スプラッシュゾーン02

『スプラッシュゾーン 落下の時空』

○第二章

 父は死んだ。
 埋葬を済ませ、ドルワは旅立った。
 番人・マッセの死を報告し、その後の指示を仰ぐためである。

「いいか、ドルワ。王都へ行け……」

 瀕死の中、マッセは消え入りそうな声でそう言った。父から託された箱の中には一対の腕輪と帯が一本、表紙が金属製の手帳が一冊入っていた。
 腕輪はマッセが身につけていた物と同じ形をしていた。以前、使い方は教わっている。装着後、同時に左右の指で腕輪を掴み、指の紋を腕輪に覚えさせる。瞬間、腕輪は輝き、その光はゆるやかに消えた。
「それはなあに?」
 ミヅキと呼ばれた女が尋ねる。
「番人が用いる守りの腕輪です」
「守り?」
 ドルワは身構えると右手をぐいと突き出す。腕輪が再び輝いた。
「はァッ!」
 気合いを込めると手の先の空間が歪む。手の平を開くと歪みは広がり、ぎゅっと握ると歪みは縮まる。
「何故こうなるのかはわかりませんが、この歪みは敵の攻撃を防ぐことも出来るし、こうやって──」
 ドルワは木の幹に向かって拳を振るった。
「たぁッ!」
 直接当てていない幹がズン、と震え、枝がざわめく。
「歪みを固めて敵に当てるんです」
「そうか……重力か……」
 ドルワの説明に納得したようにミヅキはつぶやいた。
「何ですか、重力って?」
 今度はドルワが尋ねた。ミヅキはぶんぶん頭を振って照れくさそうに笑う。
「あ、私も対して詳しくないのよ。理論と実践は違うから…」
「……あなたは、武芸者なのですか?」
「まだよく…わからない」
 ミヅキの顔が暗く沈む。
 二人は山の祠に向かっていた。

 マッセが残したもう一つの言葉──
「祠を見て下さい」
 その言葉に従い、ドルワはミヅキを連れて祠への道を歩いていた。空は青く晴れ、太陽は真上へと昇る頃、二人は祠にたどり着いた。
「荷物、って言っていたから、恐らくは……」
 祠はドルワの肩ほどの大きさで、石板を組み合わせて作られていた。
「鍵が掛かってるね」
「大丈夫です」
 ドルワは託された箱から鍵束を一つ取り出した。
「おそらくこれで……良いはずです」
 沢山ある中から一つ、鍵に刻まれたものと同じ印が刻まれた鍵を選ぶと、ドルワは鍵穴に差し込んでくいと捻る。カチリと軽く音を立て、錠前は開いた。金属の扉は錆び付いて多少重いが、ドルワでも何とか開くことは可能だった。ぎぎ、と鈍い音を立てて祠はその内部をあらわにした。
「これは……」
 それは奇妙な『固まり』だった。継ぎ目のない、真っ白な固まり。四角でもない、丸でもない。例えて言うならばしずくのような形をしていた。大きさは赤ん坊を抱きかかえるくらいであるが、意外と軽い。
「これ、あなたの物なんでしょう?」
 ドルワはミヅキにそれを手渡した。
「……」
 きょとんとした顔をしてミヅキはそれを受け取った。左右に傾け、逆さにしてみたが『固まり』は何も反応しない。
「?」
 表面はつややかで、怪訝なミヅキが映り込んで見える。その顔を近づけて眺めていると、不意に継ぎ目が現れた。映り込むミヅキの顔が大きく歪む。
「きゃっ」
 思わずミヅキは『固まり』を放り出した。それは地面に落ちると突起が四つ出現し、継ぎ目は四角を形作る。いかにもそれは『蓋』であった。
「これは……」
 ミヅキは再び手に取ると蓋と目される部分に触れてみた。軽い手応えの後、蓋は開く。中は空洞で折りたたまれた布が押し込まれていた。取り出して広げる。それは女物の服であった。
「それ、きっとあなたの服ですよ」
「私の?」
「それはおそらく……僕がこの山に来る以前に落ちてきたしずくなんだと思います」
「あなたが……来る以前?」
「二年前、僕は父に引き取られました」
「そうだったの……」
「父が以前言っていました。時のしずくは一つでは落ちず。ただし連なりは珍し。先んじて落ちるは小。後から落ちるは大──」
「私は……大?」
 不満げにミヅキは口をとがらせるが、ドルワは気づかない。
「ええ、明らかに『大』ではないかと。そしてそのカバンが『小』のしずくだと思います。二年以上前に落ちてきたとはいえ、異世界の理は僕にはわかりません。ひょっとしてこちらでは二年でも、向こうの世界では続けてしずくを落としたのかも……」
 もう一度ミヅキは不満げにつぶやく。
「そっか、大なんだ」
「ええ、そうだと思います」
「ふーん」
 ミヅキはしばらく口をとがらす。そして何を思いついたのかあっけらかんとつぶやいた。
「……着てみようかな」
「え?」
「そうだ、着ちゃおう!」
 そう言ってミヅキは帯を解き始めた。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「だって私は『大』で、この服は『小』なんでしょ?」
「しょ、『小』はそのカバンの方ですッ! でも、それと着替えは関係ないじゃないですかッ!」
 そう言って背を向けたドルワにミヅキが叫ぶ。
「あなた、番人でしょっ! 私に何かあったらどうするの? きちんと見なさい!」
「い、いや! 番人ってそういう番人じゃありませんから!」
「じゃあ、どういう番人?」
「しずくが落ちてくるときの番人ですッ!」
 背中を向けながらドルワも叫ぶ。
「君は私の番人だよ」
「いや、だからそうじゃなくてッ!」
「私が決めた」
「はぁ?」
「こっちを見なさい」
「いやです」
「見なさい!」
 ミヅキの厳しい声が飛ぶ。ビクッとしたドルワは赤くなった顔を更に赤らめた。
「……」
 沈黙が重苦しい。こらえるドルワにミヅキがささやく。
「……見て」
「……」
 おそるおそるドルワは振り向いた。目の前にはすでに着替えたミヅキの姿があった。
「どう?似合うかな?」
 いささか拍子抜けしたドルワであったが、新たな服に着替えたミヅキの姿に感嘆した。
(こんな服が……あるんだ……)
 服の生地は布とは異なり、表面がつやつやしている。かと言って動物のなめし革でもない。丈の短い青の貫頭衣の上に更に短い羽織状の着物を重ねていたが、ところどころに金属片が埋め込まれ、肩当てが付いていた。
「あ、カバン……」
「そうそう。何かね、上着の背中に四つボタンがついていたからポチッと——」
 背中を向けたミヅキの背中には先ほどのカバンがくっついていた。どうやら上着に取り付けが可能のようである。
「やっぱりこれは、ミヅキさんのカバンですよ。だって……」
「だって?」
「だって……」
 いささかの躊躇の後にドルワは言った。
「だって、すごくお似合いです。その服……」
「ありがとう」
 にっこりとミヅキは微笑んだ。

 二人は山を下り、王都へ向かった。王都への距離はドルワの足で七日間。夜に眠って朝に出発。その繰り返しで七日掛かる。しかし先日の襲撃者が再び現れるかもしれない。いかにミヅキが強くてもこの世界の地理は全く知らない。奇襲次第ではどんな窮地においやられるかわからない。ドルワは必死に考え、道を選び歩を進めた。ミヅキはその後をついていく。

「ドルワ君、エライね」
 不意にミヅキが言った。
「は?何がです?」
 意外な言葉にきょとんとしてドルワは尋ねた。
「だって、お父さんが亡くなったのに……こうして私と一緒に……エライなあと思って」
「偉くなんか、ないですよ」
 ドルワは軽く笑った。
「そういう風に教えられてきましたから。実の父親ではありませんでしたが、マッセは僕にとっては尊敬できる師でした。それに……」
「それに?」
「あなたを無事に王都に送ることで、気が紛れる」
 その言葉に嘘はなかった。
 マッセが死んだとき、ドルワは号泣した。墓穴を掘るときも、マッセを穴に納めたときも、土を被せるときもドルワは泣いていた。日は昇り夜明けから朝へと移る頃、ドルワは腹をくくった。

「王都へ行こう──」

 何のためにマッセは自分を引き取ったのか?それは正に、今この時のためだ、とドルワは思った。

(僕がしずくびとを王都へ連れて行く)

 襲撃者の正体、記憶を無くしたミヅキ……色々あるが、何はともあれ父の死を番人頭に伝え、今後の指示を仰がなければならない。父が遺した箱の中身……腕輪は身を守り、武器にもなる。帯は小さな道具類が仕込まれており、道行きの大きな助けになるだろう。表紙が金属製の手帳にはマッセの文字で番人についての記述が色々書き記してあった。これらを駆使すれば何とかなりそうだ……そう考えると勇気が湧き、あらためて箱を託してくれた父への感謝でいっぱいになった。
(父さん、行ってきます)
 墓標に向かって一礼したドルワに、もはや迷いは無かった。

「ありがとう」
 ミヅキは努めて明るく言った。
「どういたしまして」
 ドルワも快活そうに応える。
「これは僕のためでもありますから」

 襲撃の気配はない。山の空気は澄み、涼しげな風がそよいでいた。
(もうすぐ山のふもとだ……)
 山道は足場が悪い。しかし木々の葉に覆われているため、遠くから撃たれることはない。
(あの筒から撃ち出す弾丸は恐ろしい……)
 昨晩の戦い──マッセは腕輪の力で数発は防いだが、何発も体に撃ち込まれ、負傷した。

「全てを跳ね返すことは出来んぞ」
「実弾は歪みを突き抜けるのだ」

 ロウキと呼ばれた襲撃の首謀者は、マッセに向かってそう言った。
(逆に考えれば、全てが当たるわけではないんだ)
 更にマッセは、敵の戦い方を我が身を持ってドルワに見せてくれた。全く同じような手はずで再び襲ってくるとは思えないが、対処の仕方の参考にはなる。
(感謝しこそすれ、いつまでも悲しんではいけないんだ)
 ドルワは全てにおいて前向きだった。いや、前向きになった。
(父さんの死に、意味があったか無意味だったかは…僕次第で決まる)
 そんなドルワにミヅキは安心して付き従う。彼女も、彼が持つ強さとしたたかさに気付いているかのようだった。
「もうすぐ山を抜けます」
「うん」
「襲うのならば、この先の峠道がいい感じなんですよね」
「何で?」
「山道は険しく、おまけに道は木々に覆われています」
「うん」
「あの弾丸で僕たちを狙うには、もっと開けたところで待ち伏せるんじゃないかと」
「そっか。で、開けた峠で待ち伏せかァ。で、どうするつもり?」
「そのまま進みます」
「おおう」
 意外な答えにミヅキは思わずつまずく。
「僕がこう考える、ってことは、相手も僕らが用心して掛かってくると予測していると思うんです。だからおそらく……」
「おそらく?」
「峠を抜けて安心して野宿をしたところを狙うんじゃないかなあって。昨日の襲撃も深夜でした。あの人たち、夜好きそうですよね。黒い服着てたし」
「あはははははは!」
 思わずミヅキは笑い出した。
「な、何がおかしいんですか?」
「いや、スゴイな君って…」
「変ですか?僕」
「変じゃないよ。スゴイなって言ったんじゃない」
「その前の笑いがちょっと……」
「何かスゴイことがあるとね、心の中からジワジワきちゃって笑っちゃうのよね、私」
「あ!」
 今度はドルワが素っ頓狂な声を上げた。
「何?どうしたの?」
「今の言葉、いかにも自分を『わかっている』ような言い方でした!」
「?」
「ミヅキさん、記憶が戻ってるんじゃないですか?ひょっとして」
「あ……」
 ミヅキは絶句した。
「戻ってるのかな、ひょっとして」
「お名前、ミヅキさんで合ってますか?」
「えーと…おそらく敵も私のことそう呼んでたからそんな気がするんだけど…ただね、自分はこんな人間なんだ、って実感というか…そういうのは出てきた」
「本当ですか?」
「本当だよっ!」
「あ」
 再びドルワが声を上げる。
「今度は何?」
「そういえば昨日の戦いの時、敵の偉い人のこと、ロウキとか何とか言ってたじゃないですかッ!」
「そういえば……」
「ミヅキさん、僕に嘘ついてませんか?」
「あの時……あいつの顔を見たら何となく『ロウキ』って名前が浮かんできたのよね。向こうも否定しなかったから、ああ、『ロウキ』なんだなーって」
「そんな、出たとこ勝負みたいな……」
 いずれにしても王都に行けば色々明らかになるだろう、とドルワは思った。例えミヅキが自分を騙しているとしても、王都までは道行きに協力してくれるだろう。
(まずは無事に、この人を王都へ送り届けることが先決だ)
 ミヅキは案内すべき相手であると同時に、心強い味方であった。彼女の剣技は相当な戦力になる。
「それにしても……」
「何よッ」
「落ちてきた当初はすごく神秘的な人だったのに。今じゃだんだん、にぎやかなお姉さんになってきて……がっかりです」
「うるさい!」
「騙すならどちらかというと、神秘な方で騙してほしかったです」
「だから騙してないッ!」

 峠を無事越える頃、陽は山の端に沈み、辺りは薄暗くなった。二人は歩けるだけ歩き、野宿が出来そうな場所を探した。幸い食料は、家から餅を幾つか持ってきている。山菜と共に煮込み腹に流し込む頃には夜は更け、二人は横になった。
「ずいぶん慣れてますね」
 夜空を見上げながらドルワは声を掛ける。
「何が?」
「野宿ですよ。異世界の方でそういうお仕事とかしていたんですか?」
「そういうって、どういう?」
「猟師とか炭焼きとか、山関係の……」
「さあ。わかんない。ただ何となく体が動くのよね」
 空の星は圧倒的な数で覆い被さるようにまたたく。
「何だか懐かしい……」
 ささやくようにミヅキは言った。二人はしばらく話をしていたが、いつしか声は止み、静寂が二人を包む。遠くで流れる川のせせらぎに紛れて──

 足音がした。

 用心深く、それはドルワとミヅキに近づいていく。足音が止み、二人の姿を確認したのか、その場で振り返る衣擦れがした。

 更に足音が増える。
 一人、二人、三人……先ほどと合わせて四人の足音がさらにドルワ達に近づく。ミヅキは背中を向け、ドルワも寝返りを打つ。

「今ぞ……」

 白刃が四つ、抜き放たれた。それはマッセを殺した暗器と同種のものであった。じりじりと四本の白刃は近づき、動かぬミヅキを取り囲もうとした、その時──

「今だ!」

 鋭くミヅキが叫ぶ。ひるむ四人に向かって起き上がったドルワが黒い玉を投げた。

 閃光。

「ぐわっ!」

 目を押さえてひるんだ一人にミヅキの刀が横薙ぎに襲う。

「ぐえっ」

 絶命した刺客に目もくれず、ミヅキは次の獲物に向かって走り出す。夜の闇に白刃の煌めきが一つ、二つ、三つ。

 静寂が再び、夜空のもとに訪れた。

読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)