トレーナ時代お世話になった研修先①
こんにちは!
海外移住を目指すトレーナーの渡辺です😄
今回はかれこれ20年前、僕がお世話になった研修先について書きたいと思います。
こちらは私の母校もあり、研修先になります🏀
お世話になった研修先『名古屋高校バスケットボール部』
写真は私が高校2年の時ですニコニコ(2列目の真ん中のユニフォーム着ているのが私です、わかりますかね?笑)
小学校5年生からバスケを始めて、中学は県大会1回戦負けのチームでしたが、運よくスポーツ推薦で名古屋高校へ入学することができました。
そして、高校2年の夏あたりまではプレイヤーとして練習しておりましたが、周りの同級生や後輩の実力に高校2年生になる頃にどこかで選手としての限界を感じるようになっていました。
そんな中、毎週来てくれていたトレーナーの方に「アスレティックトレーナー」という仕事があることを教えて頂きました。
今の原点はそのトレーナーさんのお陰です。
部活を続けながら自分のプレイヤーとしての状況とチーム状況を考え、自分がプレイヤーでいるよりも裏方で選手をサポートする立場になった方がチームの為になると思い、高校二年の途中からマネージャーになることを決意しました。
マネージャーというチームの役割を通して、毎週見えていたトレーナーの方にストレッチやマッサージ、テーピングの巻き方などを教わりました。
最後は、ウインターカップの決勝で負けて全国大会は逃しましたが、愛知県のチームの中で一番遅くまで戦えたこと、3年間みっちりとバスケに向き合えたことは本当に大きな財産です。
試合に負けた後、恩師の言葉が忘れられません。
「下を向くな。終わりは始まりだ。次への新しいスタートだ。」
今でも悔しいことやうまくいかないことが起きて、物事が終わる時はこの言葉を思い出します。
全国大会出場という目標は叶わなかったのですが、試合が終わって最後まで戦った同級生や後輩から感謝の気持ちを
言葉でもらった時に、選手のために行ったことが、何倍にもなって自分に返ってきたことが忘れられない思い出となっております。
そういった経験から、これほどにやりがいのある仕事が将来の職業になっていたら、こんなに素晴らしいことはないと、
この仕事を目指すきっかけとなりました。
そして、大学に進学してトレーナーを目指すときに一番初めにお世話になったのが、
我が母校「名古屋高校バスケットボール部」です。
母校へ見えていたトレーナーの方の下で一から学ばせて頂きました。
恩師の竹之下先生の下で、高校卒業した後も、トレーナーとして、一人の大人としてビシバシ鍛えて頂きました(^^;
母校の最高成績がウインターカップ準優勝でしたが、その翌年にインターハイへ初出場も叶いました。
初めてトレーナーとして、県外帯同した「2002茨城インターハイ」のあの暑い夏は今でも忘れられません。
高校と併せて約7年お世話になりました。
選手としてもトレーナーとしても、青春時代の辛いことも楽しいことも一番味わった時期でした。
今の私の原点の一つは間違いなく、母校「名古屋高校バスケットボール部」です。
本当にお世話になりました(^_^)
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