「AI(愛)は掌に」 第九話

その日、久楽は午前中の講義を終えて、部室で昼休みを過ごしていた。
美術部の部室はアトリエも兼ねているので、広々としている。その広々とした空間をパーテーションで小さく区切られたスペースがある。
いくつかの椅子と一つの少し大きめな机があり、ちょっとした小休憩スペースのようなものである。
部員からは通称『額縁』と呼ばれている。

売店で買ってきたパン2つとカフェオレを飲みながら『額縁』でゆったりと過ごしている久楽。

「お、久楽か。お前も昼飯か。」

不意に背後から声をかけられた久楽は、フッと後ろを振り返る。手にはコンビニ袋をぶら下げて、眠たげな目した男。

「あ、栗江(くりえ)先輩。おはよーございます。」

栗江と呼ばれた男は久楽の先輩である。現在大学4年生。

「おう、一人でまったりしてたところを失礼するよ。」

栗江はそう言い、近くにある椅子に座り込んで、コンビニ袋からおにぎりとお茶を取り出す。

「先輩がここにくるなんて珍しいですね。」
「卒論やら就活やら忙しいからなー。今日はちょっと教授のところに用事があったから、ついでに寄ってみたってとこかな。」
「やっぱ就活は大変ですか?」
「んー、結果が出りゃいいんだけど、出ないとメンタルやられそーだねー」

小さく溜息を吐き、栗江はおにぎりを頬張る。

「やっぱ、メールでは疲れを見せない人でも、実際は疲れてますよねー」
「んん?」

久楽は、栗江と同じ就活生でもある井内のことをふと思い出す。
そこへ、『額縁』に更なる来訪者が現れる。

「やっはー、おつかれーん!あらあら、栗江に久楽じゃーん。」
「また、珍しい奴が来たな。伊都(いと)。」
「あ、伊都先輩。」

伊都と呼ばれた人は、栗江と同じく4年生の女性である。

「お隣失礼するねー、あ、お茶も失礼するねー。」

そう言いながら、栗江のすぐ近くに座り、栗江の買ってきたお茶を飲む。

「あ、まだ、それ飲んでないのに…」

買ってきた未開封のお茶を勝手に飲まれて、軽いショックを受ける栗江。その様子を見て、悪びれもせずに伊都は栗江に話す。

「間接キスになっちゃうけど…飲む?」

語尾に「うふっ」と付き、軽い上目遣いを栗江にする。
一瞬の静寂がこの場を支配し、栗江と伊都は見つめ合う。そして、栗江は「伊都…」と口を開き、さらに続けて言う。

「知ったこっちゃねぇよ。」

サラッと伊都の手にあったお茶を取り上げ、何も気にせずにお茶を飲む。それを見た伊都は軽い舌打ちをする。久楽は「相変わらず仲が良いな~」と達観している。

「で、さっき久楽が言ってたメールの人?なんなの?」

栗江は、横で何度も舌打ちをする伊都を無視して、先程の話題に挙がっていたメールの人…井内のことを問い掛ける。

「あー、先輩達と同じく就活生みたいなんですけど…結構、面接やら試験やらを受けたりしてるっぽくて、でも、メールじゃあまり『しんどい』とか『疲れた』とか、そういうのを表に出さないんですよね。」
「へー、なるほどねー。よほど就活がうまくいってるのかねー。どんな人か知らないけど。」
「最終面接とかも結構控えてるっぽいんで、順調は順調かも知れませんね。」
「その人、どこの人?」

急に話題に入り込んできたのは、伊都である。目が少しきらきらと輝いているような気がしたのは、久楽も栗江も思ったことであった。

「大学は?顔は?どこの面接を控えてるの?彼女は?」
「いや、全部知らないです。」

伊都の顔が「ガーン」という擬音がよく似合う表情に打って変わる。栗江はそんな伊都を気にもとめず、久楽に話し掛ける。

「顔も大学も知らないの?どういう関係なの?」
「まぁ、ざっくり言うと…メル友ですかね?」
「なるほど。今の時代、珍しくないと言えば珍しくないか。でも…あ、いや、なんでもないや。」

久楽が何か続きを言い掛けて、やめた栗江に疑問を覚えるも、ふと時計を見て慌て出す。

「あ、やばい。次の授業、教室遠いんだ。先輩、失礼します!」
「いってらー」
「まったねー」

久楽に手をひらひらと振って、送り出す栗江と、先程までのショックはどこへやらの伊都。
部室からサッと出て行く久楽。
残されたのは栗江と伊都の二人。
先に口を開いたのは伊都である。

「さっき、何を言い掛けてたの?」

伊都は栗江に問いかける。

「ねぇ、何を言い掛けてたのさー?」
「別に大したことじゃないよ。ただ、あの場で言うのは水を差すようだから控えただけで。」
「それが気になるじゃーん。ね、おねがーいー。」

上目遣いを使用して、甘えるように栗江に詰め寄る伊都。そんな伊都を見て、栗江は真剣な眼差しを向ける。

「それ、自分が思ってるほど、そんなに可愛く見えてないよ。」
「あ゛あ゛ん゛!!??」
「本性を出すのが早いよ。」

栗江は鬼の形相をする伊都を「まあまあ」と窘めつつ、一呼吸置いてから話す。

「SNSの発達の結果、色々な人と手軽に繋がることが出来る、けどもそんな人と親密になり過ぎるのは危ないよー、って言いたかったんだよ。」
「SNSって何?」
「そっから?え、そっからなの?あー、FacebookとかInstagram、mixiやTwitterとかだよ、ざっくりと言えば。」
「あー、わかった。けど、わかんない。なんで、親密になりすぎるのは怖いの?いいじゃん、楽しそうで。私にもいるよ?」
「『その人が本当にその人であるのか』がわからないから。」
「はあ?何言ってんの?難しい言い方してりゃ、かっこいいと思うなよ。」

そう言いながら、イライラしたのか栗江の肩をバシバシと叩く伊都。ポカポカではない、バシバシである。

「え、痛っ、何でそんなに怒ってるの?そんなに難しい事言ってるつもりもないんだけど。痛っ。
いや、いくら文字で会話をしてても、実際に会わないと、その人が男だって言っても実は女の人かも知れないし、学生なのに社会人と偽ってるかも知れない。
文字ならいくらでも嘘はつけるって事だよ。痛っ。」
「なるほど、ネカマとか、そういう奴か。」
「ああ、ネカマとかはわかるんだ。痛っ。ってか、そろそろ叩くのやめてもらえませんかねぇ?」

延々と、栗江の肩をバシバシ叩き続けていた伊都は、名残惜しそうに「最後の一回…!」と小さく呟きながら、改心の一撃を栗江にお見舞いした。栗江の口から「ぬぁっ!?」と漏れたが、伊都は特に気にせず。

「ま、なんでもいいや。私には関係ないし。」
「いや、そういう人いるって言ったじゃん。話聞いてた?

…ところで、伊都は就活はどうなの?順調?…あれれ?何で目を背けるのかなー?」

「…ボチボチかなぁ~…」

「…それはなによりで…」

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