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年の離れた毒親育ちの従姉妹の話

親父は団塊世代の75歳(多分)

兄弟が多く、親父は7人兄妹の下から2番目。

戦時中、戦後を経験してる世代。

なので親父とその弟と
親父より上の兄妹は父親が違う。

そもそもの父親は戦死。
その弟が親父の父親だそうだ。

だが、母親がめちゃくちゃな女帝で
かけおちで逃げ出したとか。

親父とその弟は大学まで行っているんだが
父親がいたのか
もういなくて親父の兄妹が出し合ったかは
今もよく知らないが
一番上の姉と兄が親代わりのような話は
聞いた気がする。

私は親父の父親が交通事故に遭ったというので
見舞いに行ったのは覚えている。
新幹線に乗っていったらしいが
それは覚えていなくて
断片的に
ぎゅうぎゅう詰めの車に
同年の従兄弟とかが一緒で出発して
病室で肩にデカい石膏コルセットをしていたのが
私の父方の祖父。

…という記憶しかなく
顔は全く知らない。

大阪に住んでいたそうだが
(他の親戚も大阪にいる)
だいぶ前にこちらに移住してきた。

…が、親父の性格なのか事情ありなのか知らんが
一度も会ったことはない。

親父は曰く。

自分だけが兄妹の中で顔立ちが全く似ていなくて
ある日母親と父親が口論になった時
「こいつはオレの子じゃない!」と
言ったとのこと。

今も真相は不明。

戦後の混乱期ですから。

親父はどこまでが嘘で本当か分からない
話を8割盛るタイプなので…。

親父の実家は徒歩5分程度のとこだが
私の記憶の限り
母親が寝たきりになって毎朝顔を見に行く以外
親戚付き合いは率先してしない人。

その母親は私が中学2年の頃に亡くなっている。
親父は確かまだ40代の頃だ。

そんな親父がどんな時代を過ごしてきたか
特に幼少期の頃は
私には全く想像がつかないくらい昔だ。
親父から昔話をよく聞くが
羊や豚、鶏を飼っていたのは信じるが
あとはよく分からない(笑)

賢かったそうなので
法政大学へ進学して陸上競技に
打ち込んでいたことは知っている。
昔の家の応接間に
三段跳びの瞬間の若かりし頃の親父の写真が
飾られていた。

私はここ15年くらいでようやく
「セブの父親」という人間を知ったと思う。

それまでは仲が悪い以前に
私が家族との関わりを断ちたくて
一人で静かに好きなことを考えたくて生きたくて。

親父の性格も私には合わなくて。

いわゆる「俺様」で。

今で言えばモラハラだと思う。

刃向かえば子供のように逆ギレするし
賢いからなのか屁理屈ばかりだし
自分は一番正しいし
何でもネガティブで考えるし
ケチをつけるのが習慣だし
他人の不幸は蜜の味だし
「日本人」という国民性そのものの塊。

私は…実はその真逆人間なので
(信じられないならそれでいいです笑)
どうしても親父の言うことには
同意ができなかったし
正直、老後の介護絶対したくないし
出来る自信ないからお母さん長生きしてって
思ってたし
棺桶に向かって
テメエのせいで私は!って言おうと思っていた。
本当に。

書ききれないが
いろいろあった。
今もトラウマになっていることもあった。
この人は本当に人の心がある人間か?と思った。
家族を何だと思っているんだろうと
何百回も思った。
私という娘に本当に感心があるのか?
自分の娘だと思っているのか?と思った。

数年前に親父が大腸がんを患った。

結果幸い切除だけで済んで抗がん剤もなく
今も元気にしてはいるんだが
当時
私は年老いたら病気は仕方ないなと思っていたが
当人はやはりショックが大きく
手術前に

「オマエが生まれた時一番に行けなくてゴメン」

…と言って泣いた。

私は本当に驚いてこっちが泣きそうになった。

私なんて生まれてすぐで
記憶なんて今だってないんだから
気にすることじゃないよって答えた気がする。

今思えば
中学の修学旅行の時に
東京に単身赴任中だった親父は
私が泊まっていた宿に突然現れ
お小遣いを渡して行った。
(同級生が騒ついた笑)

親父のエゴと思われるかもだが
幼い頃は定期的に釣り旅行に行った。
毎年同じ民宿だったし温水プール施設だったが
多分当時の私は楽しかったはずだ。

親父が単身赴任中
何度も一人で単身赴任先へ新幹線で行った。
住居は東神奈川駅の目の前のビルで
ベランダから東神奈川駅の線路を見渡せた。
古ぼけた煤まみれのアパートだったが
(13階だった気がする…)
希望を言えば原宿とかに連れてってくれた。

私が大阪で就職する時に
就職先の事務所まで付いてきて(笑)
窓から外を眺めていたのを思い出す。
(私は元アニメーター)

私の夢が漫画家であっても
アニメーターであっても
親父は私には反対意見を言わなかった。

その代わり、実家に戻ってきても
就職の後押しはしてくれなかった。
(就職氷河期真っ只中世代)

仕事がない中、スーパーのレジを見つけて
働いていたら
わざわざご夫婦で買い物に来てくれる(笑)

私が決断した事を反対したのは
住宅ローンを組んで建て替えするか
私がこの家を出るかだ!と言った時のみだった。

住宅ローンを組んだ後も今も
ずっと心配していると思う。

早く終わらせた方がいいと
20年ローンを勧めてきたが
正直私には無理だったため30年。

生涯私は一人で生きるのを
親父は知っていただろうから
心配したんだろうが
言葉のボキャブラリーが足りないから
相手への配慮が足りない言葉選びになる。

ずーっと生きてて
それを知った。

恐らく相手はこう思っているんだろうけど
他に言葉を知らないし
長年周りがそういう表現を使っているし
その言語環境や感情が当たり前になっているから
相手に適切な言葉選びが出来ないんだろうと
私は悟った。

だから切羽詰まった時に
涙を流したのだと思う。

それを見て私は
今までの恨み辛みは捨てた。

親父にも人の心があったと知れたから。

そして親父なりに
親としての役目をしてきたんだと思った。

それをどう感じるか受け止めるかは
その人次第で何もかもが変わる。

だが、本当に毒親育ちで
後の人生で自分自身を一番大事に思うことが
出来なかった人は
こうなるのだなという事を
今日改めて思ったし
私なんかが毒親育ちなんて間違ってたし
ごくごく普通の家庭で
普通になんてことなく育っていける子供は
全体的に見たら多数派だろうけど
一歩間違えたらとも思う。

その狭間で頑張っている子持ちの人は
本当に頑張ってるなと思った。

長すぎる前置きだが
私の年の離れた従姉妹。
60歳くらい。

詳細は知らない。

だが高校時代に未婚の母になり中退。
その子供は養子に出し。
その後何をしていたかは分からんが
2回の離婚。
従姉妹の息子が幼い頃に
婚家へ遊びに行きその息子とよく遊んだ記憶。
息子が二十歳ごろに建設の仕事で落下し
首から下が麻痺。
従姉妹の実家(=親父の実家)にて
息子介護で別居建設、介護はその母親。
どこで何をしていたか
何がどうなんだか
近所なのにサッパリ分からない状況だったが
私の従姉妹が実家に戻り
両親の世話をしていたが。
従姉妹とその父親との関係は最悪のまま。
バイトを3つも掛け持ちしていて(60歳で)
朝は新聞配達、その前にコンビニ夜勤
昼間はスーパーで清掃…。
自身は頚椎損傷で手術をしていて
普通の人の倍歩くくらいの歩き方で
働いていて
その上、痴呆になりほぼ寝たきりの母の介護
モラハラの父親の世話。
近所の叔母の世話から
亡くなるまでの世話。
(叔母の娘は東京在住のため世話は親戚でだった)
私も私の両親も
よく世話をしてくれて本当に感謝したし
モラハラの父親の世話をしているのも
すごいと思っていたのに。

老齢になった親を結局見放し
出て行く騒動を起こし(60歳)
本日、その父親も痴呆が酷くなり
室内が汚物で大変だと言いにきた。

…アンタら親子の事でしょう。

私より酷い状況だったのは分かるが
私は今まで生きてきていろいろ考えた末
我々は運命共同体だと思い
諦めもあり、受け入れもあり、教育もあった。

その従姉妹の父親は相当なモラハラなのは
私も思う。
戦中生まれの父親ですから。
考え方も違う。
その母親もレディースコミックにあるような
絵に描いたような姑。
私の母も随分嫌な思いをしてきた。

世代とは言え。

私は途中でなんとか思い直したし
親父は大腸がんで改心したようにも思う。

叔父さんは…何度も心臓疾患になったのになあ…。

「おじさーん!」と会いに行くと
すごく良い顔をして
嬉しそうにこっちを見てくれていたし
和やかに会話していたのになあ。

言葉の選択が出来ないだけで
本当は伝えたい事はあるのになあ…。

…でも
毒親と言われればそうなんだろうなとも思った。

高校時代にデキてって今の時代とは違うからね。

今はできてから結婚します〜って
カップルも多いけど
戦中生まれの父親の家庭じゃね。
高校中退だったよ。

親父は自分の姪っ子になるから
学生時代打ち込んでたバスケットの試合も
マメに見に行ってたって聞いた。

…親父、普通の人間だったんだって思ったよ。

私はかなり頻繁に
自分の姪っ子は血縁者だから云々じゃなく
一人の人間として見ることが多くて
純粋に可愛がれない事がある。

でも親父はずっと孫が来るのを楽しみにしてる。

そんなに心が豊かな人間だったのかって
私はとても安心する。

親父は自分の姪っ子の父親が兄貴な訳で。

しかもすぐ近所で。

時が来たら頼られるだろうと思ってはいたが
その娘が同居するようになったら
その心配も減る。

自分の父親が毒親だと思っているなら
絶対に実家に戻ってはいけない。

でも貴女は戻る家が存在していた。
その家が今もあるのは
親が存命だからだ。
戻ってきたら親の面倒を放棄する事は
簡単ではない。

だが貴女は戻ってきた。

平和な我が家を巻き込まないでください。

私のお父さんは
愛犬を連れて行くと
随分世話になった兄が、その妻が
嬉しそうな顔をしてくれるから
日参していた。

私のお父さんが厚意で。
喜ぶ顔が見たくて。
少しでも老化が進まないようにと。

その私のお父さんを

貴女は
「〇〇さん(私の父)だってお父ちゃんと一緒だわ!」

と。
酷い言葉を放った事は一生許さない。

確かに毒親かもしれないけど
思い直すことは貴女だって出来る。
努力はしているだろうし
妥協もいっぱいしてきただろうし
近所の唯一の従姉妹だし
その息子は私と同じ誕生日だったから
将来の事もあるしと仲良くしてきたのに。

私の親父の悪口なんて絶対許さないから
私は助ける必要はないと
両親に伝えた。

我が家の地域猫2歳の避妊手術まで
教えてくれたくらい
貴女は元来とても優しいのだから
もっと穏やかになってほしい。

そう思った今日でした。

どこの誰だか分からない人をサポートする勇気は私にはありませんがアセクシャル46歳田舎で独身工場生活に共感いただけたら仕事もまた頑張れます。