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いじめられてる子を助けるか助けないか


カラオケの帰りに思いついた事を
書きなぐっていこうと思うよ。

題名にもある通り、個人的にこの話題って
永遠の議題の1つだと思う。

わたしの結論から言うと「助けない」かな。

一緒になっていじめるって事では無くて、
話しかけられたら話すけど、
自分からは話しかけないみたいな。
説明が難しい。

言わば「傍観者」だな。
勝手に一番タチの悪い、
かと言って、事が明るみになった時に
責めにくい厄介な立ち位置。

ここからは言い訳だと思って聞いて。

まず、いじめから助けられたとして、
多分いじめられてた子が、
その場で一番信頼出来るのって
助けた自分な気がする。

いじめられてた人、助けた人、いじめてた人って言うの、めんどいからA、B、Cって呼ぶね。

ずっと独りだったAはBに助けられた。
唯一助けてくれた人。
AはBと「友達になりたい」と思うのが
大半だと思う。

その時にBは友達で居続けられるか、
助けた責任を負えるか。

助けた事実より助けた"あと"の方が
わたしは怖い。

いじめは「いじめた側が悪い」とよく聞けど、
全てに反映される訳では無いと思う。

Aにも問題があって、それに付き合ってたCが
耐え切れなくなって無視をする。
それがエスカレートしていじめに繋がる。

いじめに発展させるCが圧倒的に悪いが
Aが嫌がってることに気づいて
その行為をやめれば無視されることも無かった。

人間関係の難しい所で、
誰でも出来ることでは無いけど
Aにも問題があると言えると感じる。

これもこれで全てのいじめが
そうであるなんて事は無いよ。

ただ、そうであった時が怖いってこと。

Aがいじめから助けられた時点で
信頼出来るのはBしかいない。

Bは、何が原因でいじめられてたかなんて
多分知らないことがほとんどだと思う。
ただの「傍観者」なんだから。

いじめてる理由ベラベラ話すCって
中々いないでしょ。

Bは「助けたから」とAと仲良くする。
けど、時間が経つにつれ、Aの難に気づく。

それでもし、Aと仲良くするのをやめたら。

また元通りになってしまうかも。

仲良くするのをやめなくても
自分に何かしらの危害が加わると思う。
精神的に。

それがわたしは怖い。
これが1つ目の理由。

2つ目の理由は
わたしは、完全な善意で助けることはもちろん
自分の価値を上げるために、
偽善で助けることも出来ないから。

1つ目の理由と繋がるけど、
「助けたあとの責任が取れるか」が関係してる。

完全な善意があっても
最終的には自分がどう感じるかだと思うから
耐え切れるのか。

偽善はもう論外。
それで助けられたとしても責任負えるわけない。

あと、それで本当に助けてしまった時の
後悔、罪悪感、裏切った感覚に
わたしは耐え切れないと思うから。

これが今思いつくいじめを「助けない」理由。
全部、助けない自分を守るための言い訳だって
思われてもしょうがない。

わたしだって「その節あるな」って思う。

けど、これが今思うことなんだ。
この先何か変わるかもしれない。


苦しい内容続きで申し訳ない。
でも書き留めて起きたかったから書いた。
ここまで読んでくれてありがとう。
これには感想というか意見が欲しいかも。

よろしくお願いします。


またね。

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