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ヤギと呼ばれた頃 【短編小説】

 夏になると思い出すことがあります。

 ランドセルを手放す前後、思春期の始まりの頃。私を「ヤギ」と呼ぶ少年がいました。

 何故ヤギなのか。彼は「なんかヤギっぽいから」と言いました。

 神社の近くに住む少年と、毎日のように遊びました。境内を散策したり、自転車で遠出したり。流行りのカードゲームも楽しかったし、彼の家には色々な玩具がありました。私の家は雨漏りと隙間風のボロ屋でしたから、彼を呼ぶことはなかったけれど、放課後の記憶には彼がいて、それは幸せでした。

 夏休みのある日のことです。

 彼は珍しくソワソワした面持ちで、一緒に夏祭りに行かないか、と言いました。

 行こう、と応えて約束をしました。平凡な一日が特別な日に変わる瞬間でした。

 私には好きな子がいました。健康的に日焼けした肌の、活発な少女でした。その子は目立つ方ではなかったけれど、表裏のない性格と屈託のない笑顔に強く惹かれたのだと思います。

 夏祭りの日。
 私が少年の家に着くと、彼はもう家の外に出て待っていました。彼は私を見るとパッと笑って早く行こうぜ!と叫びました。

 夏祭りの屋台は活気があって、人混みは妙な熱気を帯びていました。祭りの雰囲気に呑まれながら、焼きそばとかき氷と、綿菓子を食べました。射的は何も倒せなかったけど、二人して悔しがるのも楽しくて、なんだか笑えてきたのを憶えています。

 ひと通り祭りの雰囲気を堪能したところで、少年と私はラムネを買って、祭りの灯りから少し離れたところに座りました。

「ヤギ、あのさ。」

 遠くに聴こえる祭りの喧騒と夜空の静寂を破って、彼が言葉を発しました。

「オレ、好きなんだ。お前のこと。」

 え?

 私は予想外の好意を理解できず、言葉を失いました。思考がぐるぐる回って視界がチカチカし始めて、口の中が乾いていくのを感じました。友達としての「好き」ではないことは、雰囲気や口調から察しました。

「自分でも変なこと言ってると思うけど、でも、」

「ごめん。」

 私は咄嗟に謝って、何を謝っていいのかも分からなくて、でも気持ち悪いとか嫌悪感とかそういう感情は湧かなくて、好意に応えられない申し訳なさがあることに気付きました。

「俺、好きな子がいるから。1組の山本。」

 彼は「そっか」と呟いて、しばらく黙り込んだ後、お似合いかもしれないな!と頷きました。


 ずっと後になってから、実は名前を呼ぶのが恥ずかしかったと告白されました。その頃には彼にも素敵なパートナーがいて、音楽関係の仕事をしながら二人で暮らしているということを聞きました。

 

 夏になると思い出すことがあります。

 私をヤギと呼んだ少年と、夏祭りの記憶です。



(了)



 拙作に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、多様な価値観の存在を肯定し尊重し合える社会が実現しますように。




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