スプラッシュゾーン03

『スプラッシュゾーン 落下の時空』

○第三章

 夜襲の失敗以来、敵は現れなかった。

 その後もドルワとミヅキは、王都へ向けて旅を続けた。注意深く道を選び、ある時は急ぎ、ある時はゆっくりと休息を取り、着実に王都への距離を詰めていった。

(用心しすぎるに越したことはない)

 とはいえ、用心の果てに生まれる油断こそ、敵の付け入るところでもある。ドルワはかつて、亡父マッセにこう教わった。

「用心の目的に常に立ち返り、最善を尽くせ」

 短い言葉ながら、今だからこそ響く。
(僕の目的は、ミヅキさんを無事に王都に連れて行くことだ)
 旅立ってから四日が過ぎ、幾つもの山を越えてきた。王都はその果ての平原を抜けて更に山々を越えていかなければならない。
(普段ならば、あと三日で王都だ)
 だらだらと時間ばかり掛けたところで襲われる時は襲われる。それに父の死を早く番人頭に伝えないといけない──

「ドルワ君、ドルワ君♪」

 不意にミヅキが呼ぶ。
「はい?」
 昼下がりの木陰の中、ドルワは地図を広げて残りの旅程を考えていた。ミヅキはその横で果実をほおばる。
「ほら、煮詰まった時は食べた方がいいよ。頭スキッとするからさ」
 微笑みながらミヅキは果実を差し出す。
「この実、どこで見つけて来たんですか?」
「ん? 適当。食べられるでしょ、これ?」
「言う前から食べてるじゃないですか」
「ははは、そうだね」

 ドルワは、ミヅキの危機管理能力に舌を巻いていた。自分も亡父マッセによって山での生き方をさんざん叩き込まれてきた筈である。地の利もドルワにあるからこそ、彼はミヅキを導いていかねばと気負っていた。しかし、ミヅキはドルワの思った以上に『出来るひと』であった。

「あ、こっちなら敵は攻めてこないね」
「その先に行くとご飯のヨカン♪」

 即座に地形を読み、有利なポジションでの道取り。泉や木の実など、食料がありそうなポイントを探し出す嗅覚…日が経つほどに本領を発揮し、おかげでドルワの覚悟していた負担はほとんど無くなった。ましてや戦闘になったら、実際に敵と相対するのはミヅキである。

「私がドルワ君を守るから」
 そう言って、ミヅキは笑った。
「だって、私は助けてもらった。ドルワ君に、そしてあなたのお父さんに」

 父マッセは、ミヅキを守り、死んだ。それは番人としての当然の責務ではあったとドルワは思っていたが、ミヅキ本人にとっては納得のいかないようであった。

「私、ドルワ君のお姉さんになってあげてもいいんだよ」
「結構です」
「えーー」
「僕は番人を継ぎますから問題ないです。ミヅキさんは取りあえず、王都に行ってから御自身の身の振り方をお考えになって下さい」
「君、少年のくせに可愛げがないよ」
「そんなものは番人にはいりません」

   ×   ×   ×

 軽口を叩きながらも、二人は山を一つ越え、谷あいの道を歩いていた。だんだん木々の緑は少なくなり、岩肌も目立って多い。ついには大岩がごろごろ転がる、元は川底であったであろう道を行くと、その先には大きな平原が広がっていた。
「ここは王都への中間地点です」
 ドルワは地面に地図を広げてミヅキに指し示す。天空に『門』のある山より連なる山脈を越え、行き着いた平原の先には再び別の山脈の連なりが始まる。しかし、残りの王都への道のりには太い道路が記されており、行く先々には宿場町らしき記号が描かれていた。
「この平原を抜ければ……街道に出るんだ」
「はい。旅人の往来も多く、宿場町には番所があります」
「ということは、街道に入ってしまえば…無闇に襲われることは無くなるわけ?」
「無闇に、というだけで絶対とは言えませんけど」
「うん、賢い答えね」
 ミヅキはニヤッと笑った。
「でも…派手にやらかすんだったら、この広い野っぱらが、ひとまず最後の場所、ってわけよね……」
 ミヅキはしばし考えていたが、一人うなずき、スタスタ歩き出した。
「どうするんですか?」
 ドルワが尋ねる。
「とにかく真っ直ぐ、歩く!」
 きっぱりとミヅキは言った。
「これだけ見通し良いんだから、敵も味方もお互いの行動は筒抜けでしょ。攻めるんだったら攻めさせましょう。その分、私たちは道を急ぐと」
 日差しは強めだが、乾いた風が涼しい。二人は急ごしらえの笠を被り、先を急いだ。なるほど、目前に広がる大平原はどこまでも視界を妨げるものは無い。
「これだけ何も無いと気持ちがいいね」
「だいたい三日歩く感じです」
「三日分の距離か……」
 ミヅキはぐるりと見回す。
「見えますか?」
「はは、無理だよ。ドルワ君は?」
「三日分は無理ですが……半日分歩いた距離くらいなら何とか」
「え? 見えるの?」
「はい。表情は無理ですが、人の背格好とか……その位は見えます」
「何で? すごいじゃない?!」
「だって……番人見習いですから」
 ドルワがマッセに引き取られた理由は、利発さとその視力の良さにあった。番人はしずくの落ちる気配を察知し、いちはやく落ちた場所に向かわなければならない。ドルワは小さい頃から星空を眺めるのが好きだった。眺めていたから目が良くなったのか、よく見えるから眺めていたのかはわからないが、後継を探していたマッセにとっては、遠目の利く少年の存在は渡りに船であった。

「少年、星は好きか?」

 三年前の冬、施設の小部屋にて顔合わせをした昼下がり。マッセはドルワにこう尋ねた。

「はい、好きです」

「よし、出発は明日だ。支度をしなさい」

 静かに微笑むマッセのまなざしは優しかった。施設の暖房は貧弱で、凍えるほどであったが、その時ドルワの心は躍り、体の血流が熱く流れるような何かを感じた。もしかしたら、その時にすでに番人になることを覚悟したのかもしれない、と彼は思っていた。
(そしてそれは、今も変わっていない──)
 普通の十歳の少年に比べて驚異的とも思えるドルワの体力と気力は、素質もあったのかもしれないが、以来二年あまりのたゆまぬ訓練のたまものであった。
「遠目が利くから番人なんですよ」
「へええ、言うねえ」
 威張らず気取らず、さらっとした言い方にミヅキは感心したようだった。
「君さ、あと十年したらいい男になるよ。そうしたら付き合ってあげてもいいな」
「でも、その時はミヅキさんも十年経っちゃいますよ。大丈夫ですか?」
「ふふふ。案外そうでもないんだなァ」
「?」
「ま、それはそれとして、先を急ごうか」
 二人は再び歩き出した。

   ×   ×   ×

 途中、わずかながらな緑を見つけては、ミヅキは細い枝や灌木を切り出し、ぶんぶん振り回したり、突き出したりしてしなり具合を確かめた。そしてそのうち、
「まぁ、いいかな」
「これは行けるか」
 数本を選んで即席の槍を作った。
「ほんとは弓の方がいいんだろうけどね」
「だったら山を歩いていた時に言って下さいよ。竹も蔓草も色々あったのに」
「だってこんな野原を歩くなんて思ってなかったんだもん」
「あー、すみません、説明不足でした」
「さっき褒めたの帳消し。君可愛くない」
「はいはい」

 一日歩いたが、周囲に敵らしい姿は見えなかった。二日目、太陽が真上から傾いてしばらくしてから、『それ』は現れた。

「見えます」
「何が?」
「何だろう…人の姿に見えないんですけど。ケモノかな?」

 ドルワが見えるのは歩いて半日分の距離。その位置に、それはうごめいていた。
「真っ直ぐこちらへやって来ますね…ええと…早いですよ。何でよく見えないのかと思ったら…煙が立ってるんだ。空気の揺らめきじゃない。こんな早いケモノ…この辺りじゃいませんよ」
「どんな形?」
「何か……丸いです」
「そっか」
「どんどん大きくなってます!」
 その間、ミヅキは地面に耳を当てて遠音を聞く。おもむろに立ち上がったその顔は凛々しく、美しかった。
「ドルワ君」
「はい?」
「君はあそこに隠れてて」
 指さす方にはちょっとした窪みがあり、ドルワが一人でしゃがみこむにはちょうどいい具合である。
「ミヅキさんは?」
「ん? 聞くまでもないでしょう?」
「ああ、やっぱり」
 そうつぶやくとドルワは窪みに走った。
「あいつ、早いですよ! ほら、もうミヅキさんも見えてきたんじゃないですか?」
 砂煙はより鮮明に、その一つ一つの固まりが後方に送られていく様が見える。その中央にいる『それ』は、はっきりとドルワにはその異様な形を見せつけていた。
(あんな物は見たことがない……)
「何なんですか、あれは?!」
 ドルワは叫んだ。そして混乱した。
(あれは何なんだ?何であんなに早く動けるんだ?)
 目の前のミヅキは全く動じず、静かに前を見つめていた。その構えは左足を軽く前に出して重心を足先に傾け、さりとていささかの力みはない。背中のバッグから眼鏡のような物を取り出すと、こめかみに挟んで装着する。
(あの人は一体何者なんだろう……)
 これから起こるのは一体どんな戦いなのかわからない。しかし、ミヅキの美しい横顔を見ていると、心強さを感じる。
(それにしても……)
 ものすごい早さで『それ』はミヅキに近づいていた。さっきまでは半日分の距離にいたのに、もはや今では、その半分以下の位置でうごめいている。上下に体がぶれず、地面にほぼ平行して前進しているのだ。だからドルワの目には、そのままの形がどんどん大きくなっているようにしか見えない。ドルワは戦慄した。
(ケモノは四肢を蹴って走るのに、あいつには足が無い?)
 そんな生き物、見たことも聞いたこともない。マッセの教えにも無かった。あらためてドルワはミヅキに倣い、地面に耳を当て、その音を聞いた。
「!?」
 低くうなるような音が聞こえる。しかしそれは、ケモノの声でも地を蹴る音でもなかった。
(これは……機械の音だ!)
 かつて王都で聞いた、ねじ巻き時計の回転する音……今ここで聞いている音は、それよりも重く、叩きつけるような激しさであったが、規則正しく刻まれるその響きは、機械細工のそれと近しい人工的なものだとドルワは確信した。

「行くよ!」

 ミヅキは手槍を一本掴み、今度は横に走り出した。ドルワから距離を取り、戦いの場所を探しているように見えた。『それ』はすでにミヅキの移動に合わせて進む方向を変えている。角度が変わったことで、ドルワには、初めてその全貌が見えた。
(何だ、ありゃ?!)
 その姿はまるで、巨大な槍の穂先のようであった。黒光りするその巨体は、牛よりもはるかに大きい。そして何より、巨大な車輪が二つ、縦に並んでものすごい早さで回転している異様な姿がドルワを戦慄させた。
(車輪が縦に?)
 牛車や荷車など、ドルワは車輪とは、軸の両輪となって転がるものだと認識していた。しかし、今自分が見ている車輪は単独で、縦に並んで体らしき部位を支え、前に進む力を与えているのだ。
(何で動いているんだ? 車輪が勝手に?)
 もはやミヅキと『それ』の距離はすぐそこまで来ていた。
 
 ミヅキは手槍を一つ持ち、走った。
 数歩の後、ぎゅっと踏み切るとぐいと胸を反らし、引き絞りを力に変え、手槍を勢いよく獲物に向かって投げた。
(すごい!)
 ドルワが感心する間に手槍は勢いを増し、上空でゆるやかに角度を変え、更に勢いを増して『それ』に迫った。

「当たった!」

 思わずドルワは身を乗り出し、叫んでいた。しかし、手槍は『それ』に当たったがはね返り、四散しただけであった。
(やっぱり固いんだ……)
 『それ』の鼻先から閃光が走り、ミヅキを襲った。あの父を撃った筒状の武器と同じ閃光──
「シュッ!」
 口をすぼめて鋭く息を吐くと、ミヅキはそれを紙一重でかわす。その先にはあらかじめ用意していた手槍があった。
(いつの間に?!)
 ドルワが混乱している間にミヅキは着々と敵への準備を素早く行っていたのだ。
(あの人は……すごい!)
 戦いの最中だというのに、ドルワは感動していた。ミヅキと『それ』がすれ違う。砂煙と爆音で目と耳が利かない。ドルワは必死に腕で目をかばいながら事態の成り行きを見ていた。
(なるほど、ミヅキさんのあの眼鏡のような顔当ては、こういう時のためか!)
 砂煙の中、怯むことなくミヅキは次の動きに移行していた。敵は動きは速いが、機敏さはないようである。再び両者は距離を取り、ミヅキは手槍を構え、敵は大きく半円を描いてその向きを変えていた。
(速さは鈍さ、か……)
 敵は速く走り、殺到する。しかし直線の動きは単純であり、ミヅキは、それを巧みにかわすだろう。
(なんて無駄な速さなんだ。あれだったら馬に乗って攻めた方がマシだ)
 その一方で思う──
(とはいえ、ミヅキさんの武器では、あいつは倒せない。かわすだけじゃ、疲れが重なるだけじゃないか)
 不安なドルワに気付いたのか、ミヅキがこちらを向いた。そして軽く手槍を振ってみせると小さく口を動かす。

『ツ・ギ・デ・キ・メ・ル・ヨ』

 ドルワにはそう見えた。

(次で決めるって……どうやって勝つつもりなんだ?!)
 体中に力が入る。ドルワは歯を食いしばってにらみ付けるようにミヅキを見つめた。敵は再びミヅキに殺到していた。ミヅキは今度は手槍を投げずに半身に構え、前方に走る。しかし、真っ正面ではなく、わずかに外れているため敵の閃光はことごとく外れ、その度に敵はその向きを順次修正しなければならない。
(あの武器は正面しか当たらないんだ……)
 明らかにミヅキは敵を熟知して、その攻撃をかわしていた。
(この人達はお互いをわかった上で殺し合っている?)
 ミヅキは手槍を構え、敵に殺到する。
 先ほどの四散した手槍を思うと、ミヅキの戦い方は無茶なだけで全くの無意味である。しかし、ドルワには見えていた。
(何だ? あの槍の先?)
 手槍の先にはいつの間にか紡錘状の固まりがくくりつけられていた。ミヅキは敵とすれ違いざまに、閃光を発していた箇所に手槍を叩き込む。両者はすれ違い、その距離を再び取ろうかというそのさなかであった。

 爆発──

 敵はその内側から火炎を噴き出し、歩みを止めた。二輪の釣り合いは崩れ、その巨体はどうと倒れる。空には黒煙が立ち上り、再び爆発が起こった。
「やった!」
 ドルワは立ち上がり、叫んだ。しかし、ミヅキの表情は変わらない。

「出るな! まだ終わってないッ!」

腰に差していた小太刀を引き抜くと、ミヅキはあらためて身構える。それに応えるように、炎の中で立ち上がる人影が一つ、ゆらりと足を踏み出した。
(あ、あれは……?!)
 炎をかき分け、出現したその姿に、ドルワは驚愕した。

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