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【エッセイ】 監督と呼ばないで 下

私がトリマーさんのところへ相談に行ったことが耳に入り、役者さんが「キレた」のである。
「陰口を言っている」と捉えられたようだ。

「企画を中止します。ありがとうございました」

役者さんからの突然のメールに、メンバー一同呆然とした。
「素人さんが無反応でも頑張って来ましたが、各々の都合ばかり言われると、こちらも収拾がつきません」と捨て台詞を吐かれた。

「素人だからいいんです」と始まったはずの映画制作のプロジェクトは、こうしてあっけなく幕を閉じたのである。
いや、開いてもいなかったのかもしれないが。

向こうから繋がれた連絡先は、気がつけばブロックされていた。

どうするのが正解だったのか、未だにわからない。
クラファンが始まる前で良かったと胸を撫で下ろした反面、映画を撮ってみたかったという思いは残った。

と言うのも、こちらはこちらで頑張って5,000字を超える脚本を書き上げていたのだ。
お蔵入りになったこの脚本は、いつか日の目を見る事があるのだろうか。

役者さんと初めて顔を合わせてから、実に1か月も経っていない間のストーリーである。
「撮れ高」としては十分だろう。
しかし、この話にはさらに続きがあるのだ。

「やっぱり、映画作りたいなあ」

舌の根も乾かぬうちに、ブロックされたはずの連絡先から連絡が来た。

反省の言葉も含まれていたが、一度崩された積み木をまた同じ気持ちで積み上げるのは難しく、丁重にお断りした。

そしてまたしばらくして連絡が届いた。
今度はなんと、内容はそのままで、新たなメンバーと映画を作ることになり、またクラファンを始めるという。

先日、そのクラファンが始まった。

見なければいいものを、PCで進捗状況をつい確認してしまう自分が嫌になる。

「この映画を通して、私たち人間もお互いのことを考えられることができますように」

クラファンのHPで謳われている。

関係するすべての人たちが心穏やかに映画制作に携わり「動物への愛情が深まるような作品を作る」という当初の目的が遂行されることを祈るばかりだ。


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