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犯罪の直接の原因としての復讐心


痴情のもつれ

コロナ禍の「自粛警察」騒動のときも感じたが、糾弾できる人間が見つかると、鬼の首を取ったように騒ぎたて、「もっと重い罪を、もっと重い罪を」と要求する連中がいる。
何にそんなに怯えているのかしらね。
かわいそうに。

この世には100%の善人も、100%の悪人も存在しない。
なにか犯罪があったとして、もしも再発を予防したいのなら、犯罪者を悪魔とみなして糾弾するだけではいけない。

例えば、以前、ある女子高生が元交際相手の男に殺された事件があった。
別れ話のもつれが原因だった。
たまたま飲み屋でその事件が話題になった。和服が似合うマダムが「うちの娘にも男との、ちゃんとした別れ方を教えておかないと」とおっしゃっていた。
娘を持つ母として、立派な心構えだと敬服した。

心の傷への復讐

以前、フランスのテレビのドキュメンタリー番組で、家庭内暴力を扱っていた。
夫が妻に暴力を振るうとき、その直接のきっかけは妻の夫に対する口頭での非難だと報じていた。
もちろん僕は夫の暴力を正当化するつもりはさらさらない。

しかし日本ではマスメディアもフェミニストも、暴力という現象だけにとらわれて、原因についての分析が軽んじられている印象を、僕は持つ。
原因についてちゃんと分析しておくべきではないか。悲劇が繰り返されないために。悲劇を抑止するために。

妻が言葉の暴力で夫の心に深い傷を負わせた可能性について、そして夫が妻の言葉の暴力に対する過剰防衛あるいは復讐として身体的暴力に訴えた可能性について、考慮に入れるべきだろう。

もしも妻の言葉の暴力が家庭内暴力の直接の原因であるならば、そこから導き出される教訓は次のようなものになろう。すなわち「男と女の間では、口はなるべく食事と接吻のために用いなさい。」

もちろん殴る男が悪くないなんて思わない。殺す男が悪くないなんて思わない。でも殺されちゃったら、ソレマデだから。
男の暴力を弾劾するだけではなく、女は殺されないために何ができるかという問題設定もまた自衛のためには大事でしょうよ。

性犯罪という仕返し

元塾講師による児童盗撮事件について、3月26日付のYahooニュースで知った。
被告は「盗撮することで騒がしい児童に仕返しをしてやろうと思った」そうだ。
もちろん僕は性犯罪を正当化するつもりはさらさらない。
率直に、気持ちわるいなあと思う。

しかしこの件も、原因が「仕返し」であったという点が興味深い。
被告は主観的には「仕返し」、つまり「正義」の行使をしているつもりではなかったか。かなり身勝手な主観ではあるが。

とはいえ、もしも児童生徒が騒ぐことなく静かに授業を聞いていたならば、事件は起きなかったのかもしれない。
そのように想定した場合、再発防止策は児童生徒に静かに学習することの大切さを周知徹底させて、講師のストレスを軽減することであろう。つまり親は子どもに次のように教えればよいのだ、「授業中は静かにしなさい」
それが児童の人権をまもるための自衛策となる。

報復は報復を生む

北朝鮮はしばしばミサイルを日本に向かって撃つけれども、日本政府は「厳重に抗議する」だけで、すぐに報復には訴えない。日本にだって刀はある。しかしあえて剣を鞘から抜かないのだ。忍耐の大切さを知っているから。

他方、ハマスのテロに対して、イスラエルは報復のためにすぐさまガザに侵攻した。そうしてイスラエルが引き起こした戦争犯罪に対し、国際社会は眉をひそめている。

「答え」はない。
ただあまりにも「犯罪者」を一方的に悪い悪いと吊るし上げるだけの扇情的な報道に、僕はいらだちを覚える。
犯罪の影には復讐心(しばしば独善的なものだとはいえ)があることが忘れ去られている。

畢竟、犯罪の再発を抑止するための視点が、こんにちの犯罪報道には欠けているのだ。
つまり野次馬根性だけで、責任感が欠けているのだ。
「マスゴミ」とはよく言ったものだ。
誰のためにあるのだろう。
「ヒトゴミ」のためだろうか。


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