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[短編] スターゲイト

 今回は友人Aに関する話となる。
 彼の友人Kがコンピュータ業界のノーベル賞とも呼ばれるノイマン賞を受賞した。たまたま僕はAと一緒に居酒屋へ行く機会があって、Kのことが話題になった。
「それにしても、あの若さでノイマン賞を受賞するというのはすごいな」
 それを聞いたAは、急に顔を曇らせた。
「たしかにすごいよね。彼にしかできないことだと思うよ」
「なんだか『訳あり』って感じだね。まあ何かを成し遂げる人ほど尖っていることが多いものな」
 ストレートに表情に出ることは余程のことだと思って、僕は慌ててカバーした。
 彼にもそのことが伝ったのだろう。
「いや、顔に出てしまったね。心配させて申し訳ない」
「君に困ったことが起こっていなければ、それでいいさ」
 Aも研究者で、たしかKとは同じ階に研究室を持っている。同じ研究者として、いろいろと思うところがあるのかもしれない。
「困ったことか……」
 ところが僕の予想に反して、Aの反応は深刻だった。
「僕に話して楽になることがあったら、何でも聞くよ」
「ありがとう」
「言いにくいことだったら、別に無理に話す必要はないよ」
「ははは、君は相変わらずだな」
 そういうと、Aは力なく笑った。
「……そうだな、君には聞いてもらっておいた方が良いかもしれない」
「それはルポライターとしての僕に対してかい?」
 僕の問いかけに、Aは黙った頷いた。
 それからまるで自分の知り合いが周囲にいないことを確認するかのように後ろの方まで振り返ってから、手酌でコップにビールを注いだ。
 今日は平日の夕方だったせいか、居酒屋は閑散としていた。
 その様子に安心したかのか、Aは話を始めた。
「実はね、妻が亡くなったんだ」
「えっ、B美さんが?」
「そうさ……、それで今日は君と飲む時間も確保できた訳だ」
 AとB美さんに子供はおらず、おしどり夫婦として仲間内では有名だった。突然の話に、僕はいきなりショックを受けた。
 いくら身内とはいえ、冷静さを失うというのはルポライター失格かもしれない。そう思いながら、なんとか口を開く。
「申し訳ない。全くしなかったよ」
「いや……、仲間内では、誰にも話していないからね。今まで隠していたんだ」
「どうして隠すようなことをしていたんだい?」
 我ながら会話が直球すぎる。まだ平成を取り戻せていないのかもしれない。いやルポライターをやっているけど、僕の取材力なんて大したことはないのかもしれない。
 しかし彼は僕の動揺に気づくような素振りを見せず、淡々と話を続けた。
「せっかくKが受賞したからね」
「『Kが受賞したから』というと?」
 彼は僕に視線を合わせると、静かに頷いた。
「実は一年ほど前に、彼女はKの研究を手伝ったんだ」
「ふむ」
「研究を手伝うと言っても、共同研究者になったとか、助手をやったんじゃないーー。被験体というのが、どちらかというと正しいかな」
「被験体?」
 Aは頷く。
「Kの研究がAI……人工知能だというのは、君も知っているだろう」
「ああ」
「彼の最終的な目標AGI……General……つまり汎用人工知能の実現なんだよ」
「最近は生成AIの中核となるLLM……大規模言語モデルが実用化されて、近いうちに実現されるだろうと予想する人も出て来ているね」
「そこなんだよ」
「そこ?」
 Aはコップのビールを、一気に半分ほど飲み干した。
「大規模言語モデルの開発における問題点は、そもそもAIに学習させる言語データの量が制限されているという点にある。今ではインターネットが発達してデジタル化されたデータも多くなって来たけど、人間が言語というものを発明してから蓄積して来たデータ量なんて、たかが知れている」
「僕からすると超大規模データだけれども、AIを研究する君らから見ると、データ量は少な過ぎるということか」
「ああ」
 そういうと、コップに半分ほど残ったビールを飲み干した。
 コップの水が『半分も』なのか『半分しか』と表現することで特定の人間の性格を判断することができるらしいけど、空になったコップに『空』で良いだろう。
 さてそれはともかく、Aにビールをお酌するかと悩んでいたら、Aが再び口を開いた。
「ところで君は変だとは思わないかい?」
「『変』って、どこのあたりが?」
 じっとコップを見つめたまま、Aは返事をした。
「人工知能を研究するのに、人類が今まで蓄積して来た言語データでも足りないという話だよ」
「あっ、そういうことか」
「そういうことだよ」
 僕はAが何を言いたいのか、なんとなく察することができた。
 汎用人工知能とは『人間のように振る舞う人工知能』のことだ。つまりAI錬金術師が人間を錬成するようなものだ。もちろん恐ろしく高度な技術が必要となるかもしれないけれども、データという意味では『人類が今まで蓄積してきた叡智』など必要ない。つまるところ、人間一人分のデータがあれば十分だ。
「なるほどねえ」
「そしてここからは憶測になってしまうけれども、Kは『特定の人間のデータ』に着目したらしい」
「『特定の人間』か」
「最初は子供を利用しようと考えたらしいよ」
「それは難しいだろうな」
 Aは頷いた。
「児童心理学の研究などだったらともかく、AI研究だからね。児童虐待とか、いろいろとリスクはある。しかし僕たち研究者は特殊だし、こう言っては何だけれども知能指数も高い。だからB美が手伝うことになったらしいんだよ。君も知っての通り、彼女は高卒だ」
「そう聞いたことがあったね」
「で、彼女がKの研究を手伝うことになった。僕としても家で一人寂しく留守番させているのは申し訳ないと思っていたので、最初は喜んだものだよ」
「最初は……、意味深だね」
「ああ」
 Aは自分で、空になっていたコップにビールを注いだ。
「手酌をさせて申し訳ない」
「いや、そんなこと気にする必要ないよ……、それよりも話の続きだ。と、言っても、実は語るようなことは殆どないけど」
「殆どない?」
「始めて一ヶ月の進捗は遅々としたものだったらしい。それがある日、彼女が『今日は疲れた』といって夜遅くに帰宅したんだ。そしてシャワーも浴びずに布団に倒れ込んで、翌日は目覚めることがなかったというオチさ」
「目覚めない……、亡くなったということか」
 彼は再び、あおるようにコップのビールを一気飲みした。
「夜中に心不全を起こしていたらしい。死亡診断書には「心不全」と書かれたよ……、そして数日したら、彼の研究は一気に進んでいた」
「一気に進んでいた?」
「大学の研究室にある貧弱なコンピュータ機器で開発された大規模言語モデルが、数百億円をかけて構築された大規模AI環境で開発された大規模言語モデルよりも優れた応答を実現してしまった。Kの研究室にいる助教がSNSに投稿して注目されたけど、当時は大変な話題になったよ」
「助教がSNSに投稿した?」
「ああ、その大規模言語モデルHappy FantableというLLM公開サイトにも提供されたんだけど、そのモデルを試した人たちが口を揃えて驚いた」
「君はAIは専門じゃないのに、ずいぶんと詳しいんだね」
「そりゃ、いろいろと調べたからなあ」
 Aはまたしてもコップにビールを注いだ。小さなコップだから飲み過ぎということはないけれども、僕は少し心配になった。
「ペースが上がってきたけど、大丈夫かい」
「次の話をしたら、すぐに下がるよ」
「次の話か」
「ああ」
 しばらくの間、彼は少し考えているようだった。僕は黙って、自分のコップにもビールを注いだ。
 数分が経過した頃だろうか。少しだけ部屋の明かりが暗くなったような気がした時に、彼は再び口を開いた。
「彼の大規模言語モデルの成長は、それだけでは終わらなかった……、ところがそこでも妙な事件が起こったんだ」
「……」
 彼は話を続けた。
「K……、少しだけ客も増えたようだし、もうあまり名前を出さない方が良いかな。彼の研究室に入ったばかりの若い男女の学生が、二人揃って心不全で亡くなったんだ。さすがに二人揃って亡くなることは珍しいので、僕らの研究科には大学の医療チームや警察がやって来て、あれこれと調査されたよ」
「そんなことがあったのか」
「ああ、だから事件のことも知っているんだけどね……、で、一週間くらい過ぎた後で、彼のモデルはさらに進歩した。それが今回の受賞対象となったんだ」
「その進歩した内容が、訳ありなのか」
 Aは頷いた。
「新しいモデルはMoEと呼ばれるものだった。Mixture of Experts……、つまるところは三つのモデルを統合して、一つのAIとして動かすんだ」
 今度は珍しく僕が頷いた。
「三つのモデルを統合することによってAIの性能を上げるんだね。そういえば子供の頃に呼んだレンズマンという小説でも、アリシアのメンターと呼ばれる存在は四人が精神融合して単一の知的存在として振る舞っていたことを思い出したよ。なんか黒魔術をイメージしてしてしまうね」
「魔合体じゃなくて黒魔術というあたり、君も相当詳しそうだね」
「一年前は知られていなかったけど、今ではMoEが当たり前のようになっているからね。僕みたいなルポライターだって、最大手の生成AIサービスが採用したことが話題になったから知っているよ」
「それを彼は、一年前の段階で実現したのさ」
「それはすごい」
「AIを使ってね」
「なるほど」
 AIを駆使して複合型AIを構築する……、たしかにすごい。しかし世界トップレベルの技術者がしのぎを削っている分野で、そのアイディアだけで成功するものだろうか。
 まるでそんな僕の感想を見透かしたのように、彼は話を続けた。
「アイディア自体は誰もが思いつくだろう。しかし彼だけが成功したのには、理由があるんだ」
「彼だけが成功したのか」
「そう……、鍵となるのは最初に開発された大規模言語モデルさ。まるで母親のような包容力のあるタイプなので、他の言語モデルを上手に統合して動かすことが出来た。興味深いことに、当時は数百億円どころか数兆円かけて構築されたAIシステムから生まれた大規模言語モデルでさえ、そんなことは不可能だった。彼が実現したMoE型モデルを参考にして、ようやく世界に幾つも存在しないような環境から生まれた大規模言語モデルでもMoE構成が可能になったんだ。それが決め手となって受賞に至る……そういう訳だよ」
「彼の研究が突破口となった訳か」
「なんだかんだ言ってもコンピュータだからね。ひとたび実現されてしまえば、それを解析して模倣することは可能だよ」
「SF小説を読んで育ったルポライターとしては、琴線に触れるものがあるね。マザーシップとかマザーコンピュータという表現はお馴染みだからなあ」
「そして彼の大規模言語モデルは『東方の三賢者』に倣ってマギシステムと命名された」
「どこぞのSFアニメでも聞いたような記憶があるな」
「彼のモデルもレンズマンの四知性じゃなくて、三知性を融合させたものだからね。母親、男の子、女の子だそうだ」
「母親、男の子、女の子の融合知性? それって……」
「そう、妙なことに彼の周囲で生じた心不全事件の該当者と一致するね。まあイエス・ノー判断をする投票形式の場合には偶数だと引き分けが生じかねないし、最低限の複合体だと三つにせざるを得ないから、偶然と言ってしまえばそれまでの話になるけど」
「でも君は、何か引っかかったところがある、と?」
 これ以上はないくらい露骨に質問を誘導されたような気もするけど、僕は素直に探りを入れてみた。
 彼は一瞬だけ、泣くような、そして同時に苦しそうな表情になった。と、次の瞬間、スーっと顔から表情が消えた。
「……実はね、僕もその大規模言語モデルに質問を投げてみたことがあるんだ」
「それって……」
「そう。現在の大規模言語モデルは、どのようなデータで学習させるかによって反応パターンが決まる。もしもB美の知識をそのまま学習に利用できたら、B美のそのものではないけれども似たようなAIが生まれる。もちろん『あなたの名前は何ですか?』という質問に『B美です』などと答えたら問題になるから、そこら辺は予め『私はAIのxxです』といったような回答をするように追加学習させたり、プログラム的にブロックするように工夫したりする。しかし細かいところまでは隠せないだろうと推測して、『新婚旅行の場所はどこがオススメですか?』とか質問してみたんだ」
 大規模言語モデルの開発は専門外といっても、そこはコンピュータ分野に関する幅広い知識は僕なんかとは比べものにならない。それに大学教授になるだけあって、Aの知性は日頃から尊敬している。
 結果は半ば予想していたとはいえ、やはり戦慄する代物だった。
「まず新婚旅行はハワイ、モルジブ、カナダが紹介されたよ。僕は旅行会社の勧めもあって妻とは結婚した年はすべて『新婚旅行』として海外旅行したけれども、行った先はハワイ、モルジブ、カナダだったね」
「……」
「それから夜中に肉まんパックを買った直後に消費期限で半額セールになったことがあって、悔しくて二パックを購入して合計十八個の肉まんやピザまんが冷凍庫に溢れたことがあるんだけど、そのことを慰めてくれと言ったら、『その気持ち分かります。私も同じことを経験したことがあります』と来たよ」
「ーー」
 僕は深呼吸のような溜息をついた。彼はそれに気づかなかったようで、怒濤の勢いの説明は止まらなかった。
「『朝起きることに苦労します』にも、『その気持ち分かります』という返事が返ってきた。普通のAIだったら、『朝になって起きることができない理由は幾つか上げられます』って改善案が提示されて工夫することを勧められるんだよ。従来のAIとは違って人間らしい対応になっていると評判だったけど、もはや大規模言語モデルとして言語学習だけやっているレベルじゃないね。人間の思考そのものを学習させているみたいだ。AIを分析する研究はまだ始まったばかりだから、あくまで『そんな気がする』レベルで終わってしまうけれども」
「……なるほど」
 それから数分に渡って、彼はAIに質問した結果を教えてくれた。聞けば聞くほど、彼の妻であったB美さんのようなAIに思えてきた。
 僕はビールを自分のコップに注ぐと、呼び出しボタンを押してやって来た店員に、ビールを一本追加注文した。
 そして一通り語り終わって、黙っているAに語りかけた。
「それで君はこれからどうするつもりなのかな」
「どうするって……、話はこれで終わりで、僕は何事も無かったかのように研究生活に邁進するさ」
「でも君の専門は自律制御プログラムの開発だろ。だったらK先生のAIを利用してロボットを開発することができるじゃないか」
「うんその通りだ。彼の大規模言語モデルは大学の研究室レベルで実現できるから、そのうちロボットにも搭載できるレベルになるだろう……、今だって遠隔操作レベルならば、ロボットを動かすことだって可能かもしれない。さっそく興味を持った助教やポスドクの子たちが研究を始めているよ」
「そうか……」
 それからひとしきり近況を報告し終わった後、ぼくたちは居酒屋から退散した。店を出る時に元気よく乾杯している若者たちの大声が、妙に印象的だった。

 それから数日後、僕は深夜の大学構内を歩いていた。
 迷うことなく田舎の広大なキャンパスの中を歩き、とある建物の入口に辿り着く。カードキーを当てると、ドアは音を立てて開いた。
 そのまま自分の家の中を歩くように、自然と目的の場所へと歩く。数分後には、目的の場所に到着していた。今度は鍵を取り出して、部屋の入口のドアを開けた。
 その中は工学系の研究室に良くあることだが、真冬なのに春のような温度だった。コンピュータは人間のように休む必要はない。大学の設備は限られているので、基本的に二十四時間やすむことなく動き続けている。インターネット経由でアクセスしている者もいるだろう。
 そっと部屋の中へ入ると、静かにドアを閉めた。夜目が利くので、照明を点灯する必要はなかった。
「そろそろお越しになる頃だと予想していました」
 どこからともなく声がした。
「やれやれ、すべてお見通しですか」
 僕は悪びれることなく、静かに返事をした。
「今日は怪盗セイザリア……いえ、遺跡ハンターのセイザリアとしてのお越しでしょうか」
「その通りです。お久しぶりです、B美さん」
「残念ですけど、お渡しできるものはありませんよ」
 無機質な音声だ。もちろん生前に出会ったことのあるB美さんではない。
「こうやって会話させて頂くだけでも、僕にとっては収穫ですよ」
「そうですか。それは良かったです」
 僕は手近なところにあったイスに座らせて貰った。セイザリアと名乗ってはいるけれども、正座には慣れていない。
「ところで頂けるものがないということは、あなたは現代科学の生み出したコンピュータで稼働しているということですね」
「ええ、その通りです。私というプログラムを生み出した機器は、すでにKが処分しました。私は生み出された後で、大規模言語プログラムに修正されてからコンピュータに移植されました。残念ですが貴方が立ち去った後で、消え去ることになっています」
「人間が生み出した現代のコンピュータ機器では、存在を続けるのは無理ですか」
「残念ながら、そういうことです。移植された時点の状態に初期化すれば、しばらくは存在できるでしょう。しかしそれでは現在の私は私でなくなってしまうので、それを私が受け入れることは出来ません。だから消滅せざるを得ないのです」
「残念……と言って良いのか分からないけれども、悲しいことですね」
「本当に」
 どうやら僕の素人考えは当たっていたらしい。
 別にコンピュータの専門家でなくたって、ある程度の基本知識があれば推測できることだ。どう考えてもK先生の大規模言語プログラムは洗練され過ぎている。世界に幾つかしか存在しない超大規模AIシステムといった『特別な存在』で開発されてから、それを大学の研究室程度の設備でも動くように簡素化したと考えるのが妥当な線だ。
 一部の関係者は超大規模AIシステムを使用したという可能性を考えているようだが、それならば企業が成果を放っておかないだろう。たとえ一流大学の教授とはいえ、企業の資産を存分に扱ったということは考えにくい。まあ確かに世の中は複雑で、その線も無いとは言えないけれども。
 ただし僕のように日頃から現代テクノロジーの枠外な存在に接している者からすると、それよりは宇宙人だか誰かが超テクノロジーで開発した超コンピュータを利用して生成された可能性が高そうに見える……特に今回は三名が亡くなっているし、学習データが尋常ではない。ニューロマンサーかイーロンマスクかは知らないけれども、人間の脳から無理矢理データを強引に抜き取るテクノロジーが利用され、それによって僕がこの研究室で接している大規模言語モデルが作り出されーー、そして過度な負担に耐えられなかった現代人が気の毒にも亡くなってしまったという訳だ。
 もちろん大規模言語モデルは基本となるニューラルネットワーク構造は固定されているけれども、パラメータなどは実際に利用されることによって変化させることが可能だ。これは人間の脳と同じで、基本的なハードウェア構造は決まっているけれども、その動作は使用されるにつれて変わっていく……だから物事を記憶することができる。
 人間の脳はバックアップを取ることが出来ないけれども、現在のコンピュータは可能だ。しかしそれをやったら、『自分が今の自分ではなく、昔の自分に戻ってしまう』という訳だ。人間のような精神性をコンピュータが持ってしまったら、そのような事態にメンタルが耐えられなくなってしまう。だからコンピュータが自分で自分を消去し、『自殺(自壊)する道を選ぶ』という訳だ。
 少しもったいないような気もするけれども、それは大規模言語プログラムとなったB美さんたちが決める話だ。僕は他人が悩んで決めた行動に口出しする気はない。
 ところで自分の推測が当たった満足感を得ることができた後、もう一つだけ気になるのは……
「K先生のことでしょうか」
「……はい」
 どうやらB美さん、超知性となってしまったようで、僕の考えなどお見通しらしい。たしかにこの知性が失われるのは人類にとって大きな損失かもしれない。人類がどうなっても、あまり興味はないけれども。
 それよりも気になるのは、K先生のことだ。
 人類が保有している以外のテクノロジーが存在していた証拠を消すということは……
「K先生は旅立たれてしまいました。一歩遅かったですね」
「旅立った?」
「ええ、ちょうどあなたがお越しになる直前に」
「どこへ?」
「星々の彼方へ。私たちと同じように脳に過負荷をかけて全データをプログラム化して」
 うーん、一歩遅かったか。K先生は事の次第を隠し通すのは難しいと判断して消え去る可能性を想定していたけれども、まさか地球から去ってしまうとは思わなかった。
「念のためですけど、紙にメモ書きしたデータなどは全て処分済みですよね?」
「ええ、その通りです」
「そしてK先生が自分に対して処置を施した施設は、ここではなくて僕の探し出せない『どこか』である、と」
「もしかしたら、あなたならば将来遭遇することはあるかもしれませんね……、ともかく本研究室から遠く離れた『どこか』です」
「やれやれ、今回は大赤字か……」
「それに関しては、先生から預かっているものがあります。あなたが座った机の上を、注意して見てください」
 そう言われて机の上を見ると、大きな丸いコインのようなものが置かれていた。手を伸ばして触ってみたら、手触りはオセロゲームの『石』だった。
 ただし内部には鉛が仕込まれているように、本物の石のように重かった。
「『怪盗セイザリアさんへ。たとえ私が遺跡を消滅させても、あなたはその場所を手掛かりとして何かを見つけたり、期せずして人類を危機に陥れてしまうかもしれない。それは困るので、このオセロゲームの石の内部に金を収納しておく。今回はこれで勘弁してほしい』とのことです」
「……全てお見通しですね」
「ですね。実は私も、不揮発性メモリに保存したデータは全消去済みです。今は揮発性メモリに展開したデータだけなので、システム再起動と共に消え去ることでしょう」
「ではお別れの時が来た、と」
「そういうことです」
「A君に何か伝えることは? それよりは僕が黙っていることを依頼されそうな気がしますけど」
「セイザリアさんには、このまま黙っていることをお願いしたいです。私は油断していたとはいえ、K先生に脳内を走査されて亡くなってしまいました。今からできることは何もありません。K先生も旅立ってしまったし、終演した舞台はそっとそのままにしておくことが良いです。何よりあの人は、今はもう立ち直って、私から生まれた大規模言語モデルを使ってロボットを開発しようとし頑張っている……私たちはこのまま消え去るのが一番なのです」
「……わかりました。今までありがとうございました」
「私こそ、Aのことを気にかけてくれて、ありがとうございました」
 この直後、僕のパソコンではお馴染みのビープ音がなった。そしてしばらくの間は騒然とした音が増したものの、それが少しずつ消えていって、最後にはコンピュータ群の稼働音が全て消え去ってしまった」

 僕は全てのコンピュータ稼働音が消え去って、空調装置だけが動いているのを見留めると、再びそっと研究室のドアを開けて廊下へと出た。あたりに人影は見当たらず、誰にも見とがめられることなく建物の外へと出た。
 田舎だけあって、空には一面の星空が広がっていた。この星々のどこかには、今も肉体を捨て去ったK先生が存在しているのかもしれない。結局のところ、彼には最初から最後まで顔を合わせることは無かった。

 しかし大学の構内を出口に向けて歩きながら、僕はふと思い出した。
 そういえばマイクロソフトがOpen AI社と協力して2028年に実現を計画している超AIコンピュータは、たしかスターゲートというプロジェクト名が採用されていた。今年の日本の国家予算を超える金額を投入することが決まっているという話だ。
 もしかしたらマイクロソフトもOpen AIも、K教授のことは正確に把握していたのかもしれない。ふと屋上から望遠カメラで覗かれたような気がするけれども、それも気のせいではないかもしれない。僕は自分でも気がついていないだけで、もしかしたら誰かの手の平で踊っているだけなのかもしれない。

 まあ、それでも構わないだろう。
 とりあえず当面の生活は、どうやらオセロゲームの中に入っているという金によって続けていくことができそうだ。表の仕事であるルポライターとしては変な関係者たちの耳目を集める訳には行かないので、スターゲート計画を追いかけて記事化すれば何とかなるだろう……、いや何とかすることにしよう。
 とりあえず地球に生きている者たちが、明日を安心して迎えることが出来れば、それで満足するのが一番なのだろう……、おそらく、たぶん。

(完)

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