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あなたが側にいない夜に

恋人とはなればなれになるとき、私の胸の内はいつもぐちゃぐちゃになってしまう。心の中にあるパレットにぶちまけられた、さびしい色の絵の具だけが全部混ざったように、もうどうしようもない気持ちになってしまうのだ。

遠距離恋愛中のふたりは世界に多く散らばって存在している。彼ら彼女らは一体どんな思いで日々を過ごしているのだろう。離れているくらいでちょうどいいわ、という人もきっといるはずだ。

けれど私はさびしさに打ち勝つ術をまだ持たない。ただ深く沈むだけ、さびしさに身をゆだねて、とっぷりとそこに沈むだけだ。

恋人に会えないとき、私はしょっちゅうさびしい思いに襲われる。

あんまりさびしくて、もしかしたら海がひとつできてしまうのではないかと思うほど涙がこぼれる夜もある。

離れているのが不安だからとか、相手を信じきれないとか、そういうのではない。ただ単に「だいすきな相手に触れられない」ということが私にもたらすさびしさには、なにか途方もないものがあるように思う。

恋人のあの大きくてあたたかい手に触れたい、形のよい入り江のような小ぶりの耳や、そのなだらかな曲線の横顔を指でなぞりたい、そしてあの穏やかなのに強い光を宿した瞳に射抜かれたい。

彼が私の唇や頬に触れるときのやさしい指先、私の髪を撫でてくれるときのあの心地よさ、そこにあるぬくもり、五感をつかって感じることのできるもののほとんどを、私は普段得られない。得られるのは電話向こうの声だけ。

でも結局は会えてもさびしいのだ、私は。

彼に会うことができない期間は会えないことがかなしい。けれど会えたそのあとは、また会えなくなることを恐れてしまうのだ。永遠の別れではないはずだという前提はある。でもその不在がひたすらにさびしい。

恋人が帰ってきていていちばんかなしくなる瞬間は、彼が私の目の前ですやすやと眠っているときだ。安心しきって、ときには無防備に背中やお腹などを見せて、私の隣で眠っている彼を見ているときほど愛おしく、切ない気分になる瞬間はない。

このひとはもうすぐ私の手の届かないところへ行ってしまう。こんな風に寝顔を眺めたり、髪を撫でたりすることもできなくなる。

私たちはそれを分かって恋人であり続ける選択をした。それは今のところとてもうまくいっていて、私たちはこの距離に決して負けてはいない。

とはいえ、こうやって寝顔を見ることもまた数か月はおあずけなのだと思うと勝手に涙が出てくる。その愛おしさの分だけ、さびしさは強い影を私の心に落とす。

そうして私は彼の眠っている側で静かにむせび泣き、そのうち私が鼻をすする音で彼は目を覚ます。そして私の様子がおかしいのに気づいて私の名を呼ぶ。ただ後ろから私の身体を強く抱きしめて、ありったけの言葉と体温をくれる。それは私を安堵させる。

さびしくて泣いているのか、安心して泣いているのか、もう自分でもさっぱり分からないまま、私は抱きしめられたのを合図にしゃくりあげて泣く。恋人はやさしく、我慢強く、まるで子どもをあやすように私の涙をぬぐってくれる。

そして私は恋人にそうさせてしまうことへの後ろめたさをいつでも抱えて生きている。「いかないで」と言うことの幼稚さを私はどこかで知っている。そんなことはまかり通らない。それは分かっているのだ。彼は東京へ戻らなくてはならず、私たちの日常の主軸は、今はまだ、互いに会えない日々のほうなのだ。

けれど「いかないで」という一言は私の口をついて出てきてしまう。

言葉を信じていること、言葉豊かにいることを信条に生きてきた私のよくないところはそれだ。言葉を殺すことができない。どんなときでも、私は相手に対して何らかの言葉を放ってしまうのだ。

だからごめんね。

私は恋人を好きで、恋人も私を好きなことを知っているのに、それだけで十分なはずなのに、ときどき堪えられないほどさびしい夜がある。

そして彼はそれを知っている。私がさびしいと言って泣くたび、彼は私に対して罪悪感を抱く。ひとりにしてごめんね、置いて行ってごめんね、さびしい思いばかりをさせてごめんねと、あなたは真心からそう口にする。

その後ろめたい思いを、私はできるだけ彼に抱かせないようふるまわなくてはならないのになあ。うまくできなくって本当にごめんなさい。その後ろめたい気持ちがいつか重荷になって、私たちの関係を殺してしまったらと思うと、ときどきこわくてたまらなくなる。

だからもっと上手にそのさびしさを自分のものにしたい。

いつかさびしさが私の古くからの友人になる日が訪れるように、あなたが側にいない夜、私はひとりでなんとか涙を止めなくてはならない。そして朝目覚めてまた1日を送るのだ。くりかえし、ひたむきに。

これを読んだらあなたはどう思うかな。なんて言うだろう。ごめんねって言うかな。私もあなたに対してそう思っているよ。

私のこと、いつも大切にしてくれてありがとう。やさしくしてくれてありがとう。いつだったか、「あなたは俺の宝物」って言ってくれたこと、本当にうれしかった。「そのままのあなたが好きだよ」って言ってくれたことも忘れない。

だから胸にその光を宿して、私はさびしさの海を渡る。

上手にできないことばかりだし、きっと泣き虫は治らないけど、でももう少しうまく微笑むことができるようになるから、ちゃんとみていてね。


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