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かわいらしいふたり

先週、
恋人とはじめての旅行へ行ってきました!

旅先は鳥取県(彼が「蟹を食べに行こう!」と言ったので…)。私たちは島根県で生まれ育ったので、気負わずに出かけることができた。日本海がすぐそこにあれば安心なのだ。

旅行は1泊2日ほどの日程だった。
お天気はさわやかな青空で気温もあたたかく、軽やかな服装で動き回れてよかった。

大学生になってからというもの、ひたむきに遠距離恋愛の日々を積み上げている私と恋人とは、長期やすみにお互いの実家や、私の大学のアパートでお泊まり会を幾度となく開催してきた。そのせいか旅行もしたことがあるような気がしていたけど、実ははじめてだったよう。

私たちにも「はじめて」がまだごろごろと転がっているのだということに感動しつつ、変に緊張せずに旅ができた。付き合ったばかりのふたりのような初々しさはなかったかもしれないけれど、私たちは互いの横だと安心して笑えて、落ち着いて話をできるから、それはそれで素敵なことだ。

1日目は鳥取砂丘と砂の美術館へ。

私は高校生のときに1度鳥取砂丘へ行ったことがあったので、砂丘というものがいかにファンタジーな風景で、どんなに広々としているのか、そして砂の上を歩くのがどれほど大変かを知っていた。

けれど彼はどうやらはじめてだったらしく、その砂の大地に興奮し、普段めったに撮ることのない写真をぱしゃぱしゃと何枚も取った挙句、砂の山に向かって思い切り走り出していった。私はそのあとをゆっくり歩いて追いかた。

最終的に恋人は大きな身体をめいっぱい動かして、ほとんど壁のように見える砂丘の斜面を駆け登っていった。途中で失速しても最後まで登り切り、私に手を挙げて合図を寄こした。

そのあと、彼に続いて砂山を登りかけるも、途中であきらめて写真を撮っていた私を迎えに尾根(尾根でいいのかしら?)伝いに降りてきた。

それですっかり疲れ果ててしまったらしく、彼はそのあと、
「俺はもうここには来たくない!こどもが生まれても自分で行けって言う」と言っていたので笑ってしまった。実に彼らしい。

駆け出した瞬間の恋人


そして風が作り出したと思われる繊細な砂の模様の上を、ふたりで手をつないでゆっくり歩いていると、物語の主人公になって冒険しているような気分になった。

私はその日、白いロングスカートを選んでよかったと思った。風にはためくスカートほどファンタジーにふさわしい格好はないと思っているから。

そして鳥取砂丘にこんなに圧倒されているなら、あこがれのサハラ砂漠はきっとこの世のものとは思えないほど過酷で壮大なのだろうと思った。サハラ砂漠にはいつか行けたらいいなあと感じていたけど、私には砂丘くらいでちょうどよいと思い、それは恋人も同じようだった。

砂の美術館はちょうどエジプト展をしていて、スフィンクスやギザの大ピラミッド、アブ・シンベル神殿やクレオパトラの砂像に圧倒された。

緻密な砂の像に終始お口があんぐり。


私はこれまたエジプトにあこがれがあるので、本物はもっと大きく荘厳で重みがあり、乾いた日差しと空気の中で、それらはこれからもじっと時を超えて世界に在るのだろうと想像すると、やはりどうしても死ぬまでに一度は行かなくてはならないと改めて決心した。

夜は湖の見える宿に泊まった。
温泉に入り、蟹をたくさん食べた。

夕食はせっかく豪華な蟹料理だったのに、私は食事をはじめて少ししてから謎の腹痛に襲われて、あまり満足に食べられなかった。

かなしく思いながら痛みに耐えつつ食べ進めていると、向かいにいる恋人がやたら一生懸命に蟹の身をほじくって出しているなあと思っていた。しばらくすると彼が「これ食べな?」と、お皿にてんこ盛りの蟹の身を差し出してくれて、そのやさしさに泣きそうになった。

そしてごはんのあと、部屋に戻ったら清潔なお布団がぴしっと敷いてあり、浴衣のままで恋人とそこへなだれ込んでいった。あのひととき、あのしあわせは形容しがたい。家族になっていない恋人たちにはどこか生々しい、けれどやっぱり、それはしあわせなものだと思う。

畳の上、少し隙間の空いていたお布団をぴたっとくっつけてごろごろ転がって、お水を飲んで、横になってくっついて眠って。

あの誰にも入り込めないふたりだけの時間は、これからだって、いつまでも手にしていたいなあと思った。

2日目の朝は7時過ぎに起きて浴衣のまま朝ごはんを食べに行き、そのあと温泉にもう1度浸かりに行った。


私は旅慣れている方だけれど、ごはんの後でお風呂に入ることは滅多にない。だから朝日の中で湯を使うということがあんなにもすがすがしく、敬虔な気持ちになることだとは知らなかった。

お風呂は内湯も外湯も光に満ちていた。
露天風呂に浸かっていると、素足にゆらゆらと水面の模様が揺れていて、虹のようになってきれいだった。あたりにもわもわと立ち込めている湯気の粒ひとつひとつが朝の新しい光に照らされてきらきら輝いているのまで見えた。

おまけに他にひとがいなかったので、私はひとりで朝風呂を堪能できた。

そして私と同じように恋人もお風呂がだいすきなのだ。彼は私よりあとで上がってきた。

トイレにせよ、何にせよ、いつも何かをするときには私が彼より遅いことがほとんどなので、その朝は、温泉の暖簾の前をうろちょろしながら恋人を待つあの心もとないひとときを経験できて妙にうれしかった。

宿を出てからは青山剛昌ふるさと館へ向かい、コナンくんの展示を見たり、グッズをじっくり眺めて購入したりした。互いに妹へのお土産も買った。ちなみに私は親友の女の子にもお土産を買った(彼女は怪盗キッドがとても好きなので)。

そしてとっとり花回廊にも行った!

花を見に行くのを提案したのは私。
本当はチューリップの咲いている季節に行きたかったけれど、春めいてきたし、ちょうど「パンジー・ビオラ展」というのをしていたので、行ってみたいことを打ち明けると、彼が「行こう!」と言ってくれたのだ。

とはいえ時間があまりなかったので、駆け足で花を見て回った。私がいちばんおもしろかったのは、やっぱり「パンジー・ビオラ展」のところだった。

大きな温室と小さな塔をつないでいる通路のような橋の真ん中に、いろいろなパンジーやビオラの品種がずらりと並べられていた。屋根はガラスになっていて太陽の光があたたかく入り込み、花は午後の日を浴びて咲いていた。

信じられないほどの種類があるパンジーとビオラにはそれぞれ名がついていて、来場者は花を鑑賞しながらどの花が好きか投票をできるような制度になっていた。

いろいろな色と名の花があった。
私たちは特定の花に投票はしなかったけれど、時間がないなりに丹念に見てまわった。恋人は花よりも花の名を中心に鑑賞していて、私はそれをとても彼らしいと思った。

花はあまりに数が多く、みんな写真に撮ることはできなかったけど、ミルクセーキ、ソーダ、レモネードなんていう飲み物のような名前もあれば、プラムアンティークとか、ルルのひなたぼっこ、天使の誘惑、ハニービー、リンゴの詩なんていうものもあって、どれも魅力的だった。

昔から薄々感じていたけれど、その日改めて、私はこういうのに名前をつける仕事があればぜひともやりたいものだと思った。

そして色とりどりに並んだパンジーとビオラの中で、私と恋人にとってのナンバーワンは「ミニフリフリ」という名前のパンジーだった。

彼はこの花の名を見るなり「なんて安直な名前なんだ!」と声を立てて笑い始めた。彼が本当におもしろくて仕方なくて笑っているときのあの感じだったので、私もおかしくなって一緒に笑った。花は薄紫と清潔な白の小さなレースフリルのようで、私はそれも気に入った。

可憐なるミニフリフリ


花そのものより花の名前を夢中になって見て回るのは私たちらしいと思い、これはいつか楽しく話せる思い出になるだろうと思うとうれしい気持ちになった。

私たちはその日、「ミニフリフリ」という名のピュアなパンジーの名だけは覚えて帰ったし、たぶんその名はこれからも忘れることはないだろう。

そんなこんなで2日間(私のアパートにもう1泊したので実質3日間)、あんまりにもはしゃいだ私たちはすっかりくたびれて、私は3日目に家に戻ってきてお昼ごはんを食べてから、ついうとうと昼寝をしてしまった。

それはどうやら恋人も同じだったようで、少し休もうと思ってそのまま眠ってしまい、2時半からのアルバイトに遅刻したと連絡が来ていた。

私も眠ってしまったことと、はしゃぎすぎたねえというようなことを伝えると、すこし時間が経ってから「かわいらしいふたりだね。」と彼が返してきていた。

かわいらしいふたり。
本当にそのとおりだと思う。

好きな相手との旅行というのはこんなにも素敵なものなのか!と心から思ったし、そういうふうに思える私たちの幼さ、もしかすると甘さのようなものがまだ残っていて継続していることは純粋に喜ばしいことだ、と私は感じる。

私たち、これからもふたりで朗らかに旅ができるような関係性でいられますように、そしてかわいらしいふたりのままで春を重ねていけますようにと、そんなふうに思えるやさしい旅だった。

いつも本当にありがとう…
また一緒にいろんなところを旅行しようね!


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