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真実はひとつではない話

 師匠せんせいの漢方医療は自由自在に為される魔法のような代物で、穏やかに護る治療もあれば、ときに激しく攻撃的な戦略をとることもあります。

 どちらかというと後者の方が得意とみえて、或いはそれこそ漢方の本質だと師匠は言うかもしれませんが、万が一病態の見極めを誤ったり治療の組み合わせを違えれば、恐ろしい結果を招く危険性を孕んでいます。師匠の処方内容を別の漢方医がみたときに困惑することがあるのも道理です。

 師匠の診ていた患者さんが転居か何かで遠方の漢方医に紹介する必要があったときの話を聞きました。教科書的にはいわゆる「体力のある人(≒実証)」に向いた処方内容で、それをいかにも「体力のなさそうな人(≒虚証)」に応用していました。ところが紹介先の医師は「これは実証に使う薬であって、虚証の人には使わない。自分は同じ処方は出さない。」と断言し、結局患者さんは遠方から通院を続けることになったそうです。

 治療は奏功して患者さんは元気になっていったそうですから、処方の内容が誤っていたわけではありません。しかしながら、同じ処方は出せないと断った漢方医が誤りかというと、そういうわけでもなかろうと私は想像します。

 これは「健康」を目標に捉えたときの、治療戦略の差異でしょう。現代の漢方医学の王道は、紹介先のドクターの方かもしれません。歴史的に副作用を忌避する流れがありますから、攻撃的な治療を選択する勇気のある医師は存外少ないものです。弟子の一人が師匠の真似をして痛い目を見たことを、私は知っています。似ているように見えても、些細なことが隔絶的な結果の違いに結びつくことがあるのです。

 武道に流派があるように、音楽にジャンルがあるように、漢方医学にも流派というものが存在します。

 どの流派が正しいか?

 そんなことを考え始めると戦争です。どの流派にも一定の正しさと一定の誤りがあって然るべきだろうと私は考えます。それが「道」というものです。優劣を論ずることにもあまり意味はありません。それぞれの得意分野もあれば、患者との相性もあるからです。

 戦わなくていい、と師匠は云いました。

 私たち医師が向き合い癒やすべきは病人であって、見極めるべきは病邪の本質です。自分の持てる全ての医術を眼前の問題解決に注げばいい。

「真理に辿り着きたいんだ。ディズニーランドに行くような時間があったら俺は研究していたい。」

 そう言った師匠の目は、グラス越しに何処か遠くを見ているようでした。


 師匠、ディズニーと何があったんですか(困惑)

 たしかに夢の国は初見殺しですし、付き合いたてのカップルが迂闊に訪れると危険ですし、家族連れにも罠がたくさん仕掛けられています。

 私はディズニーランドにも行きますし、貴方ほど人生を医学に捧げられる自信はありません。

 そんな出来の悪い弟子ですが、私は師匠の意志を継ごうと決めています。



 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、寡黙な天才が真理に辿り着けますように。




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