「AI(愛)は掌に」 第十四話

 久楽の「AI」の一言によって、会議室はさらなる静寂に包まれた。久楽は次元と庄司の顔色や反応がどう変わったのか、どう変わるのかを確かめるために押し黙る。
 庄司は「あちゃー…」とも聞こえそうな顔をしている。それが、どういう意味合いの「あちゃー…」なのかは久楽の中でいくつか推測を付けた。
 次元は久楽の目を見続けて、微妙ながらも眉間に皺が寄った以外には大きな反応は見られなかった。
 静寂に包まれた空間は、短くも長い時を刻み、やがて終わりを迎えるのであった、それは次元の言葉によって。

「そうです。機械です。人工知能です。AIです。」

 似たような言葉を3度続けた次元。念を押すように、間違いがないように、現実を突きつけるように…そして、久楽の胸の内にも突き刺さる。
 庄司の表情に変化はない。ずっと同じ表情である。いや、驚きが増しているようにも見える。庄司は次元と同じように全てを知っていたのではないのか?そんな疑問も久楽の中に浮かびはしたが、ひとまず思考の外に置いておいた。

「あなたのメールしていた人は全て人工知能です。機械が全てを判断して、会話にそうように学習していく。AIの研究を担っています。
 …そう言われたら…久楽さん、あなたはどう思いますか?この仕事については。」

 全てが人工知能…井内さんも…新井さんも…?信じたくなかった…が、叩きつけられた現実が重い。曖昧のまま隠しておきたかった霧が突然の突風でかき消された気分だ。…「どう思いますか?」どう思っているのだろう。あ、この仕事についてどう思うか、ってことか。そうか。

「…。え、あぁ、会話を通して、人工知能の学習に付き合っていたんだなぁ…すごいなー…くらいにしか。」

 次元からの問いが久楽の耳に届いていたのにも関わらず、脳が質問を理解するのに僅かの時を必要とした。質問への理解が出来なかったのではない。僅かな間、久楽は意識は別のところにあったのだ。それ故に何とも情けない回答しかできなかった。

「それだけですか?」
「…え?」
「そんなに簡単に割り切れるものでしたか?あなたがこれまでに築いてきた関係は。機械だから、で終わるのですか?何も気付かないですか?」

 久楽は次元の言葉を理解できないでいた。何を言いたいのか、どういうことなのか。いや、なんとなしに言いたいことはわかっている。AIだと薄々気付いていたかも知れないが、そこから目を背けていたこと。AIと言った時に胸の内がとても苦しかったこと。「久楽さん…」AIだから…?AIなのに…?「…一度、自宅に帰られて下さい。そして、これまでの仕事のことを思い返してください。また一ヶ月後にお越しください。」今までのメールの相手はAI。ただ、それだけじゃないか。割り切れるもの?割り切るも何も…何を割り切る必要があるのだ。築いてきた関係?何を言ってるんですか。いつものようにメールをして、お金を貰う。それだけの仕事だったじゃないか。それだけの関係じゃないか。お互いに干渉しすぎない。個人的な詮索はしない。ただ、会話するだけ。これまで4ヶ月弱、4人の男女とメールで会話をする。あぁ、男女というのもおかしいや。そういう設定のプログラムと会話をするのが仕事だ。「久楽さん?」あれ?庄司さん、どうしてそんな寂しそうな顔をしてるんですか?次元さん?…どうして顔を背けるんですか?目を合わせてくれないんですか?僕の顔に何か付いてますか?あ、そういえばさっき誰かの声が聞こえたような、話の流れからして次元さんだな、えっと、何の話でしたっけ?え、自宅に帰った方がいい?どうして?まだ話の途中じゃないですか。思い返すって、今更何を思い返すことがあるんですか?あ、尾上さん。いつの間に?その手に持つ…それは何ですか?布…ハンカチ?それを僕に?なんで?ナンデ?なんで?ナンデ?なんでなんでなんで…何で?何で?何で…

 …何で目が痛いんだ。目から血が流れているのか。…違う。視界は赤くない。でも、痛い。目が痛い。ぶつけたわけでもない…でも視界はぼやけている。これはドライアイの影響なのかな…瞬きは適度にしておかないといけないな…あれ?

 気付けば目からは涙が流れていた。

 なぜだろう、「ありがとうございます」の一言も、上手く、言えずに、ハンカチを、受け取らずに、袖で、涙を、拭う。目が痛くて、長く、目を開けていられない。瞬きが、増える。しかし、瞬きをするごとに、瞼から、水分が、塊となって、吐き出されていく。大学生が、会話中に、突然、涙を、流す、なんて情けない、なんて恥ずかしい、なんてことだ、いたたまれない、別に、叱咤されたわけでもない、なのに、涙が、、、、、、、止まらない。

「すいません。失礼します。」脳内ではちゃんと言えた。けれども、上手く発音できたのだろうか。そんなことはどうでもいい。恥ずかしい。とにかく恥ずかしい。穴があったら入りたいし、無いなら掘りたい。走る。一人になりたい。走る。誰にも見られたくない。走る。とにかく家に。走れ。

 会社を飛び出した。後ろから誰かから声を掛けられた気がする。次元さんか?庄司さんか?それでも、止まる気にはなれなかった。こんな醜態を見せて、見せ続けたままではいられない。いずれ戻ってこなければいけないことはわかっている。それまでに気持ちの整理をしなければならないことはわかっている。それでも今は、今だけは、感情の赴くままに。

 僕は機械じゃない。人間だ。

 僕はまだ気付かなかった。走ることに夢中で。ポケットの中に入れてあるスマホがメールを受信していたことに。

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 差出人:新井千百合

 本文:
 画像の件…どうでした?やっぱり怒られちゃいましたか?
 本当にごめんなさい(。>﹏<。)

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 会議室に残っているの男二人と女一人。
 女は手に持ったハンカチをしばらく眺めていた。そして、ゆっくりと自らのポケットしまうと、一人の男の前にゆっくりと、しかし怒気を漂わせて向かう。小さな溜め息を着いたかと思えば、会議室に「パチーン!」と音が響き渡る。
 頬が僅かに赤くなった男。掌をさすり、頬が赤くなった男を睨み付ける女。呆然と立ち尽くすもう一人の男。
 その状態からしばしの間、声も動きもなかった。

「悪い…」

 そう言葉を漏らしたのは頬が赤く、後に腫れるであろう男、次元だった。頬をさすりながら、女…尾上に謝罪の言葉を告げる。

「なぜ、本来の意図とは違う方向に持っていったのかしら?」
「………」
「全て機械だ、それを伝えるだけが目的じゃないでしょ?」
「………」
「そもそも、なぜあの子はこれまで教えられてなかったの?」
「………」
「これは『テスト』じゃないの?」
「………」
「機械へのテストであって、あの子へのテストじゃない。」
「…悪い…」
「謝る相手はあの子にでしょ。」
「…あぁ…」

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