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ゼロからはじめる世界史のまとめ⑥前800年~前600年の世界

生活環境の違いを越えた協力と対立③
(詳細は⇒ウェブサイト「世界史のまとめ」へ)

―さて、ユーラシア大陸では引き続き、遊牧民と定住民の関係を軸に様子をみていこう。

遊牧民の活動が、歴史を動かす原動力になっているみたいですね。
―そうだね。この時代になると、武器を持って馬に乗った兵隊をたくさん集め、広い範囲の草原を支配するリーダーが現れるよ。
 定住民の中には、遊牧民の良いところを取り入れながら、より広い国を支配しようとするグループも現れる。

 ユーラシア大陸に比べると、アメリカ大陸には武器を持った遊牧民がいないから、その分ゆっくりとすすんでいるようにみえるね。まぁ別に競争しているわけじゃないんだけど。

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◆前800年~前600年のアメリカ

この巨大アタマの像は何ですか?
―インパクトのある像だよね。
 大西洋に面する現在のメキシコの人たちが、なんらかの目的でつくった像だよ(注:オルメカ文明というよ)。

 この影響を受け、少し東でもピラミッドのような神殿が建てられ始めている。おそらく、巨大な建物によって「すごさ」を見せつけ、食べ物や珍しいモノをコントロールしようとした支配者が現れていたのだろう。

トウモロコシを育てているんですよね。
―そうだよ。
 現在のメキシコでは、しだいに農業を取り入れて大きくなる町も増えているよ。
 南アメリカのアンデス山脈でも、トウモロコシやジャガイモの農業が盛んだ(注:チャビン文化というよ)。

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◆前800年~前600年のオセアニア

―今から4000年前、今の中国の南にある台湾のあたりの人々の大移動が始まっていたね。彼らは島伝いに海に繰り出し、島の環境に合わせたライフスタイルを生み出していった。
 彼らはオーストラリアの北東(北を上にして右上)のサモアあたりにまで活動範囲を広げるけど、いったん拡大はストップするよ。


どうしてストップしてしまったんですか?
―それ以降は島と島との距離が遠くなり、まばらになってしまう。
 高い船乗り技術が必要になるからだ。


オーストラリアはどうですか?
―オーストラリアの人たちは周りとの交流があまりなく、狩りや採集による生活を続けているよ。

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◆前800年~前600年の中央ユーラシア

―ユーラシア大陸の草原地帯では、遊牧民が武器をもって馬にまたがり、広い範囲を支配する国をつくりはじめている。
 もっとも強かったのは、ヨーロッパや西アジアのお隣さんに位置するスキタイという人たちの集まりだ。
 ヨーロッパの歴史書には、「馬とともに生活している とんでもなく強いやつらがいる。彼らは農業をしない」という記録がのこっているよ。


強さの秘密は何ですか?

「すぐに動ける」ことだね。戦っていて不利になったら、別の場所に逃げればいい。土地にこだわらないので、ピンチになれば別のグループと「くっついたり、離れたりする」ことも簡単だ。
 「土地との結びつき」よりも、「人との結びつき」が大切なんだね。だってひんぱんに「住所が変わる」からね。
 「どこどこに住んでいる誰々」、というよりは、「あの有名なご先祖の子孫の誰々」というように個人を特定し、集団としてまとまることが多いんだ(注:共通のご先祖さまを中心にまとまるグループのことを、氏族とか、部族といったりする)。

 ユーラシア大陸は広いよね。
 各地の草原には、こういうグループがいくつもできて、言葉や文化の違いも生まれていく。でも遊牧というライフスタイルだけは、共通しているんだ。

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◆前800年~前600年のアジア

◇日本
 朝鮮半島を通して日本に稲作が伝わったのはこの頃のことだ。当時の日本最先端の地は九州北部。新しい技術を受け入れ、強力なリーダーも現れるようになるよ。
 有力なリーダーの中には、九州と朝鮮をまたにかける者もいた。

◇中国
 中国では黄河を中心に周という王国が広い範囲を支配していた。

「ありがたみ」による支配でしたよね。
 そうそう。封建制(ほうけんせい)ともいうね。
 中国の南のほうは、長江文明という別のルーツを持つ人々が国をつくっていたんだけど、この頃になると周の支配を受けるようになっているよ。

 でも王様の位をめぐって仲間割れが起きたり、西の方からは遊牧民の攻撃も受けている。
 王様は西に王宮を移すことになったけど、この頃から王様の権威は落ちていく。
 家来たちは国王をみんなでお守するふりをして、実際には家来の中で一番上の位につこうとして争うようになっていくよ。特に長江流域の楚(そ)という国は、自分がトップになろうとして何度も他の家来の国と戦争を起こすようになる。
 周の王様は、しだいに「有って無いようなもの」になっていくんだ。

◇朝鮮 
―朝鮮半島で稲作が始まったのはこの頃だ。
 村によって貧富の差が生まれ、巨石をつかったお墓も生まれるよ。


◇前800年~前600年の東南アジア

―東南アジアはモンスーン(季節風)のおかげでたくさん雨が降る。稲作によって大きな町も生まれ、支配者は青銅器製のドラムを儀式に使って、「すごさ」をアピールしていたようだ。ドラムは南のほうの島からも見つかっているよ。

◇前800年~前600年の南アジア

―この時代の南アジアには鉄器が伝わる。

…ということは、争いが増えますね?
―武器として使えばそういうことになるね。
 でも農具として使えば、土を深く耕すことができるようになる。つまり農業の効率がアップする。ということは余るほど小麦が取れるようになる。


ナンですね?
―ナンは食べられていたのかなあ(笑)ちょっとわからないけど、チャパティのほうが多いんじゃないかな。チャパティは発酵させずに練って焼くだけで作れるから。
 たくさん食べ物がとれるようになると、それを輸出してビジネスでもうける人が現れる。商人の力が強くなるわけだ。

 社会が変化すれば、それに応じて価値観も変わる。
 今までのようにみんなが農業をやっていた社会では、雨の神様にお祈りをすることができる神官が尊敬の的となる。
 でも、ビジネスマンが活躍する時代になると、別に神官のお祈りなんて不要だ。
 それに生まれつき神官に生まれなければ、次の人生(生まれ変わりが信じられていたのだ)でも高い身分に生まれ変わることはできないなんて不公平だ。
 本当に「生まれ変わり」なんてあるのか? あるとしても、神官の言っていることは正しいのか? 
 などなど、今までの伝統を疑う考え方も出てくるようになるよ。


◇前800年~前600年の西アジア

―この時期にはメソポタミア(2本の川の地)の上流でアッシリアという王国が軍事力をパワーアップさせ、なんとエジプトからイランのほうまで広い範囲を支配する。西アジアでは当時史上最大の面積を支配した国ということになる。


でも、いろんな民族を支配するのは大変ですよね。
―言葉も考え方も違うからね。
 首都はメソポタミアの歴史ある大都市バビロンに置いた。こおに「空中庭園」といわれる植物園テラス付き高層宮殿を建設し、「すごさ」をアピールしたんだ。
 それに反抗する民族は「ふるさと」から別の場所に強制的に移住させたのだという。現在のユダヤ人のご先祖も、このときに故郷エルサレムからバビロンに連行されたらしい。
 でも厳しい支配に対して各地で反乱が起き、アッシリアは崩壊。

 エジプト、メソポタミア、イラン、それに小アジア(シリアからヨーロッパに突き出た半島のこと)にそれぞれ王国が立ち並ぶ4つの王国の時代になるよ。

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◆前800年~前600年のアフリカ

アフリカでは「民族大移動」が起きているんでしたね。
―そうそう。バンツー系の言葉を話している人たちが牛の飼育やヤムイモの栽培をしながら活動範囲を広げているよ。

 彼らがもともと暮らしていたサハラ砂漠よりも南の地域は、ジャングルが生(お)い茂り一年中高温多湿の気候や、1年の間に厳しい乾季があるサバンナの気候が中心で、少なくともわれわれ日本人にとっては住むのが大変な気候だ。
 さらに刺されたら死に至る「眠り病」という病気を持つツェツェバエのように、熱帯特有の病気にかかりやすい地域もある。
 彼らはより良い環境を求めて移住を始めたんだ。


ナイル川のあたりはどうなっていますか?
―エジプトはアッシリアという国の支配を受けるなど、かつての勢いを失ってしまった。

 それに代わって、ナイル川上流にはメロエという強国がにぎわいをみせている。ここでは鉄の工場も作られていたことがわかっていて、一時期下流のエジプトも支配しているよ。

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◆前800年~前600年のヨーロッパ

―ヨーロッパでは鉄を手にした「ケルト人」という民族が、広い範囲で活動している。
 地中海の周りでは「ギリシア人」や、あとあとにローマ帝国という巨大な国をつくる人々が国をつくっているよ。

ローマ人はこの頃から強かったんですか?
―ううん、はじめは別の民族の支配を受けていたんだ。
 でも、その後に独立して、ローマの街を中心に国を建てた。
 神様や歴史などをみると、ギリシア人からの影響を受けているよ。

 彼らは別の民族の支配を受けた苦い経験から、王のいない国づくりをすすめた。でも、政治に関わることができたのは、広い土地と多くの奴隷を動かすことのできた「セレブ」(貴族)だ。
 貴族は「手下」を従えて重要な職を独占する一方、「一般ピープル」の平民のできることは限られていた。
 例えば、トップの役職は貴族が独り占めしていたし、貴族オンリーの国会(注:元老院)は、コンスルのOB(経験者)が独占する状態だった。


王様の出現を防止するための仕組みだったんですね。
―そうだね。トップの役職も定員が2人だったからね。
 だけど、戦争といったやむをえない緊急事態のときには、トップを1人にして独裁をしてもらう場合もあるよ


同じころギリシアはどんな感じですか?
―いま見たローマにとってギリシアは「先輩」といった感じだね。
 ギリシアの中でも土地が狭く、農産物を自分でまかなうことができないところでは、海に乗り出して広い範囲でビジネスをする国(街のようなサイズの国)も現れる。
 例えばアテネだ。
 こういうところでは、経済的に余裕のある人が増えていっているよ。

 一方、土地が広くて自分で農産物をまかなえたところでは、戦争に負けた国の人たちを奴隷にして、厳しい支配をするよ。
 例えばスパルタだ。


スパルタって、「スパルタ教育」のスパルタですか?
―そうだよ。ギリシアの歴史書によると、すべての国民は男女問わず軍人として育てられていたようだ。
 奴隷の人口が多いから、反乱を防ぐためだ。
 お金が入ると、お金持ちと貧しい人が生まれて”鉄の結束”が崩れる。だから、ビジネスは禁止されていたんだ。武器や道具は外国人の商人から手に入れていた。

アテネはどんな感じですか?
―土地が狭いから領土を拡大するわけにも行かず、外に出ていってビジネスをする人が多かった。
 新しくつくられた港町の中には、アテネから独立した国のようになるところも現れたよ。
 外に出てみると新しい価値観が生まれ、この世界の謎について考える学問も盛んになるよ。

 モノの取引が活発じゃないときは、モノの値段は高くなりがちだ。商品の数が少なく珍しいからね。
 でも、この時期に商業が盛んになるとモノの値段が安くなり、平民には手のとどかなかった武器がお手頃値段になる。
 アテネでは、自分たちの国を守ることができて、はじめて発言権を手に入れることができたから、ようやく平民も武器を持って国を守ることが可能になったわけだ。
 ただ、平民には馬は飼えないから貴族のようには戦えない。そこで平民たちはヨロイを着てタテを持ち、集団でヤリを持って戦う作戦を考えついた。この戦法は大当たり! 平民たちが時間を稼いでいるスキに、馬に乗った部隊が回りこんで敵の中心に切り込むことができたのだ。


でも、平民たちが活躍すればするほど、ごほうびがもらえないと不満もたまりますよね。
―そのとおり。平民のほしかったごほうびは、参政権だ。自分たちの声を政治に届けることだ。
 当時は貴族が国のルールを独占し、平民は借金で苦しんでいた。借金を返すことができない平民の中には奴隷になってつぐなおうという人も現れる始末だ。
 政治家の中には、こうした奴隷を禁止したり、平民でもお金を持っていれば政治に参加できるようにしたりした人もいたよ。
 それでも、政治的な平等はなかなか実現されず、やがて貴族との対立が深まっていくことになるんだ。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊