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"歴史" 系 note まとめ

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2024年1月の記事一覧

歴史学の本をガチで精読してみる

はじめに:不惑のチャレンジ!  今年は、私にとって、40歳という節目の年になります。40歳と言えば、「不惑」です。『論語』の中で、孔子が、人生を振り返り、もう「心に迷うことがなくなった」と語った年齢です。しかし、そもそも、その孔子はすでに15歳の時に「学を志した」と述べています。私にとって、40歳は、「不惑」というよりは、遅ればせながら「学を志す」年にしていきたいです。  そんな不惑の私の今年のチャレンジは、英語で書かれた歴史学の学術書を精読することです。  大学時代に

出口治明・月本昭男対談——博覧強記×碩学無双! “歴史と神話の交差点”を語り明かす

 2018年~2019年にかけて、月本昭男さんと出口治明さんの対談が重ねられていました。  今回、月本昭男さんのNHKブックス『物語としての旧約聖書 人類史に何をもたらしたのか』、出口治明さんのNHK「100分de名著」ブックス『貞観政要 世を革めるのはリーダーのみにあらず』が、1月・2月と連続で刊行されるにあたって、その対談のエッセンスを、再構成してお届けいたします。  立命館アジア太平洋大学学長特命補佐・ライフネット生命創業者で、「博覧強記」な教養の達人、出口治明さん。

【世界史】ビザンツ帝国のカタフラクトについて

はじめに 「…こうして霧がはれ、真夏の太陽が草原にあがると、マグネンティウスはいままでみたこともない装甲騎兵隊が、無数の長槍を輝かせながら、不気味にしずまりかえっているのを見いだしたのだった。それは単に騎兵だけが装甲しているだけではなく、馬たちにも同じようにすっぽりと装甲しているのであった。(中略)正午近くになって、歩兵の一人が顔をあげ、眼の前の黄色い花を摘もうとした。そのとき彼は突然地鳴りに似た音を聞き、驚いて眼をあげると、重装騎兵の軍団が砂煙をあげて進撃する姿を見たのだ

雑記 -世界史好きが思う世界史を学ぶ意味と勉強法-

 ただの暗記科目でつまらない、といって世界史を嫌う人や苦手意識を持つ人って多いですよね。世界史の勉強が楽しくて仕方なかった僕からすると信じられないですが。  ありがたいことにフォロワーが200人を超えましたので、100人を超えたときと同様に(フォロワーに教育関係者が多く見受けられたので)教育関連のテーマで記事を書いてみました。どうぞお付き合いください。 ■ 世界史は筋書きを作る学問 最初に前置きしておくと、研究者レベルの話ではなく学校の授業レベルで、世界史を勉強するとこん

大学受験を控えたキミたち 「自然史」へようこそ|Essay

自然史とは何か ずっとずっと昔から、人は自然の不思議を解明しようとして、自然界のものを集めて分類してきました。古代ギリシャではアリストテレスの『動物誌』、古代ローマではプリニュスの『博物誌』などが有名です。 ヨーロッパ人たちは大航海時代以降、世界中で新しい動植物や未知の鉱物を次々に発見し、それらを整理するために博物学が進化しました。お茶や胡椒、薬用植物など価値のある植物を求めて、多くの植物収集家が世界中を旅し、同様に動物や鉱物も収集されました。 スウェーデンの博物学者

【ニッポンの世界史】第16回:授業時間が足りない?—就職者にとっての世界史

A科目とB科目に分かれるまでの世界史の変遷  1960年度指導要領で就職者向けのA科目と進学者向けのB科目に分かれた世界史。A科目は週3時間、B科目は週4時間が標準とされました。  前回の1956年度学習指導要領では、社会科に「社会、日本史、世界史、人文地理」が設置され、このうち高等学校の社会科は日本史、世界史、人文地理から2科目は必ず履修することになっていました。  しかし1960年度指導要領では、社会科として「倫理・社会、政治・経済、日本史、世界史A、世界史B、地理

【ニッポンの世界史】第15回:世界史の分裂!—1960年代の学校世界史と働く青年の教養主義

世界史Aと世界史B:1960年度学習指導要領改訂  「歴史ブーム」が巻き起こる中で、学習指導要領が改訂され、世界史は「世界史A」と「世界史B」の2つの科目に分けられることが決められました。  「世界史A」とか「世界史B」という科目名は、1990年代以降に高校時代を送った年代の人であれば、大学受験の科目として世界史を使わなかった人であっても、聞いたことがあろうかと思いますが、実は1960年度改訂以降の約10年の間にも、「世界史A」とか「世界史B」という科目が設置されたことがあ

【ニッポンの世界史】第14回:「大国」化する日本と司馬遼太郎の登場

これまでのまとめ  ここでいったん1950年代までの流れを整理しておくことにしましょう。  一番左には、高校のカリキュラムのなかに位置付けられた "公式" 世界史の動きを、真ん中の列には、それに対抗したり影響を与えたりした "非公式" 世界史の動きを配置してあります。  教育や歴史、思想といった分野別に、日本の世界史のあり方の変遷を追ったものはこれまでもいくつか見られます(注)。  しかしそれらの対象の多くはアカデミックなものに限られていたり、政治的な動きとの関連に焦点

どうして歴史を学び続けるのか

昨日は深井さん著の『歴史思考』を題材に読書会を開催した。 コテンラジオは、Podcastを聴いている人であれば、一度はきっと聴いたことがあるだろう。 深井さん含めた3人のパーソナリティが歴史について楽しく話していく番組で、ぼくもベビーリスナーだ。 歴史を学生のころにしていた、暗記モノではなく、ストーリーとして知っていくことができる。 歴史を知ると楽になる 歴史思考では、歴史を知ると楽になると紹介されていた。 どうしてか。 それら、ぼくらが悩む一つの要因は、今の時

370 地図から消された戦争の歴史を持つ島の遺跡をたどる~広島県・大久野島

広島県東部の無人島・大久野島に滞在しています。 前回はかわいいウサギに惚れてしまった浮かれ気分満載の記事を書いたわけですが、実は大久野島に渡った目的はそれだけではありません。この島がかつて経験した悲しい歴史をこの目で見たいという思いもあったからでした。 こちらは大久野島の地図。休暇村やフェリー乗り場などと並んで書かれているのは数々の砲台跡と毒ガス資料館。この島の歴史は戦争抜きでは語れません。 うさぎたちがたくさんいる浜辺とお別れして島の中央部目指して昇っていきます。展望

【ニッポンの世界史】第13回:現在の世界史教科書のルーツ?—上原専禄と吉田悟郎『日本国民の世界史』(2/2)

 一度は検定に合格したものの1958年の検定で不合格となった上原専禄らによる『高校世界史』。前回は、これを1960年に一般書として刊行した『日本国民の世界史』(岩波書店)の構成と特徴について紹介しました。  世界史教育の歴史において「現在の世界史教科書のルーツ」と位置付けられることの多い『日本国民の世界史』ですが、今回はさらにいくつかの視点から「ニッポンの世界史」に対して果たした役割を考えてみたいと思います。 〈にとって〉の世界史:「書かれざる主語」を書く  編者の一人、

【ニッポンの世界史】第13回:現在の世界史教科書のルーツ?—上原専禄と吉田悟郎『日本国民の世界史』(1/2)

上原専禄『日本国民の世界史』  梅棹(→【第12回】)の生態史観が議論を呼ぶなか、中国と日本の遠さを強調することなく、また人類史を一望するような大局的な眺めでもない、「今、ここから」の視点で世界史と向き合おうとした歴史家がいます。以前一度とり上げた上原専禄です。  上原専禄は、ヨーロッパに留学して原典資料を読み込み歴史研究をおこなった第一世代にあたる経歴をもつ歴史家。戦後には西洋史という枠を超え出て「世界史」をいかに描くべきかを構想するようになった人物です。  彼がこだわ

キッチンの歴史 #カレースタディーノート

ビーウィルソン『キッチンの歴史』が面白かったので読書メモと内容の要約を書いておく。カレーとは直接の関係はなく文脈の本ではあるが、内容は応用できる部分も多いのではないか。月並みな感想だが、古今東西あらゆるトピックが登場するため読み応えがある。食文化研究という意味では大変参考になりそうな文献。10年前の本ではあるがツイッターやスマートフォンなどハイテクな単語も登場し、キッチンから見た人類史をざっと見返せる良本。 本の概要・個人的思考と思われているものの多くが、実はテクノロジーの

【ニッポンの世界史】第12回:梅棹忠夫の『文明の生態史観』

トインビーの来日  1954年に大著『歴史の研究』の一応の完成をみたA.J.トインビーが日本を訪れたのは、1956(昭和31)年のことでした。  一度目の来日は、国際問題の第一人者として1929年にひらかれた「太平洋問題調査会」に出席するためでしたが、今度は文明を大きく論じる歴史家としての来日です。  滞在中には各所で日本の知識人と交流したり、一般向けに講演したりする機会がもたれました。訪日が知識人に与えた影響は、翌年発刊された『トインビー・人と史観』からうかがい知ること