やきもち
私の恋人はやきもちを妬かない。
本当に妬いていないのか、それともすこしは妬いているけどあまり表に出てきていないだけなのか、どっち?と問われれば、おそらく、本当に妬いていないのだと思う。
私は以前、noteで「お月さまを追いかけて」という題の日記を書いた。
その目次の中に「マッシュボブの彼」という項目がある。
彼は私の大学の同級生で、同じ教授のもとで文学を学ぶ仲間であり、教員を目指す同志であり、そして適度な関係の友人でもある。
noteを読んでくださっている方は分かると思うのだけれども、私は去年の6月から彼との親睦を少しずつ深めてきた。研究室で目がぱっちり合ったその瞬間から、私たちは視線ではなく、ことばを介して、少しずつ話をするようになったのだ。
(ちょっとへんなのかもしれないね、お互いに)
私が去年の11月に風邪をひいて発熱したとき、仲良くなって半年も経っていない私の友人は、親切ゆえの差し入れを持ってきてくれた。
部屋に上げたわけでも、スキンシップをとったわけでもない。
ただ表で少し話をして(それは体調のことだったり、同じ時間と空間を共有して学んでいなければ決してできないような会話だったりした)、ありがとうと言って別れただけだ。
私はそのことを「さすがに嫌がるだろうな。本当に悪かったな」と心底反省しながら恋人に打ち明けた。私の後輩が指摘した通り、それは私の中ではグレーゾーンの出来事でもあったし、自分が彼に同じようなことを打ち明けられたらかなり気にしてしまうと思ったからだ。
しかし、彼はやきもちを妬くどころか「そのひといいひとだね」とまで言ってのけた。そして私は気付いた。
すこしだけでいい、私はやきもちを妬いてほしかったのだ。
というより、彼がやきもちを妬くだろうと思い込んでいたのだと思う。
私は好きなひとが別の女の子と話していたり、なかよくしているのを見ると嫉妬してしまう少女だった。大人になって少しは軽くなったとはいえ、今でもそういう傾向にあると思う。
高校3年生の夏、私はもう今の恋人と付き合っていた。
その恋人が体育祭の準備のとき、衣装係の仲のよい女の子を手伝ってあげたのだそうだ。そうしたらお礼に、その女の子からパフェをごちそうすると言われた、ということを、夏の夜の電話で連絡してきた。
「お礼してもらえるらしいけど、行ってきていい?」と訊かれたのだ。
私はそこで彼に「俺はあなたが嫌なら行かないよ」と言われたのにもかかわらず、少し考えてから「いいよ」と答えた。
本当はちょっと、かなり、いやだった。
しかし相手の女の子と彼は中学生のころから仲がよいと聞いていたから、私がそこへずかずか入っていくのは違うと思った。
彼女が本当にお礼がしたいだけなのも分かりきっていた。
そして恋人が私のことを本当に、本当に好きなこともきちんと知っていたから、あれこれ心配していたわけでもない。
しかし彼女はかわいい女の子だったし、何よりも、食べに行くのがパフェというのがどうしても許しがたかった。
食べに行くのがかわいくて甘いパフェじゃなくて、たとえば焼肉定食とか、ラーメンとか、もしかするとそういうのなら快く送り出せたのかもしれない。
けれど彼女がチョイスしたのはパフェだったのだ。
恋人とデートでパフェを食べるというのは、高校生の私にとってはとても特別で神聖なことだった。神仏の前で愛を誓ったり、結婚するまで貞操を守ったりするのと同じくらい、厳かな行為だった。
だからこそ、私だってまだ彼とふたりでパフェなど食べたことがないのに、なんで彼はその子とふたりきりでパフェを食べにいくのだろう、お礼なら買ってきたおやつを渡すのでもいいのではないのか、それじゃだめなの?と、胸の中がもやもやになった。
しかし素直で明るい、かわいい彼女だと思われたままでいたかったし、私が「いいよ」と許可を出したからと言って、わざわざ他の女の子とふたりきりでパフェなんて食べに行くわけないと思っていたから、私は「いいよ」と振り絞って言った。
すると彼は電話の向こうで「ほんとにいいんだね?じゃあそう返事をするね」と、明るい声でそう言った。そのあと少しだけ何か話し、「じゃあね」というと、彼との電話はあっけなく切れた。
私はその朗らかな返事と、電話を切った後の沈黙に絶望した。
そして私の恋人の男の子は本当に下心も何もなく、彼女以外の女の子とパフェを食べに行こうとしているのだ、ということが分かった。
彼の中では女の子とふたりきりでパフェを食べることに対してそれほど重きが置かれていないのも分かったし、何より、彼は「大丈夫(本当は大丈夫じゃない)」「いいよ(本当はいやだ)」みたいな、ことばの裏にある本音を見抜くことまではできないのだ、ということを私はそこで理解した。
要は彼は、いやなことはいやだと言われなくては分からないのだ。
それは当然と言えば当然のことだ。言わないで伝わるわけがない。
いつも正直にことばを放っていた私が、そのときに限って見栄を張り「大丈夫」と嘘をついたこと、そして私が男の子に対して多少の幻想を抱いていたこと。これらがよくなかった。
結局私はOKを出した後になってごねて、「行ってほしくない」ということを正直に伝えた。彼がその女の子とパフェを食べに行くことはなかった。
最初から「いやだ」と言えばよかったのに、1度我慢して土壇場で揉めるなんて、私はなんて面倒な女の子なんだろうと思った。彼が行っても行かなくても、どっちにしても泣きそうだった。私が竹を割ったような性格の少女なら、彼にも彼を誘った彼女にも迷惑をかけなくて済んだのに。
私はこの出来事をきれいさっぱりとは忘れられず、ときどき何かのはずみに思い出すようにしている。
人間というのは恥ずかしいとか、みっともないことも経験しながら生きていくものだとは思う。幼さを残したわがままで自己中心的なあの日の私は、今もまだ胸の中に生きている。
でも過去のいやなことをわざわざ思い出すのはある種の自傷行為だ。
自分の手首をカッターでそっとなぞるのとそう大差はない。
(だからそろそろ思い出すのをやめなくてはならない、と思っている)
話が少し逸れてしまったけど、とにかく、そういうふうに、私の恋人は私に対してなんの悪気も、悪意もないひとなのだ。
それゆえ私は彼が不意にすることや放つことばで何度も勝手に傷つき、そのたび自分の心が思っている以上に狭く浅いことを知って、少しずつ自分自身の小さい部分を思い知らされてきた。
そして思う、果たして、やきもちというのは執着なのだろうか。
もしそうなら、私が今まで恋人や好きだったひとの行動や発言で嫉妬してきたのはぜんぶ愛情からではなくて、執着からだったのだろうか。
恋人は私のことを本当に純粋に好きでいてくれるからこそ、なんの疑いもなく信じているからこそ、私が誰と話そうが、誰に何をもらおうが嫉妬しないのだろうか。
もしそうなら私は彼のことを間違えた方向に好きになってしまったのだろうか。
彼はあらゆる面から私を愛して満たしてくれるけど、私が他の男の子と話していても、関係を深めても、一向に怒りも嘆きもしない。
いつもは私のことをこれ以上ないくらい気にかけてくれるのに、そこは無関心なのだと、ときどきそう実感する。私はなんて贅沢な女の子になってしまったんだろう。
私は些細なことで拗ねてしまう。それを彼に伝えるたびにひどく恥ずかしいし、悔しいのだ。だって彼はもし私が他の男の子とパフェを食べたって、きっと何も言わないだろう。
それを思うと、私はすこし惨めな気持ちになる。
何もわざと嫉妬させたいわけじゃない。
彼にいやな思いをさせたいと思っているわけでもない。
私たちは大学1回生の春から遠距離恋愛をしているから、そもそも相手にやきもちを妬かせるようなことがある時点で、それはずいぶん痛手なのだ。
見えないところで相手が何をしているかはわからない。
だから見えないところを信頼してもらうには、まず相手から見えるところを信頼してもらおうと動かなくてはならない。
もし見えているところだけを完璧に演じていたって、見えないところで何をしているかなんてわかりっこないのだ。見えているところだけでも信じられないような相手の見えないところを、一体どうしたら信じることができるだろう?
だから今後、もし彼がひどいやきもちを妬くほどのことを私がしでかすことがあるならば、それは私たちのこの関係性の終わりを意味するほどの重たい出来事になるのだろうと、私は心のどこかで思っている。
(この話を元気な日に彼としたら、彼は「そーお?」と笑っていた)
たぶん、やきもちを妬くことだけが愛情じゃないんだろうな。たとえそう見えることが多くても、それが美しく描かれた作品が多くても。それは分かり切っている。
私は彼をひたむきに想えているのかなあ。
そして私たちは、ともに生きていこうとする限り、そういった異なる価値観を互いに理解しようとしなくてはならない。彼はこれからもやきもちを妬くことはないだろう。きっと私は彼みたいにはおおらかになれない。でも、でも…
そんなことを考えていた去年の末の文章が残っていたので解き放つことにしました。文章はちょっと長くて暗いかもしれないけれど、手直ししている私の心はいまなんともありません。すこぶるはきはきしている。
彼のいる境地に少しでも近づけたらいいなあ…
夏の空とか海みたいに気持ちのよい、高く澄んだ、深く広い、風が吹き抜けて渡っていくようなすがすがしいものになるよう、一生かけて愛情を磨いていきたい。
たぶんたまに失敗するけれど。
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