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ソ連で出版された日本文学とか‐3

 本シリーズを書くにあたっては、参考情報として発行年、発行部数、価格の他に、能う限りにおいて翻訳者の名も記している。情報としてどの程度価値があるかは分からないが、同業者として、先達への敬意として記載する

 歴史について少々。

 1917年の革命以前、日本文学のロシア語翻訳は極めて少数。その多くは詩歌で、しかも欧州言語からの重訳であったという。

 日本に対する関心はジャポニズムに牽引されて、美術方面に偏っていたようだ(参考文献:ジャポニズムから見たロシア美術 https://honto.jp/netstore/pd-book_02569470.html)。アレクサンドル・メシェリャコフは、日露戦争が日本に対する関心を喚起した一つの転機となったと指摘する。日露戦争から革命までの間に日本に留学した人物の中にはニコライ・コンラド、セルゲイ・エリセーエフ、ニコライ・ネフスキーら、後の日本研究界のビッグネームが揃っている。

 日本を含む東洋学の研究は次第に発展をみるものの、革命と内戦の混乱の中、日本文学の翻訳も低調のまま。さらにその後は、多くの日本研究者が粛清の犠牲となった。エリセーエフは亡命、ネフスキーは処刑され、コンラドやイリーナ・リヴォワ(ヨッフェ)も収容所を経験している。

 しかし1956年のスターリン批判を契機に、まずイデオロギーの枷がある程度緩められる。1950年代末から、外国語文学のロシア語訳は激増した。さらに日ソ国交正常化も日本研究に追い風となり、日本文学は古典・現代を問わず幅広く翻訳出版されるようになった。キム・レーホも指摘する通り、日本文学の翻訳は60~80年代に隆盛を誇り、実際、需要も高かったらしい。

 ソ連の世界観にそぐわない書物の刊行は引き続き不可能だったとはいえ、各出版社は採算計画に見合うよう、読者の嗜好を反映した翻訳出版を心がけていたのも事実である。

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(上段左)

東洋の現代短編集 「第三十六号」 1968年  3万部 0.36ルーブル

ナウカ出版が刊行していたシリーズで、国や地域別にまとめられていたようだ。本書は日本の作家特集。作者の解説付き。以下は収録作で、翻訳者名を併記する。

井伏鱒二「乗合自動車」 O.ヴォイニュシュ

野間宏「第三十六号」 E.ピヌス

大江健三郎「奇妙な仕事」 A.バビンツェフ

井上光晴「雪とパラソル」 G.マクシモワ

伊藤整「美少女」 D.ブガーエワ

梅崎春生「眼鏡の話」 A.バビンツェフ

佐多稲子「若いものと老人たち」 G.インメルマン

安部公房「闖入者」 G.イワノワ

島木健作「黒猫」 D.ブガーエワ


(上段右)「ヒロシマの3人の詩人たち」 1970年 1万部 0.54ルーブル

翻訳:アナトリー・マモーノフ

峠三吉原民喜深川宗俊の3人の詩集。


(下段左)小松左京 「明日泥棒」 1970年 発行部数の記載ナシ  0.69ルーブル 

翻訳:Z.ラヒム

小松左京の短編集。表題作を含む13編を収録。


(下段右)「日本の短編小説 1960-1970」 1972年 部数記載無し 1.46ルーブル

ハードカバーで値段もちょっと高め。原題が判明できなかった作品については、これを省略。

安部公房「子供部屋」 V.グリヴニン

阿部知二  S.グテルマン

吉行淳之介「不意の出来事」 L.グロムコフスカヤ 

石川達三 V.ログノワ

川端康成 「竹の声 桃の花」 B.ラスキン

開高健 Z.ラヒム

北杜夫「黄いろい船」  B.ラスキン

窪田精「遠いレイテの海」 L.ログノワ

武者小路実篤 (原題不明だが、”山谷もの”の一つ) Z.ラヒム

永井龍男 S.グテルマン

中村真一郎 「生き残った恐怖」  L.イェルマコワ  

大庭みな子「三匹の蟹」 Z.ラヒム

大岡昇平 Z.ラヒム

大城立裕「カクテル・パーティー」  L.レーヴィン

大江健三郎「核時代の森の隠遁者」 Z.ラヒム

佐藤愛子 O.モロシュキナ

高橋光子「蝶の季節」 Z.ラヒム

宇能鴻一郎「鯨神」 T.グリゴリエワ

深沢七郎 A.ステルリング

遠藤周作「肉親再会」 S.グテルマン

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開高健「日本三文オペラ」 1971年  5万部 0.64ルーブル

翻訳:ボリス・ラスキン

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とびら。「たばこ」や「鹿乃子」といった看板が良い。

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大原富枝 「婉という女」 1973年 10万部 0.44ルーブル

翻訳:I.リヴォワ

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挿絵。

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(左)夏目漱石「三四郎」「それから」「門」 1973年 7万5000部 1.12ルーブル 翻訳:A.リャブキン

(右)大江健三郎「遅れてきた青年」 1973年 部数記載なし 1.19ルーブル 翻訳:V.グリヴニン

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開高健「青い月曜日」 1975年 5万部 0.89ルーブル 翻訳:B.ラスキン

ロシア語タイトルは英語のブルーマンデーに基づく「苦い宿酔」となっている。

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裏表紙。

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(左)川端康成 「山の音」 1975年 10万部  0.75ルーブル 翻訳:V.グリヴニン

(右)三遊亭圓朝 「牡丹灯籠」 1976年 10万部 0.34ルーブル 翻訳:A.ストルガツキー

訳者は、あのストルガツキー兄弟のアルカージー・ストルガツキーである。

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(左)井上靖「おろしあ国酔夢譚」 1977年 5万部 1.20ルーブル 翻訳:B.ラスキン

(右)開高健「巨人と玩具」 1978年 10万部 1ルーブル 翻訳:Z.ラヒム 表題作のほか、「裸の王様」「パニック」を収録。

「巨人と玩具」の挿絵は不気味だが、印象的。表紙もかっこいいと思う。

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怖い。

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「インド、中国、朝鮮、ベトナム、日本の古典詩歌」 1977年 30万3千部 4.80ルーブル

翻訳:A.グルスキナ、V.サノーヴィチ、N.コンラド、V.マルコワ、A.ドーリン

部数がすごい。索引含め900ページ超の分厚い1冊。もちろん解説も豊富で、各国の絵画がカラーで挿入されている。

時代別に多くの歌人の作が収録されている。柿本人麻呂、山部赤人、小野篁、大伴旅人、大伴家持、山上憶良、在原業平、小野小町など、百人一首でお馴染み(?)の名前がずらり。時代下って17~18世紀からは芭蕉、蕪村、一茶、良寛、松倉嵐蘭、加賀千代、賀茂真淵、田安宗武など多数。

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上は山部赤人。下は雪舟の雉図。印刷の質はあまりよくない。

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以下は、研究書など日本関連書籍。

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A.カフコ 「日本をゆく」 1970年 1万5千部 0.55ルーブル

16.5センチ四方の、日本案内本。各都道府県と観光名所の解説、文化や慣習、産業、労働環境などのテーマを扱っている。写真も、都市の景観や観光スポット、街の人々や労働者などさまざま。著者については情報が乏しいが、本書によると、通訳として1957年以降15回訪日しているという。

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左は新潟港。

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左は東京近郊、右は大坂城。

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上段左:G.D.イワノワ「大逆事件」 1972年 2900部 0.89ルーブル 大逆事件の研究書

上段中:「日本 経済便覧」 1971年 3万7千部 0.57ルーブル 産業やインフラ、各種経済指標などの数値を網羅した専門書。日本の経済統計年報や日本統計年鑑などが出典として明記されている。…これ、市販されていたのかな??

上段右:N.コンラド「日本文学概論」 1973年 6000部 1.32ルーブル 日本研究の大家ニコライ・コンラドの死後に刊行された論文集。

下段左:ナターリヤ・フェリドマン=コンラド 「日本のプロレタリア文学運動」 1972年 1000部 1.36ルーブル 著者はN.コンラドの妻で、その元門下生の翻訳家。

下段右:A.マモーノフ「淀川のほとりの出会い」 1975年 1万5千部 0.28ルーブル 著者は通訳・翻訳家。日本の詩人や作家たちとの出会いを綴ったエッセー。

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ドナルド・キーン「17~19世紀の日本文学」 1978年 7500部 3.10ルーブル 翻訳:A.ドーリン、I.リヴォワ、T.レディコ、V.マルコワ

なんとドナルド・キーン氏の本である。主に浮世絵などの図版が入り、一部はカラー。印刷の質も良い。

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B.ヴォロビヨフ、G.ソコロワ 「日本の科学・技術・手工業の歴史」 1976年 7800部 0.91ルーブル 古代から江戸期の日本の自然科学や工芸の発展について、時代ごとに詳説。

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50の図版が掲載されている。

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 次回は80年代で、このシリーズ終わり。だと思う。部屋が片付かねえ。

参考文献:

ユリア・ミハイロバ、イリーナ・レベデバ、ネリー・レシチェンコ「ソ連の日本研究(文学・経済学・歴史学)」https://core.ac.uk/download/pdf/198397296.pdf

Я.Д. Галимова 「Япония в советской реальности: образ страны на страницах советской периодической печати (1956-1985 гг. )」
https://cyberleninka.ru/article/n/yaponiya-v-sovetskoy-realnosti-obraz-strany-na-stranitsah-sovetskoy-periodicheskoy-pechati-1956-1985-gg/viewer

キム・レーホ「『ソ連』における現代日本文学研究」
https://core.ac.uk/download/pdf/198406308.pdf

А.Н.Мещеряков 「Восприятие хэйанской литературы в СССР и России」
https://cyberleninka.ru/article/n/vospriyatie-heyanskoy-literatury-v-sssr-i-rossii/viewer





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