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日本語における未来形の使い分け

今回は、日中の翻訳者向け、とりわけ日本語の未来形の使い分けについて解説したいと思います。

皆さんは中国語における未来形はどのようなものがあると考えますか。一般的には「将」「要」「会」などが未来形にあたる言葉だという知識を持っていると思います。

しかしこれらを単純一律に「することになっている」「していく」などに翻訳していいのでしょうか。実は日本語においては、同じ未来形であっても、主語や行動主体如何によっては、使い分けるべき場面があるのです。特に気をつけるべきは、自分、または自分が所属する団体が主語や行動主体になった場合です。

では「私」を主語にして、一般的に日本語の未来形と呼ばれる文章を列挙してみましょう。

・私は学校に行く

この文に日本語として違和感は感じられません。なぜならこの言外には「自身が」「自分の意思で」学校に行くという意味合いが含まれているからです。主体が「私」ですから「私の意思」で行くことに何ら変なところはありません。

・私は学校に行くことになっている

この文章もぎりぎり大丈夫でしょう。言外には「学校に行く行動計画や予定がある。この計画は過去に第三者、または自身が立てたものである」という意味合いが含まれています。

・私は学校に行くことになる

この文章については、多くの日本語ネイティブが違和感を感じるはずです。その違和感の鍵は「なる」という未来形です。言外に「学校に行く行動計画や予定がある。この計画は第三者、または自身が自分の意思とは関係なく立てることになっている」という意味合いが付与されるからです。自身が「自分の意思とは関係なく勝手に」計画を立てるなどは、あり得ません。この言外のニュアンスが多くの日本語ネイティブに違和感をもたらしていると言えます。

・私は学校に行くだろう

これも同じように多くの多くの日本語ネイティブが違和感を感じるはずです。その理由は「推量」です。行く「だろう」と推量していますが、自分の行動は自分が一番よく知っているわけですから、「自分の行動を推し量る」ことはまずあり得ません。このため、未来形の訳としては一番不適切だと言えます。

これらの日本語文の対訳となる中国語文は「我去学校」が基本となりますが、そこに仮に中国語の未来を示す副詞「将」(することになっている)「要」(していく)「会」(するだろう)があった場合、皆さんは教科書通りに日本語訳をしますか。

先の未来形の例文を見てわかるように、行動主体(主語)が「私」だったした場合、自分のことは自分が一番よく分かっているはずですから、やはり中国語の原文が未来に発生する可能性を示す「将」(することになっている)「会」(するだろう)が含まれていたとしても、教科書通りの訳を避けなければならないわけです。

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行動主体が「私」ならば、比較的わかりやすいのですが、ニュース翻訳においては国の高官、報道官が「中国を代表して」発言する場面が多々あります。この場合は、自分は中国の事を一番よく知っているという前提で断定口調で訳さなければなりません。例えばこのような文があった場合はどう訳しますか。

外交部长王毅说,中国坚定不移奉行一个中国政策。

適訳としては、

王毅外交部長は「中国は一つの中国の政策を確固不動に遂行していく」と述べた。

となるでしょう。今回焦点となるのは、王毅部長の発言内容「中国は一つの中国の政策を確固不動に遂行していく」です。

上記の例で考えるなら、同じ未来形表現として、

中国は一つの中国の政策を確固不動に遂行することにしている

中国は一つの中国の政策を確固不動に遂行することになる

中国は一つの中国の政策を確固不動に遂行するだろう

などなどが考えられます。

しかし王毅部長は「中国を代表して」外交の場で中国の立場を表明しているわけですから、あいまいな表現を使うとやはり読み手は、「中国政府の代表者なのに?」と違和感を感じることでしょう。ですから、未来形の断定表現で行くことが適切だと考えられます。

日本語の未来形にはこのほかにもいくつか考えられますが、まずは主語、行動主体が「你」なのか「我」なのか「他」なのかをはっきり見極めた上で未来形の表現を選ぶようにしましょう。

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