ゼロからはじめる世界史のまとめ⑫ 400年~600年の世界

巨大化した国が分裂する時代②

ユーラシア大陸はどんな状態になっていますか?
―前の時代まで栄えていた巨大な国は、大規模な土地で水を引っ張って農業をやって、それで多くの定住する人たちを養っていたタイプの国だったよね。

 それに対して遊牧民は、単独ではどうしても「食べ物をそろえる力」「物をつくる力」は定住型の巨大な国にはかなわないわけだ。環境も過酷だから。
 

でも彼らには機動性の高い、軍事力という強みもありますよね。
―そうだよね。
 この時代には遊牧民が定住民の世界に入っていって、互いのの文化をミックスしていく。リミックスの結果、新しい支配のしくみや協力関係も生まれていくことになるんだ。

 ただし、それはユーラシア大陸だけに限った話で、武装した遊牧民のいなかったアメリカ大陸では、ユーラシア大陸のような広くて巨大な国はなかなか現れない。

 それではエリア別に順番にみていくことにしよう。

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◆400年~600年のアメリカ

◇400年~600年のアメリカ  北アメリカ
―北アメリカの北極に近いところでは、トナカイ、アザラシ、セイウチを捕まえて、犬にソリを引かせて移動する人たちが現れるよ。

一面氷の世界ですよね。一体どんなところに住んでいるんですか?
―家は氷や雪でつくるんだ。「イグルー」というよ。
 見た目は日本人とよく似ている
 約1万年前にユーラシア大陸とアメリカ大陸がつながっていたときに、陸路で移動した人たちだからだよ。

 今のアメリカ合衆国があるところでは、北の方では森で暮らす人たちの集まりが、北アメリカ最大の川(ミシシッピー川)では巨大なお墓をつくる小さな国ができています。
 また、南西(北を上にして左下)の乾燥地帯ではトウモロコシづくりを基盤に、小さな国が発展している。

 中央アメリカではテオティワカンやマヤの都市が栄えているけど、ユーラシア大陸のように広範囲の統一にはいたらなかった
 熱帯の気候がジャマをしてしまうことや、大きな家畜や鉄がないのでユーラシア大陸のような武装した遊牧民の軍事力がなかったことが大きな原因だろう。

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◆400年~600年のオセアニア

―オセアニアの南のほうではポリネシア人が、かなり東のほうまで移動していて、さらなる移動をすすめようとしているよ。

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◆400年~600年の中央ユーラシア

草原地帯では遊牧民が活発に動いていますね。
―そうだね。
 この時代のモンゴルでは、遊牧民の王様「かがん」という称号を名乗っている。のちの「ハーン」という称号につながるもので、広範囲にわたってパワーを持っていたようだ。

 その後「トルコ系の言葉」を話す遊牧民がモンゴルの草原の天下をとり、ユーラシア大陸をまたにかける商売民族(ソグド人)と業務提携することで栄えているよ。すなわち、SP(エスピー)としてソグド人のラクダの一行をお守りし、貿易ルートの治安を守ったわけだ。

西の方ではフン人がヨーロッパに侵入していますね。
―そうだね。ローマ帝国に大きな影響を与えているね。

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◆400年~600年のアジア

◇400年~600年のアジア  東アジア

中国では北から遊牧民が移住して、大混乱となっていましたね。
―そうだね。この時期に漢人は南中国に移動し、混乱の中で大勢の人が命を落としている。
 北では鮮卑人という遊牧民が中国風の国を建てていたけど、軍人の力が強まり分裂している
 南に逃れた漢人は独自の王国を建てて対抗するけど、こちらも軍人の力が強く不安定だ。

北と南に皇帝が複数いたってことですか?
―そうだよ。
 これをおさめたのは北の中国の皇帝だ。
 隋(ずい)という国を建てるよ。

 まず取り掛かったのは南中国の皇帝を倒すこと。
 物資や人を運ぶために人口の水路をつくった。
 馬による西との貿易が盛んな北に対し、質量ともに南の方が船を利用した経済が発展していたから、これによって南の富を北に「吸い上げる」作戦だ。


◇400年~600年の東南アジア


南の方の中国が盛んだったのは、“お隣”の東南アジアから高い値打ちの商品が入ってきたからですよね。
―その通り。
 東南アジアでは、航海のテクニックが高まって、従来のようにマレー半島を陸で横断するルートに代わり、マラッカ海峡(地図)を通るルートが盛んとなっています。東南アジアを制する者は、今後もマラッカ海峡を必ずおさえることがわかると思うよ。

 すると、いままでは“田舎”に過ぎなかったスマトラ島(地図)・ジャワ島(地図)やマレー半島(地図)の南に貿易で栄えた港町を束ねる国も生まれるようになる。

◇400年~600年のアジア  南アジア
―南アジアにも草原の遊牧民による影響が出ている。
 エフタルという遊牧民が北インドにまで進出して、ガンジス川(地図)沿いに都を置いた統一王国が崩壊。

 一方、イラン高原の王国モンゴル高原の遊牧民と協力し「挟み撃ち」に成功している。

◇400年~600年のアジア  西アジア
西アジアは相変わらず栄えていますね。
―そうだね。
 特に豊かな場所である「2つの川の流れる地域」や港町をめぐっては、西からは東ローマ帝国、東からはイランの王国が「取り合い」になっているよ。

 そこで商人たちはトラブルを避けて、アラビア半島の南側を船で回るルートを取り始めた。
 そうすると、ここにイランの王国や東ローマ帝国も進出しようとしてくるし、アフリカのエチオピアの王国も利益を求めてアラビア半島にやってくるようになった。

 そうなると、アラビア半島の遊牧民であるアラブ人の中からは、平和な取引ができるように、仲違いをやめてみんなでまとまろうという動きも現れてくるよ。

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◆400年~600年のアフリカ

―アフリカでも遊牧民の活動は盛んだ。
 サハラ砂漠を超えるラクダの貿易が活発になっているからだ。

砂漠の向こうに何があるっていうんですか?
―地中海のほうから砂漠を南に進むと、金のとれる産地があるんだ。
 それを砂漠でとれる岩状の岩と交換する取引がさかんになったんだ。いわゆる岩塩だ
 すると取引所は水のあるところにできるから、サハラ砂漠を流れ沿いに町ができて、やがて支配者も現れるようになったんだ。
 なお、西アフリカではバントゥー系の民族も移動を始めていて、狩りや採集をおこなっていた狩猟採集民は住みかを移動させる場合もあった。

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◆400年~600年のヨーロッパ

―ヨーロッパは遊牧民の侵入をもろに受けている。

ローマ帝国はどうなっちゃったんですか?
―すでにローマ帝国は東西に分かれて、それぞれの管轄に皇帝が立っていた。
 遊牧民たち(ゲルマン人)を押し止めることはもはや不可能になって、ローマ帝国の領土内に国を建てるのを認めていた。
 で、もっとも手強いフン人という遊牧民を彼らに倒してもらったんだ。

敵に敵を倒してもらったわけですね。
―そういうことだ。”夷(い)を以(もっ)て夷を制す”。
 でも、西側のローマの皇帝はその後、雇っていた遊牧民(ゲルマン人)の軍人に殺され、滅んでしまうよ。

 ゲルマン人たちはグループごとに国を建てていたけど、そのうちフランスの北に建国したフランク人はローマの文化を積極的に受け入れローマを本部にするキリスト教の考え方を採用したんだ。

遊牧民も、圧倒的多数の低住民を支配するためにある程度「妥協」をしたわけですね。
―代わりに生きながらえるのは遊牧民の被害の少なかった東側のローマだ。
 経済が栄えていたアジアにも近いから、その都には各地からビジネスマンも多く集まり、産業も栄えた

 やがて西側のローマだったところにも進出して、昔のローマ帝国の領土を取り戻そうとしたけれど、結局それはできなかった。
 その代わり、東のローマ帝国は、「かつてのローマ帝国」を受け継ぐ立派な国とされ、ローマの教会とライバル関係にあるキリスト教の教会を守りながら地中海の東半分を支配し続けたんだ。


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