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「あなたは何者ですか?」という質問の答え方。

「あなたは何者ですか?」

なんて、つっけんどんな質問をされたことはありませんが(笑)

それでも自分という人間を
明確な言葉で表すことができないのが、ずっと悩みでした。

だから自分のことを説明するときには

だれにとっても分かりやすく

そして自分自身にとっても分かりやすい「肩書」みたいなものにばかり頼っていたように思います。

仕事=わたし?

仕事に就いてからは
「小学校の教員をしている、○○です。」

結婚してからは
「△△に嫁いできた、○○です。」

子どもが生まれてからは
「~~の母親の、○○です。」

なんて。

所属や役割というのはとても便利なもので

私自身がどういう人間であるかにかかわらず

私のことをなんとなく説明してくれるので

「自分がいったいどんな人間か」なんてことは、私自身深く考えなくてもよい状況を生み出してくれていました。

しかし。

2023年3月末をもって、私の最大の肩書であった「教員」というものを手放すことになりました。

しかも次の就職など決まっていないまま。

つまりフリーランス。
自由の身となってしまったのです。

ここからは誰もが納得できる、フリーパスのような便利な肩書は使えない。

正真正銘、何者でもない

ありのままの「私」として勝負していくしかなくなってしまったのです。

自由という恐怖

自分で選んだ道ではあったものの
初めて手にした自由に、恐れおののきました。

どこにも所属していないということは

自由であるという反面、やはり心もとなさがつきまとうもので。

今まで縛りつけられながらも
私自身が大いにしがみついていた「教員」という肩書は、

いつしか私のアイデンティティになってしまっていたのでした。

「教員」というアイデンティティを失った私は
いったい何者なのか?

心が不安定な中、自問自答の末にたどりついたのは

「私は私でしかない」という
哲学的でもなんでもない、ただの真実でした。

「教員」である以上、「教員」であり続けなければいけなかった過去。

自分中の「教員っぽくない部分」を否定し、押し込めて

「教員」という肩書を守るために「私」ではなく「教員」であろうとしていた日々。

それによって受けていたたくさんの恩恵を手放した今、

私ができるのは「ただの私」であり続けること。

自由の中で生きていくには、それしかやりようがないという真実だったのです。

「私」にしかないものとは?

じゃあ「私って、いったいなんなの?」

って、結局、最初と同じ謎にぶち当たるんですけど…(笑)

「教員」という肩書を手放しても

「女性」であること
「母」であること
「嫁」であること

は変わりません。

だからといって、私という人間を説明するときに、これらの役割だけというのは

あまりにも漠然としていて違う気がする。

それじゃあ「私」はいったい何者なのか。

「私」と「他者」は何が違うのか。

自分という人間にしかないもの。

技術でも、役割でも、特性でもない、私だけのもの。

結局行きついたのは

ありのままの私の「心」だったのです。

自分の「心」が武器になる

私と他者が唯一、違うもの。

それは「私」という人間の
ありのままの心が求めること。

何を楽しみ
何をつまらないと感じるのか

何が好きで
何が嫌いなのか

何に喜び
何に怒りを感じるのか

それを突きつめていった先に

誰とも違う「私」という人間のカタチが
見えてくるんじゃないのかと。

そう思えるようになってから

自分の心の解像度を上げるため
より自分の気持ちに忠実になってきたように思います。

ある意味では非常にワガママなのかもしれないけど

何かに遠慮して、自分の心に背いた方向ばかりを向いていたら

「私」という人間の輪郭はあやふやになっていくばかり。

それではいつまで経っても「私」で勝負なんてできない。

だったら、私しか持ち得ない「心」を研ぎ澄ませて武器にするしかない。

そんな割り切り方ができるようになった気がします。

まぁだいたい

全てが自由なのに、その自由の中で
自分が嫌だと感じることを選ぶってなんか変ですよね(笑)

羅針盤は、心のワクワク。

やってみたい!おもしろそう!

の集合体が、私という人間なのですから。

その結果…

ライター、モデル、ブロガー、カウンセラー、フォトグラファー、パーソナルスタイリスト、ソウルフル数秘術®プラクティショナーなどなど…

もう、とんでもなくとっ散らかった経歴になってしまったのですが…(笑)

仕方ない。

それが他の誰とも違う私自身なのです。

そんな私が世の中に貢献できることはなんなのか。

それを一言でまとめるのが
次の作業になるわけなのですが。

長くなってしまったので、それは次回。

次回は

「自分という人間にキャッチコピーをつける」

についてお伝えしていこうと思います。

乞うご期待!

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最後までお読みいただきありがとうございます。

誰よりも【心】について思いをよせるmariが
複雑怪奇で形のない【心】について

正面から、横から、ななめから
ためつすがめつしながら考察していくページです。

私が【心】と向き合う日々が

読者の皆さまにそっと寄りそい
ときにははたと立ち止まって考える

そんなきっかけになりますように。

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mari【言葉をつむぐ人】

・36歳、3児の母
・13年間の教員生活ののち、自分らしい人生を求めてフリーランスに転向
・現在はライター、モデル、ソウルフル数秘術®プラクティショナーとして多方面に活躍
・幼少期から生きづらさを感じていたことをきっかけに、心について学び、深く考察する日々を重ねる
・好きな哲学者は老子、好きな言葉は「無為自然」


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