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【エッセイ】 監督と呼ばないで 上

「映画を作りたいので、監督をやってくれませんか」

1年前のちょうど今頃、友人を通じて、地方の劇団に所属している役者さんから依頼があった。
そう言うと、まるで生業としているように聞こえるが、映画を撮った経験など一度もなく、趣味で動画を撮って簡単に編集する程度である。

詳細は控えるが、経緯はこうだ。
その役者さんは犬を飼っており、行きつけのトリミングサロンでのトリマーさんとの会話がきっかけだった。
大掛かりなものでなくてもいい、時間がかかってもいいから、いろんな人にボランティアで関わってもらいながら、犬をテーマにした映画を作ろうという話になり、友人にも声が掛かった。

「いつか映画を撮ってみたい」
以前、半分冗談で友人に話したことがあった。
その言葉を覚えてくれていた友人が私を推薦してくれ、監督の依頼が舞い込んだというわけである。

にわかに心は湧き立った。
しかし、そんな大役を果たせるだろうか。

「全くの素人ですが、いいんですか?」
役者さんに念を押すと「素人だからいいんです」と返ってきた。
私が今まで撮った動画も実際見てくれたらしい。
それなら、ということで、引き受けることにした。

映画を撮る夢が叶うかもしれない。
しかも動物愛護がテーマということで、ほんのわずかでも社会貢献につながるのなら、これほど嬉しいことはない。
心の中をあたたかい風が駆け抜けた。

風向きが変わったのは、その直後である。

それまではメールでのやり取りだったため、役者さんと初顔合わせをすることになった。
会って直接話を聞いて驚いた。

映画制作の資金を集めるため、翌月からクラウドファンディングを始めるというではないか。
すでに数社に声をかけ、寄付してくださった方への返礼品の準備をしてもらっていいるという。
さらに、商工会議所にも協力を仰いでロケ地の撮影許可を取っており、映画完成後の上映会の会場まで考えているという。

そこまで話が進んでいるとは、全く聞いていなかった。

一方で、肝心の映画のストーリーは、役者さんからは原案を示されただけで、自分に脚本を任されたのだ。

「これは大変なことになった」と思った。

「じゃ、監督、よろしく!」
こうして初顔合わせの日から、役者さんから「監督」と呼ばれるようになったのである。


つづく

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