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ベンチャー企業生活は社会人9年目でもずっと未知との遭遇だって話

私は30代にやたらとこだわって20代を過ごした。

新卒で当時15名いたかな?くらいのITベンチャー企業に入社。

「30歳からがいい女!それまでに社会に通用する経験を積む!」

「32歳で出会った頃の師匠を超えている社会人になる!」

「35歳で事業が1つ回せるようになってる!」

夢もやる気も満ち溢れていた。というか無謀かどうかなんてほぼ考えずにただただ「やりたい!」「そうなりたい!」だけでぶち上げた目標。

ちなみに結婚願望は0というかマイナスだったので特になにも考えていなかった。

21歳、ベンチャーIT企業の門を叩く

WEBメディア業界に飛び込むことにしたのは大学3年のたしか梅雨。

もともとオールドメディア業界を志望していたけど、いろいろあってITベンチャーの門を新卒採用で叩き、めでたく内定。

ビジネスのビの字も興味がなく、HTML?ナニソレ美味しいの?、ぐーぐる?なにそれゲーム?クラウドサービス?「雲のサービスってなんですか?」と真顔で聞いた21歳。

未知との遭遇とはまさにこのことだった。

(よくもまぁこんなの採用してもらえたよな・・・と今も拾ってくれた師匠には頭があがらない)

それでも、自分が大切だとおもうことを言葉にして住んでる場所も学歴も国さえも関係なくアクセスできる「WEBサービス」に魅入られた私は、とにかく「人が幸せになる可能性が高いWEBサービス」を自分の手で創りたかった。

そうしてはじまった新卒1年目の生活はちょっともう覚えていないくらい本当にシャワーのように初体験の連続だった。

・なぜ会社はあるのか?なぜ働くのか?

・サービスの本質とは?

・SEOってなに?

・WEBマーケティングってなに?Analyticsってなんだ?

・HTML?CSS?ruby? WordPress?Rails?

・収支計算?業績黒字?経営赤字?

・インサイドセールス?ルート営業?

・営業資料?媒体資料?

・営業戦略?アクションプラン?

・コモディティ化?

・チームビルディング?

今思えば新卒のほんとになにもできない私に1年目でこれだけのことを「教える」のではなく、「考え、行動する」機会を与えてくれた会社に感謝でしかないが当時は「???」の連続で何が分からないのかも分からない日々。

同級生が社内挨拶やOJTに取り組んでいる頃、私は今で言うインサイドセールスとカスタマーサポートの間のような現場スタッフとして電話をとりまくっていたので飲み会でまったく会話が噛み合わなくってそれはそれで面白かったw

当然ぽんこつな私は、失敗ばっかりなので終電まで上司につきあってもらってその日の反省を活かしたロールプレイングをしたりして、家に帰ったらその日の学びをまとめて翌朝また出社する。

プチプラの2,980円のジャケット1枚買うのにめちゃくちゃ悩むくらいお金も、時間もなにもなかったけど、自分がしたかった経験ができている実感ととにかく尊敬してやまない師匠と会社の仲間がいたので苦労とも思わず、私の人生の中でも特別な、幸せな時間だった。

リーマンショックと東日本大震災とコロナショックと

リーマンショック直後の就活、東日本大震災時のインターンシップと新卒入社、そして経営者3年目でのコロナショック。

自分の人生の節目になぜか前代未聞、未曾有の世情にみまわれる社会人生活でもあった。

誰も経験したことがない「初めて」の経験。

ひっくり返りそうな悲しみ、怒り、批判。そんなものが渦巻く中で、新卒で就職にした会社のおかげで救われたことばかりだった。

リーマンショック時は「採用」によって私を受け入れてくれたこと。

東日本大震災時は会社のビジネスが危うくなった時に自分に何ができるのか?を考え、実行した経験はもちろん、人の供養をサポートする仕事に従事していたことで、家族や親類を津波にさらわれた遺族のサポートなどを通して「生きることとは?」を深く考えさせられたことは今の自分に大きな影響を及ぼしている。

そしてコロナショック。新規事業立ち上げ中にまさかのコロナショック。目の前で世の中の仕組みがガタガタっと音を立てて変わってしまったことを痛感した。その中で、自分になにができるのか?をとにかく必死で考えて、会社を続けていくことの大変さを教えてもらった。

いずれも過去の経験やビジネスフレームワークなんてほぼ役に立たず、つねに自分の頭と仲間や周囲の考えを聞きながら必死で前に進める機会をいただいた。

「何が価値なのか?」

新卒で入った会社の社長も私の師匠も、そして当時のメンバーもそれを本気でそれだけをド真面目に考えて、実践する人たちばかりだった。人間的にできている人と新卒から20代を過ごせたことは今も財産になっている。

「30歳まであと3年」とおもった時に決めたこと

あっという間に新卒1年目が終わって2年目に入った頃、これまたいろいろあって結婚することになったけど「仕事辞めなきゃいけないなら結婚しない」と言うような女だったので入籍後も特に変わらず、いやむしろ少しづつできることが増えていたので俄然仕事が楽しかった。

ただ、30歳まであと7年、あと6年と自分で決めた年齢に近づく誕生日が恐ろしくもあった。自分が思い描いている能力や人間力がないまま、これだけの経験をさせてもらっても年齢だけ重ねる気がして常に焦燥感があった。

そうして27歳。30歳まであと3年と差し迫った梅雨。

私の師匠がベンチャー企業の役員として自分で大阪支社を立ち上げた年齢になってしまったのに自分の力量のなさに愕然とした。

「このままじゃだめだ。もっと裁量があって自分がぼこぼこになる環境で修行しなきゃ!」と思い立った私は愛してやまない新卒からお世話になった会社を卒業することにした。

そして30歳になった

それからどうなってこうなったか、新卒でお世話になった会社のグループ会社の役員としてずっと関わってきた事業を譲受するチャンスをいただいて役員2名とパート1名という現場体制で新たな役割をスタートした。

2ヶ月売上がなければキャッシュアウト。という状況で既存サービスを大事育てつつ、奇跡のエンジニアジョインもあり、念願のWebサービスを立ち上げたり、従業員を雇用させていただいたり、新規事業の大変さを痛感したりと、とにかく何も仮説がはまらない中で新卒当初並に七転八倒しながらあっという間に30歳になった。

おもっていたような社会に通用する30代には正直なれなかったけど、結局、年齢関係なく一生勉強で、自分がどこまで成長できるか?なんて一生つきまとう課題なのかもしれないと最近思えるようになった。

ただ、周りに尊敬する師匠や先輩がいてくれるおかげで人としとの正しさ、仕事人としての理想を見失うことがないのは本当に環境に恵まれている。と感謝しかない。

今年で社会人丸9年。いままさにコロナショックの最中で再び、未知との遭遇の日々。

この状況下で自分になにができるのか。

それをただひたすら問うて、価値創造を諦めないでいたい。



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