見出し画像

【クリスチャン・ボルタンスキーが語る、豊島】素晴らしく、美しい海岸に私の遺灰をまいてほしい。

2021年7月14日、現代アートの第一人者のクリスチャン・ボルタンスキー氏が亡くなった。2019年に日本で大回顧展が開催された際、わずかな時間を得て行ったインタビュー記事をアップします(掲載誌 Discover Japan 2019年8月号)。瀬戸内国際芸術祭に第一回から参加し、その作品がある香川県豊島(てしま)は、彼の人生における特別な場所でした。

画像2

瀬戸内海に浮かぶ人口800人あまりの島を世界の TESHIMA に変えたひとりは、間違いなくこの人だ。クリスチャン・ボルタンスキーさん。現在、東京・国立新美術館では50年にわたる芸術家人生を概観する回顧展「Lifetime」が開かれている(※2019年執筆時)。会場は構成を自らが手掛け、展示スペースを「ひとつの作品」として見せる壮大なもの。現代美術の巨人。フランスを代表するアーティストだ。

ボルタンスキーさんは言う。

「豊島は私にとってこれ以上もなく完璧なところ。私の人生で最も幸福な時間が流れた場所です。私の作品が島に存在していることをとてもうれしく思っています」

日本を訪れるときはできる限り、豊島や直島に足を延ばすそう。これまで豊島には15回ほど訪れた。ただ、自分自身の喜びのために。訪れるたびに幸せな気持ちになる。

2008年からプロジェクトがはじまり、瀬戸内国際芸術祭2010に出品されて以降、豊島に恒久展示されている《心臓音のアーカイブ》には、世界中の人たちから心臓音がこの小さな島へと送られてきた。TESHIMA の名前は氏の試みとともに世界各地で語られている。

心臓の音は人がこの世に生きた、かけがえのない証し。ある人にとっては愛する人の、ある人の場合は自分自身の心臓音が海のそばの小さな美術館に収まる。人々は鼓動に思いをはせながら、世界各国から豊島を目指すのだ。

豊島は風景が何より美しい、とボルタンスキーさん。

「青い海と白い浜、豊かな緑の風景の中に芸術作品が完全に統合されます。そこにアートがあるのが必然であるように、芸術作品との間に直接的で、自然な関係が生まれます」

もちろん豊島で一番美しいのは、豊島美術館ですが……とチャーミングな回答を付け加えることも忘れない。 「私が人生で見た中で最も美しい芸術作品だと思います」とも。

昔ながらの豊島の景色を蘇らせ、棚田に溶け込むようにして立つ美術館は、氏が話すようにそれ自体がまさにアートだ。散策路をゆっくりと歩いていき、建物の内部に入って内藤礼さんの作品《母型》に対面するとき、ボルタンスキーさんが自身の作品について語るのと同じような、「沈思黙考」のひとときが流れるだろう。

ボルタンスキーさんの《心臓音のアーカイブ》、2016年に新たに加えられた《ささやきの森》は、豊島美術館と同じ、島の北東部、唐櫃(からと)地区にある。

高松港から高速船に乗って豊島へ。ふたつの作品は陸地から離れた島だからこそ、アイデアを形にできたとボルタンスキーさんは話す。海を行き、島にたどり着くまでの航路。そして唐櫃の小さな港から《心臓音のアーカイブ》へ至るまでの小道。

「アーカイブを上ったところにある神社も素敵だし、アーカイブから見える岬も素晴らしいですよ」

氏の作品を目指して自分自身と向き合いながら過ごす、作品にたどりつくまでのすべてがアートの一部だ。込められた思いを胸に刻みながら、一歩、一歩、踏みしめ歩けば、作品との出合いもまた異なるものになるはずだ。

画像1

私の名前はたとえ忘れられてしまっても……

「《心臓音のアーカイブ》を設置する場所を選ぶにあたって私が重視したのは調和と静けさです。ひとことでいえば、平和な場所である、ということ。素晴らしく、美しい海岸に私の遺灰をまいてほしい。そういうような場所です」

島の住宅にも使われる焼杉を外壁に用いた小屋を展示施設とする《心臓音のアーカイブ》。こちらは海沿いの見つけやすい場所にあるが、一方の《ささやきの森》は山の中の、少し見つけにくい場所にある。

「《心臓音のアーカイブ》の静寂に対して、《ささやきの森》は野生的な景色の中にあって、豊島のまったく異なる様相を見せてくれます。より神秘的で、ミステリアスな場所です」

氏の作品には《ささやきの森》と同様に先端に風鈴を付けた細い棒を設置し、それを撮影したビデオインスタレーション〈アニミタス〉がある。アニミタスとはスペイン語で魂を意味するアニミタの複数形で、チリにおいては死者を追悼するために路傍に設えられた小さな祠(ほこら)をいう。作品はチリのアタカマ砂漠やカナダのオルレアン島など、人が容易にたどり着けない複数の場所で制作が行われた。風鈴は長い年月を風雨にさらされてすでに形はないといい、映像が残るのみだ。

豊島の《ささやきの森》は隠された場所にあるものの、だれもがたどり着くことができ、鑑賞もできる。ボルタンスキーファンにとっては聖地だ。

ボルタンスキーさんの言葉通りに、《ささやきの森》は「本当にここに作品があるの?」と思わせる隠れた場所にある。うっそうとした木々の間、歩みを進めるものの、作品になかなか遭遇しないからだ。「やはり、ないのか?」そう思ったとき、作品が現れる。

それまで無風だった場所に風が吹きはじめた。無数の風鈴がいっせいに音を立てる。「チリン、チリリン」。優しい音色は、まさに人がささやくようにあたりを包み、そして止んだ。

《心臓音のアーカイブ》で自らの心臓音を録音して作品に加わることができるのと同様に、《ささやきの森》でも鑑賞者は作品に参加ができる。風鈴に付ける短冊に大切な人の名前を書き記すのだ。鑑賞者の思いは作品の一部となって、永久に森の中に刻まれる。

「重要なことは、私の名前はたとえ忘れられてしまっても、豊島が、そして作品が一種の巡礼の場所となって残ることなのです」

画像3



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?