースが無い状態。求人広告を出しても応募がこない、もしくはプロファイルから外れた人材しか応募して来ずミスマッチが続く状態。転職エージェントも企業側からの引き合いが非常に多いと教えてくれていた。

そのエージェントの担当者が企業に掛け合ってくれるおかげで大卒でなくても面接してくれるという企業がいくつかあり選択肢の広がりに一役買っていた。

特に営業志望で求職活動をしている20代後半は転職市場にはまだ少なかったと思われ、当時私はその立場が新卒と同じカードとして使えると調べ上げていたし、当時働いていた設備会社に10年勤めていて、学歴以上にこの2つの要素が採用企業に好印象を持たせることを認識していた。

さらに付け加えると私は就職氷河期世代であるが、それによって当時就職難に直面したわけでは無い。しかしバブル崩壊後の各企業の新卒採用抑制は、2000年代初頭の転職市場の売り手優位を作り出したと思っている。

最終的に入社を決めた会社に出会うまで10社程度面接して5社から内定を貰えていた。しかし独自の視点でその会社が自分に合っているかを慎重に判断してその5社は内定を辞退した。そして前述の外資系メーカーの日本法人に決めたのだが。次回の投稿ではその入社の判断を決めるのに相手企業のどの辺を見て入る入らないを決めたのか解説したいと思う。


限界突破。殻を破れば新しい世界が見えてくる。
喜びは苦しみの向こう側。

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