前世を確信するプロセス|ホレス・ウォルポール編

ここまで、概論的な内容を中心に綴ってきました。ここから少しずつ、各論も綴り始めようと思います。noteで綴っているものの本題とも言える、わたしの前世探求のプロセスです。その候補と、どの様に出会い、どのような経過を経て、確信に至ったのかのストーリーです。

今回は、18世紀のイギリスでの前世ホレス・ウォルポール(1717年9月24日 - 1797年3月2日。以下、「ホレス」)が確定するまでのものです。前世探求としては、比較的最近の前世のため、割と充実した検証がしやすかった前世です。

イギリスの前世の可能性を感じていた

まず、ホレスとの出会いの前段として、イギリスの前世があるであろうと予測していました。

理由は大きく2点。

まず、人々の存在です。わたしには、人の前世をリーディングできる方との付き合いがあり、その周辺の方々との繋がりもあります。その中でも、特に親しくさせていただいている方々の顔ぶれを見ると、前世がイギリス人だった(とリーディングで伝えられた)方々が多かったのです。まず、このように身近な人間関係が大きなヒントになります。わたしたちは必ずグループで転生する傾向にあるからです。

もう一点は、わたし自身の嗜好です。ファッションや音楽など、文化的側面で、イギリス的なものばかり好んでいたこと。また紅茶が好きだったり、イギリス英語を聞いていると、内容が分かるかはさて置きとして、その響きに妙に気分が高揚するのを感じます。大抵の日本人は、英語に堪能な方でもアメリカ英語に親しんでいる場合が多く、イギリス英語には違和感を訴える場合が殆ど。わたしのようにイギリス英語の響きに魅了される方は稀です。

周囲の人間関係、そして、わたし自身が何故か惹かれるという事実。この両面が揃っていることが、イギリス人だったであろうという見立てに繋がっていました。

ホレス・ウォルポールとの出会い

ホレスその人との出会いは、わたしが30歳の時です。2006年の3月3日に結婚をして、その翌月のことでした(ちなみに、現在は離婚しています。)。ひょんなことから、パートナーの子供時代の思い出話に花が咲いた時のことです。

彼女が5歳くらいの頃。当時、大事にしていたクマのぬいぐるみがありました。それがとてもお気に入りだったそうで、肌身離さず持ち歩いていたそうです。そして、他の子供がするのと同じように、名前を付けました。

でも、その名前は、ちょっと他の子供とは違う感じでした。

「セレンディピティちゃん」

周りの大人は、「そんな難しい言葉をどこで覚えたの?もっと呼びやすい名前にすれば?」と提案したそうですが、断固として「セレンディピティちゃん」を押し通したのだそうです。

それを聞いて、わたしはハッと「これは前世の記憶が出てきていたのかもしれない!」と直感し、すぐに調べ始めました。

ネットで「セレンディピティ」を検索して、最初にヒットしたのが、このホレスでした。彼の造語だったからです。

本人だけでなく、周囲の人物も似ている

ホレスは18世紀のイギリス人。貴族でしたので、肖像画も、すぐに見つかりました。その画像を目にした時、その顔立ちに驚きました。わたしにソックリだったからです。目鼻立ち、眉毛の形や長さ、そしてポーズの取り方など、色んなところで似ていました。前世の特徴として、顔立ちが似ているケースは多いものですが、これには流石に興奮しました。

ソックリなのは、わたしとホレスだけに留まりません。

まず、ホレスを調べていると、必ず出てくる人物の一人にトーマス・グレイ(以下、「グレイ」)がいます。このグレイが、この時のパートナーとソックリ。この時は男性ですが、男女が入れ替わることは普通に有り得ることですし、実際、ホレスとグレイはゲイのカップルだったと言われています。この時は同性でしたが、今世では男女としてカップルになりました。

また、グレイはホレスより1歳年上。今回も、パートナーのほうが1歳年上でした。これも共通点として挙げられます。

下の画像の右がグレイですが、男性としては、かなり中性的な雰囲気ですよね。(左がホレス。)

そして、次いでホレスの両親の画像も見つかります。今度は、義理の両親にソックリだったのです。このソックリさ加減は、わたしのケース以上で、単に服装をそのまま変えただけのようでした。前世などに理解の無い方でも「似ている!」と驚くほどです。

画像1

しかし、この時点では、まだ自分の前世だと決めるには時期尚早という判断をしました。限りなく、この人物だろうという感触はありましたが、要は、「こんな簡単に見つかるものか」という思いもありました。顔が似ているだけで判断するのでは、説得力がないと思っていましたので、その後も折に触れて、ホレスについて触れられている本を買ってきたりと、色んな情報を探ってみましたが、あまり大きな情報は手に入りませんでした。

と同時に、否定材料も見つからなかったのですが。

ホレスを確信した瞬間

状況が大きく動くことになるのは、2008年の10月から、わたしとパートナーは、ひょんなことからイギリスはロンドンへ留学することになったことです。もちろんこれは、前世探求が名目ではありませんでした(笑)が、内心、「これはホレスに関する原資料的なものを手に入れるチャンスだ」と心踊らせていました。

しかし、ロンドンに住み始めて、わたしの英語力の拙さもあり、またホレス自身も、それほど有名な人物ではないため、思うように情報は手に入らずに、日々は過ぎていきました。

そんな留学2年目となった2010年3月2日。この日、パートナーと二人でヴィクトリア・アンド・アルバート博物館に出掛けた時のことです。館内を歩いていたら、突然、見覚えのある顔が印刷されたのぼりが目に入りました。一瞬、我が目を疑いましたが、あのホレスの顔です。

のぼりをよく読むと、ホレスが蒐集した品々を集めた展示会を開催するという予告でした。ホレスは、アンティーク・コレクターとしても知られており、彼の死後、散逸してしまった品々が、二百数十年ぶりに一堂に会するという企画展の告知のだったのです。

この瞬間、ホレスが前世であると確信しました。というよりもむしろ、肚落ちしたという感覚です。ずっと「違うだろう」と疑い続けていましたので、「疑い続けて、ごめんなさい!」という心境でした。

この日は、奇しくもホレスの命日。そのことも、わたしに、これ以上の疑いの余地を差し挟むことを許してくれませんでした。

ちなみに、この日、V&A博物館に出掛けたのは、二人の結婚記念日のデートとしてでした。本当は3月3日にしたかったのですが、お互いの予定が合わず、たまたま、その前日になりました。

3月3日に結婚したのは、わたしたちの初デートの日にちなんででした。でも、本当の初デートの日は3月2日だったのです。ホレスの命日に二人の交際が始まっているのも、前世探求のシンクロです。

ホレス復活の暗示

実は、わたしたちの留学と時を同じくして、面白いことが起きていました。

ホレスが住まいとしていたStrawberry Hill House(以下、「SHH」)は、今でも残っています。しかし、彼の死後から200年以上が経ち、修繕などを繰り返したその姿は、当時のものとは随分と違うものになっていました。その姿は、2006年に新婚旅行で訪ねた時にも目にしています。建物の形はそのままですが、外装も内装も、当時の雰囲気は完全に失われていました。

(ちなみに、よく間違われるのですが、ビートルズの有名な曲とは関係ありません。そちらはストロベリー・フィールズ。ホレスのはストロベリー・ヒル。)

ところが、わたしたちがロンドンに住み始める少し前から、そのSHHを、ホレスが住んでいた頃の姿に戻そうという工事が始まったのです。そして、約2年かけて当時の姿を取り戻しました。2年というのは、わたしたちが留学していた期間とほぼ同じ期間です(完成する直前に帰国することになったのですが。)

まるで、わたしたちのロンドン入りに合わせたかのように思えました。それは正にホレスが現代に復活するということを象徴していた出来事だと感じています。

同じ実体同士で共に海外へ

18世紀のイギリスの貴族社会は、子息をイタリアに遊学させることがよく行われていました。当時のヨーロッパでは、イタリアが最先端とされており、イギリスはヨーロッパの中では田舎と見られていました。そのため、最先端のイタリアで最先端の文化などに触れ、教養を深めさせようというもの。同時に、貴族のステータスを誇示することがあるとも言われます。単に子供を単身、送り出すだけではなく、身の回りの世話をする係などを同行させますから、現代の留学のイメージよりもずっと大掛かりになり、当然、コストもかかりますから、イギリス貴族の見栄の張り合いもあったのでしょうね。

ホレスも当時の例に漏れず遊学しています。グレイを伴って。つまり、わたしが当時のパートナーと一緒に留学したのと同じ顔ぶれになります。そして、今世での留学資金は、ある程度は自分たちで用意しましたが、義理の両親に支えられたところがあります。つまり、当時も今世でも、同じ人物の経済的支援を受けて留学(遊学)しているのです。

また、ホレスとグレイは別々に帰国したとされています。実は、わたしたちも、ビザの関係で別々に帰国することになりました。別々に帰国後、ホレスとグレイは、しばらくの間、疎遠になりますが、それと同じように、わたしたちも離婚という形で疎遠になりました。ホレスとグレイは、その後和解し、ホレスの所有する印刷所でグレイの作品を印刷・出版するなど、交流が再開されますが、果たして、今世ではどうなるのでしょうか?

ちなみに、ホレスとグレイが別々に帰国したのは喧嘩が原因だったと言われます。その喧嘩の仕方が、その後、わたしが離婚に至るプロセスなど、交際相手を上手くいかなくなる時と似ている感じがします。恥ずかしながら。

遅れてきた息子

他のシンクロにも、いくつか触れておきたいと思います。

ホレスは、両親の結婚17年目に思いがけず授かった、いわば遅れてきた息子でした。今世でも血は繋がりはなかったものの、遅れてきた息子として2人の人生に登場することになりました。

遅れてきた息子は母のキャサリンに溺愛されました。夫のロバートが多忙を理由に殆ど家におらず、寂しさを募らせていたとも言われます。そのためか、ホレスはマザコンであったという記事も目にしたことがあります。彼がゲイになったのも、そういった環境の影響もあったかもしれません。

今世では、義理の母として出会うのですが、やはりとても気に入ってくれました。わたしたちが結婚を決めた際、向こうの一家の方々は、揃って反対されたそうですが、唯一、義母だけが賛成してくれ、他の家族や親戚を説得して回ってくれたとのことでした。結婚後も、義母と二人でよくお茶をしたものです。

また、義父も最終的には、わたしのことを認めてくれ、可愛がってくれました。特に前世とかは信じない方でしたが、本当の息子のように感じるようになったそうです。わたし自身も、実の親よりも親のように感じたものです。血は繋がってないのに、きょうだいや親/子のように感じるというのは、前世で実際に、そのような関係だったことが背景にあることがあります。これは、その実例と言えるでしょう。

住む所の相似性

他のシンクロも、挙げておくと、住む場所です。これが対応関係にあると言えます。

ホレスは30歳で、SHHを購入し、移り住みます。その後、SHHは、ゴシック趣味の建物に改修されていきます。わたしは30歳で結婚を期に都内のパートナーの実家へ移り住みます。この家は、洋風の建物で、立派な作りでした。

SHHはロンドンの西部に位置しています。わたしが住んだ場所も東京の西部(新宿と練馬の中間付近)にありました。その国の首都の西側に住んだという点で共通しています。

他の前世との関連していく

これは余談になりますが、わたしたちが留学する際、ビザを取得したわけですが、その発行日は9/17でした。わたしの場合、9/17にある種の節目を迎えることが多いのですが、これは他の前世の判明によって、その背景が見えてきました。複数の前世が判明するに従って、次第に立体感を増してくる感覚を覚えます。

まとめ

わたしの前世の一つが確定するまでのストーリーから、様々な相似性についてを書きました。比較的最近の前世でしたので、情報も他の時代に比べれば集めやすかった事例になります。

何か感ずるところがありましたら、お聞かせいただけたら嬉しいです。

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