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『止めたい』

止めたい。
何者かが行う空爆を。
過去、現在、未来のすべての空爆を。
あらゆる空爆を、止めたい。
心からそう思う。


次に止めたい。風変わりに凝ったCDケースを止めたい。棚の収まりが悪いのだ。どう並べればいいのだ。普通がいい。CDケースの規格が統一されてる意味をしらないのか。『VHS対ベータ』戦争をしらないのか。新譜限定の風変わりな「ありがたいだろう」という「斬新だろう」という、その、ありがたい心意気とありがたいデザインは評価するものの、それでも私は「チョ、まてよ」と、止める者でありたい。心からそう思う。

CDの売り上げの問題もあるのだろう。新譜限定の特別バージョンでないと、売れないのかもしれない。プラスチック削減の観点からの『紙ケース』などは、まだ理解できるのだ(湿気に弱い、窓際ではカビが生えるが)。では、なぜ、それを初回限定で巨大化するのだ。
例えば、本棚から出っぱっている、くるりの『Songline』の攻撃を寸でのところで何度私が躱したことか(丁度、目の高さにある)。
一度始まってしまったプロジェクトを止めるのは大変なのだろう。私はそんなとき、止める側でありたい。風変わりに凝ったCDケースを止められない私が、いざというとき空爆を止められるのか。

かく言う私も、とうとうCDプレイヤーを処分してしまった。音楽はもっぱらスマートスピーカーで聴く、サブスクだ。所有するCDも1000枚から100枚に減っている。それをスマホに取り込み聴いている。だから、舌鋒も緩くなってしまうのだが。私の良心が、止めたいと訴えている。

相手はアーティストだ。こちらの常識など通用しない。しかし、忘れてはならない。ナチスドイツのヒトラーも、それに相対する英国チャーチルも、絵描き(絵心がある)だった。アーティスト肌の政治家だ。

アーティストの暴走した物語(自分語り)には、修正、止める者が必要なのだ。私は止めたい。
まずは、本棚のくるりコーナーを下に移そう。私の目へのくるり『Songline』の攻撃を、私は止めた。

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