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歴史の扉④ 石けんの世界史

◆少しずつ、新科目「歴史総合」の素材集めをしていこうと思います。 歴史総合歴史の扉 (1)歴史と私たち 諸資料を活用し,課題を追究したり解決したりする活動を通して,次の事項を身に付けることができるよう指導する。 ア 次のような知識を身に付けること。 (ア)私たちの生活や身近な地域などに見られる諸事象を基に,それらが日本や日本周辺の地域及び 世界の歴史とつながっていることを理解すること。 イ 次のような思考力,判断力,表現力等を身に付けること。 (ア)近代化,国際秩序の変化や大衆化,グローバル化などの歴史の変化と関わらせて,アで取り上げる諸事象と日本や日本周辺の地域及び世界の歴史との関連性について考察し,表現すること。


 コロナ禍により、以前にも増して奨励されるようになった手洗い。
 今回は、それに欠かせない「石けん」の世界史をふりかえってみることにしましょう。


石鹸の製法の発展


 石鹸にあたるものは、天然の素材によって、古来世界各地でつくられていました。地中海沿岸では、中世の頃、海藻の灰とオリーブ油を原料とした石鹸が製造されていましたが、17世紀にフランスの科学者ルブランが、化学的に炭酸ソーダ(アルカリ剤)を合成する方法を開発すると、石鹸の大量生産への道が開けます。
 1861年にはベルギー人のソルベーが、アンモニア・ソーダ法を開発し、重炭酸ソーダ(重曹)が大量生産できるようになると、生産量はさらに増加しました。


▲現在では電解ソーダ法が主流となっています(出典:日本ソーダ工業会、https://www.jsia.gr.jp/description/



「清潔」観念と石鹸


 石鹸の需要が、19世紀後半のヨーロッパで高まったのには理由があります。
 都市化とグローバル化の進んだ19世紀のヨーロッパは、幾度にもわたる感染症の大流行を経験したのです。
 その代表が、インド東部を発生源とするコレラでした。

 19世紀前半のヨーロッパは、人口急増に対して、上下水道など都市インフラの整備が追いつかず、コレラは多くの死者を出しました。

 これを受け、19世紀末にかけて公衆衛生学や細菌学が発達すると、人々の間に衛生観念が芽生えるようになります。




清潔=文明、不潔=野蛮


 18世紀以前のヨーロッパ諸国には、アジアやアフリカが「不潔」であるという言説は、特段ありませんでした。
 しかし植民地化が進むにつれて、アジアやアフリカを「不潔」な場所とみなす眼差しが生まれ、それとともに自分たち欧米諸国は「清潔だ」という価値観も強化されていったことが指摘されています。
 
 たとえば1887年にイギリスの雑誌に掲載されたペアーズ社による石鹸の広告を見てみましょう。
 タイトルは「文明の誕生」とされ、「石鹸の消費量は国民の富、文明、健康そして純度のバロメーター」という謳い文句がつけられていることが読み取れます。

 こうした広告を通して、石鹸など使わないアフリカ人に比べ、文明の度合いの高いイギリス人なら、石鹸を使うのは当たり前、というイメージ戦略が図られたわけです。

(出典:Pears' Soap ad in Harper's weekly, February 1886 Pears' Soap ad in Harper's weekly, February 1886)
こんな広告もあります。左側が使用前、右側が使用後です。1884年のペアーズ石鹸の広告(https://esmeesculturalhistory.wordpress.com/2016/11/28/soap-that-cleans-the-skin/




ダイナマイト、クジラ、アブラヤシ


 日本は1854年に日米和親条約を結び、1858年には安政の五カ国条約を締結し、世界市場と接続されました。いわゆる「開国」ですね。
 事態が急速に動いた背景には、18世紀後半〜19世紀前半にかけて欧米諸国の船舶が、太平洋で盛んに捕鯨のために操業するようになっていたことがありました。



 クジラの体からとれる鯨油は、燃料として用いられたほか、19世紀末に「硬化油処理法」の発明によって、固形石鹸の原料としても注目されるようになっていました。

 なお、スウェーデンのアルフレッド・ノーベルが開発したダイナマイトの原料はニトログリセリンの原料となるグリセリンは、実は固形石鹸の製造過程で生じる副産物でした。


 20世紀後半に国際的な捕鯨の規制が始まると、油脂の原料は、熱帯地域のプランテーションで栽培されるアブラヤシに移っていきました。
 クジラを保護しようと思ったら、今度はアブラヤシ園の拡大へと矛先が変わっていったのです。

 単純に捕鯨を規制したとしても、油脂を確保する場はアブラヤシ園の造林に向かい、それがオランウータンの生息域の減少を招く結果を生み出してしまう。人類学者の赤嶺淳氏は、こうした構図を明らかにし、そのうえで次のように述べています。

「わたしたちがなすべきことは、問題のつながりを知ったうえで、そのつながりを断ち切るべく、できることから行動していくことだけである。」

(出典:BLOGOS、 赤嶺淳「食足りて、○○を知る?――鯨油とパーム油の見えざる関係」、2016年8月25日、https://blogos.com/article/188157/?p=3



 近代的な公衆衛生学・細菌学の発展とともに展開した「清潔」のグローバル化は、20世紀を通して、世界各地の人々の寿命を延ばすことに貢献しました。

 その一方で、身近な品物である石鹸が、どのような役割を果たしてきたのか。これを多面的に見ることは、世界史の展開を考える上でも大いに役立ちそうです。


参考
・スティーヴン・トピック、ケネス・ポメランツ(福田邦夫、吉田淳・訳)『グローバル経済の誕生ー貿易が作り変えたこの世界』筑摩書房、2013年、316-319頁
・赤嶺敦『鯨を生きる: 鯨人の個人史・鯨食の同時代史』吉川弘文館、2017年

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊