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世界史のまとめ × SDGs 第21回 暴力の連鎖と平和構築の失敗(1870年~1920年)

 SDGs(エスディージーズ)とは「世界のあらゆる人々のかかえる問題を解するために、国連で採択された目標」のことです。
 言い換えれば「2018年になっても、人類が解決することができていない問題」を、2030年までにどの程度まで解決するべきか定めた目標です。
 17の目標の詳細はこちら。
 SDGsの前身であるMDGs(ミレニアム開発目標)が、「発展途上国」の課題解決に重点を置いていたのに対し、SDGsでは「先進国を含めた世界中の国々」をターゲットに据えています。
 一見「発展途上国」の問題にみえても、世界のあらゆる問題は複雑に絡み合っているからです。
 しかも、「経済」の発展ばかりを重視しても、「環境」や「社会」にとって良い結果をもたらすとはいえません。
 「世界史のまとめ×SDGs」では、われわれ人間がこれまでにこの課題にどう直面し、どのように対処してきたのか、SDGsの目標と関連づけながら振り返っていこうと思います。

目次

【1】平和をなぜヨーロッパ諸国は破局的な戦争に突き進んでしまったのだろうか?
【2】この時代の人類は、どのような「暴力」を経験したのだろうか?
【3】この時代の人類は、自然にどのような影響を与えたのだろうか?

【1】なぜヨーロッパ諸国は破局的な戦争に突き進んでしまったのだろうか?

目標16.1 あらゆる場所において、全ての形態の暴力及び暴力に関連する死亡率を大幅に減少させる。

ヨーロッパ諸国やアメリカが本格的に植民地を拡大していく時代

―この時代は「帝国主義」の時代と呼ばれる。

ていこくしゅぎ? 「帝国」って昔からありましたよね。広い国、たくさんの民族を支配している大きな国ってことで。

 たしかにそういう国は昔からあったんだけど、この時代の「帝国」の中身はそれとは違う。

まず、本拠地となる国がかなりガッチリと統一されているんだ。
 たとえばイギリスだったら、「イギリスの国民」としての意識がかなり強い。
 フランスでは、労働者の待遇や教会の社会的なランク、国のあり方をめぐってまとまらない部分もあるけど、対立を経験しながら「フランスの国民」としてのまとまりを強めつつある

どうしてまとまることができたんですか?

―国の「内側」と「外側」をはっきりと分け、「内側」の「正規メンバー」と認められた人に対しては、国が年金や保険などの保障を手厚くほどこすようになったんだ。
 こういう動きに反対する人たちによって「社会帝国主義」(注:「社会のために」って言っておきながら、実は国や、経済界のエリートのことしか考えない政策のこと)と呼ばれることになる。

 さらに、そういった国では機械を使った「ものづくり」が発展し、その原材料と売り場が、国内だけでは足りない状態になっている。

機械の動力は、石炭を燃やして蒸気を発生させることで生み出すんでしたっけ。

―そうそう。
 でも、この時代にはさらなる発明が進む。
 石油を頑丈な筒のなかで燃やすことで動力を生み出す技術が発明されたんだ。

 さらに電気を動力に変える仕組みも発明され、遠い地点をむすぶ通信テクノロジーも発達。電波を利用して、「銅線」がなくても通信ができる機器(注:テスラの世界システム、マルコーニの無線通信)も発明された。

 科学の発達が、「便利な世の中」のためにすぐさま応用されていく時代になっているわけだ。

ついに石油と電気の時代がやって来たんですね。でも、石油を掘るのも、電気をつくるのも、施設をつくるのには莫大なお金がかかりそうですよね。

―そうだね。
 1億円投資して失敗でもしたら、それこそシャレにならない。
 つまり、「普通の個人」がビジネスできる規模を、はるかに超えてしまっている。
 でも、成功すれば莫大な富を築くことができる。
 そんなビジネスに手を出せるのは、お金が余って余って仕方がないくらいの大金持ちくらいだよね。

そんな人っているんですか?

―たとえば、余ったお金を貸して「利子」をとることで「もうけ」を出している銀行の経営者たちだ。
 「もうかりそうだけど、お金がものすごくかかる」ビジネスに投資をしていったわけだ。

 そのためには資源も必要だし、つくったものを売る場所も必要だから、出資した人たちは政治家たちにお願いをする。

 「自由に資源を取ったり、物を売ったりできる場所が国外にあったらうれしいんだけれど…

 政治家も票がほしいわけだし、「もうけ」が出たときの「お礼」も期待して彼らの協力をしていくことになるよ。


うわ…これって国がビジネスするために戦争することになりませんか?

―その通り。
 これをいろんな国が同時にやるんだ。
 みんな自分の国のことを一番に考えているから「衝突」も起きる。
 当時のルールは基本的に「早いもの勝ち」。
 弱肉強食の世界だ。

どの地域がターゲットになったんですか?

―いちばんの取り合いになったのは、アフリカの熱帯地域だ。
 さらに、アジア。オセアニアの島々もヨーロッパの国々によって分割されていった。
 探検は中央ユーラシア(注:ヘディン(下の動画))や、北極(注:マシュー・ハンソン、ピアリ(動画))、南極(注:アムンセンスコット)にまで及んだ。

 人間の歴史は、人間の「居住空間の拡大の歴史」であるともいえる。
 でもこの時期になると、人間の住める場所(注:エクメーネ)における拡大は限界を迎え、開拓できる場所はほぼ消滅した。


開拓できる場所の「とりあい」が激化しそうですね。

―この「とりあい」がエスカレートしていった結果、2つのチームに分かれた大戦争がはじまる。それが第一次世界大戦だ。

 すぐに勝てると思っていたドイツチームは、フランス・イギリス・ロシア連合の挟み撃ちにあう形になり絶体絶命のピンチに立たされる。

 でも、科学の進歩によって殺傷能力の高い新兵器が続々と開発された結果、人はどんどん死んでいくのに、なかなか決着がつかずに4年の歳月が流れた…。

一体、どのくらいの犠牲者が出たんですか?

― 一説にはなんと、1000万人だ!(諸説あり)

1000万人!?

― 当然、戦争なんて「イヤだ」と言う人も出てくる。

 ロシアではその動きが、「皇帝と経営者を倒そう!」という労働者の革命運動に発展し、皇帝が引きずり降ろされて史上初めて労働者がリーダーの国が生まれた。

 彼らは世界中にこう呼びかけ(注:平和に関する布告)、さらに翌年にはドイツと仲直りする(注:ブレスト・リトフスク条約)。

 「もう「帝国主義」の時代はおしまいだ。これからは、支配を受けていた民族たちが立ち上がる番だ! われわれとともに「お金持ち」とベッタリの政治家を倒し、平等な世界、国のない理想の世界をつくろうじゃないか!」

「すごい!」と共感する人が多そうですね。とくにアジアやアフリカで。

―でしょ。
 それを警戒したのがアメリカ合衆国だ。
 アメリカは長い不況(注:1873~1896年の「大不況」)の間にヨーロッパ(注:新移民)やアジアからの労働者にも助けられ、イギリスを抜いて世界第一位の工業国にのし上がっていた。まさに「経営者の国」だ。
 ロシアのような労働者ランドが世界中に広まってしまっては「商売上がったり」である。

 そこでアメリカの大統領(注:ウィルソン)は決断し、こう宣言した。

 「もう「ヨーロッパ」の時代はおしまいだ。まず戦争を終わらせて、アメリカ主導の新しい世界をつくる番だ! そのために、国を持てないでいる世界中の民族を独立させてあげようじゃないか。 植民地なんて時代おくれなのだ!」

こちらもやっぱり「すごい!」と共感する人が多そうですね(笑)

―アメリカ合衆国 vs 労働者が政権をとったロシア の対決が始まったわけだね。
 ただ、いきなりイギリスの天下が崩れたわけれはない。

 物の流れ、世界標準時、郵便制度、英語。イギリスが生み出した仕組みが、イギリスの軍事力を背景に世界のあらゆる分野を支配し続けているよ。
 アジアの国々では、商人たちがイギリスの張り巡らせた貿易のルールやネットワークを利用して、順調に発展していっている。

 でも、最新の科学技術が生み出した地獄のような戦争を目の当たりにして、世界の人たちの中にはヨーロッパの文明にたいする「疑いの目」も芽生えている。

 アジアやアフリカでは、ヨーロッパの植民地から独立しようとする運動も、次第に盛り上がっていくことになるよ。

* * *

【2】この時代の人類は、どのような「暴力」を経験したのだろうか?


―この時代の終わりの世界大戦までの間、ヨーロッパでは大きな戦争はなかった。

平和だったってことですか?

―たしかにヨーロッパで大きな戦争が起きなかったけど、それ以外の地域での戦争にはすさまじいものがある。

どんなところが狙われたんですか?

―この時代はアジアやアフリカへの進出がすさまじい。これまで熱帯特有の病気やジャングルや砂漠・サバンナが大きな障害だったわけだけど、この時期に特効薬(注:キニーネ)の開発や鉄道の建設がすすんで、一気にアフリカへの進出が加速した。
 「早い者勝ち」の原則が定められたために、短期間で少数のヨーロッパ諸国が、住民の言葉や文化はガン無視で、ほとんどすべてのエリアが植民地化されてしまったんだ。

なんでそんなアフリカが欲しいんですか?

―鉱産資源がたくさんとれるからだよ。
 アフリカ大陸を南北に走る大きな溝(注:大地溝帯)の近くでは「銅の集中するエリア」(注:カッパーベルト。ザンビアやコンゴなど)がある。「電気の時代」になるにつれて、銅線の需要が高まり、各国は銅のとれる山を求めたんだ。

 はじめはイギリスとフランスが中心に植民地の境界線を引っ張っていって、タテに植民地を広げるイギリス(注:縦断政策)と、ヨコに広げようとするフランスとの間に深刻な対立も起きた(注:横断政策)。

タテ(南北)にイギリス、ヨコ(東西方向)にフランスが勢力を伸ばそうとした。そこに「アタックチャンス」を狙うようにあとからクサビを打ち込もうとしているのがドイツ(世界の歴史まっぷより)

 ドイツの皇帝(注:ヴィルヘルム2世)が「先取りはずるい!自分にも植民地よこせ!」と強く主張するようになったんだ。
 そこで、中国(注:義和団事件)、モロッコ(注:モロッコ事件)、現在のナミビアなどにどんどん軍隊を進め、次々に住民を「暴力」の渦に巻き込んでいった。


 それに対してイギリスとフランスは協力してドイツに立ち向かうことに決めた。でも、それだけ大規模に世界規模で戦闘をしていたとなると、それなりにお金もかかりますよね。

―そうだね、税をとるために国内のさまざまな人の協力も必要だ。
 植民地を獲得するにしても、国民たちの納得は不可欠だ。

 たしかに、工業化をすすめて輸出でもうけるには植民地も必要だ。
 とくにイギリスでは「輸出でもうけている」というよりも、世界中の国々がさかんに貿易をすることで、船や保険などのサービスを通した収入でうるおうようなっていたから(注:ジェントルマン資本主義)、世界で戦争が起きるよりも、平和で安定していたほうが得と考えられたわけだ。

 しかし、それだけですべての人を納得させることは難しい。
 厳しい生活を改善するために、国に福祉を充実させてほしいと叫ぶ人たちも大勢いた。

 イギリスやフランスでは、「植民地を獲ること」と「国内の改革をすること」(労働者向けの政策)のどちらを優先させるかをめぐって議論がつづいている。

でも、イギリスやフランスは植民地を増やそうとしていたドイツの皇帝の動きが心配だったわけですよね。

―そう。ドイツの動きも重要だ。

 ドイツの軍備拡張への不安を背景に、国内の問題と国外の問題が複雑に絡み合う中で、イギリス=フランス=ロシアグループと、ドイツ=オーストリア=イタリアグループの対立関係が生み出されていくことになる。

対立はなぜ深まったのだろうか?
 この時期の諸国の指導者は、「平和」な世界をつくろうとする努力をしていたのだろうか?

 ドイツの皇帝(注:ヴィルヘルム2世)は対外進出に非常に乗り気で、海軍大臣が中心になって、幅広い国民を巻き込む宣伝をおこなった(注:ドイツ艦隊協会)。フランスやイギリスにアフリカへの進出をジャマされると(注:第二次モロッコ事件)、国民の間からも「ドイツ人が一丸となってイギリス・フランスなどに対抗しよう」という運動も起きるようになった(注:国防協会)。

 外交で解決しようという動きも、ドイツ、イギリス、フランス、ロシアなどの中にはあったにはあった。
 けど、国内をまとめることを優先し、安定した世界を望み戦争を避けようとするイギリスが、フランスと組んだ取り決め(注:英仏協商)が、結果的にドイツを「敵」とする軍事同盟になってしまい、世界大戦につながってしまったんだ。結局この皇帝は、「ドイツ最後の皇帝」となってしまった。

平和を守ろうとする動きはなかったんですか?

―たしかにどの国にも反戦運動があった。
 特に、「各国の指導者が植民地を取り合うのは、それぞれの国の独占企業とつるみ、世界中にビジネスの範囲をひろげ、お金を稼ごうとしているからだ」と看破(かんぱ)した社会主義者たちが、批判の先頭に立った(注:第2インターナショナル)。

 軍備拡張にお金がかかり、各国のふところ事情を苦しめ始めると、ロシアの皇帝のように「軍備を縮小させよう」「戦争のルールを決めて、被害を最小限にくいとめよう」という話し合いの輪も広がるようになっていた(注:ハーグ国際平和会議)。

 大陸への進出を進めようとしていた日本でも、戦争反対を叫ぶ動きはあった(注:北村透谷)けど、その後、中国に勝利(注:日清戦争)、ロシアにも勝利(注:日露戦争)し、しだいに「ヨーロッパに肩を並べる国」としての自信を深めていくこととなる(⇒"世界史のなかの"日本史のまとめ 1870~1920年を参照)。

* * *

日本がロシアに勝ったってすごいことですよね。

―日本が急速な近代化の成果を出したこともあったけど、ロシアの南下を防ぎたいイギリスやアメリカのバックアップを受けていたことも大きかった。

 ともあれ、日本の勝利は世界を文字通り驚かせた

例えば、どんな人たちが驚いたんですか?

◆日本の勝利に驚いた人たち ①
―たとえば、アメリカ合衆国のアフリカ系の人たちだ。

 この時代の前半、アメリカでは急速な近代化がすすんだ(注:金ピカ時代)。
 伝統的に、新しいことにどんどん挑戦してみようというムード(注:フロンティア・スピリッツ)があったアメリカでは、この時代、大きな会社が巨大な工場をつくってお金儲けするようになるよ。
 なかには大富豪も現れる。
 ロシアでの迫害(注:ポグロム)を逃れたユダヤ人も、アメリカ合衆国に積極的に移住するようになった。先に来ていたドイツ系のユダヤ人に食い込みながら、徐々にアメリカでのビジネスに成功する者も現れるようになる

働き手はどんな人たちだったんですか?

―ヨーロッパやアジアから受け入れた大量の移民たちだ。

移民たちは新しい国でうまくやっていけたんですか?

―出身国別に集まって住む(注:セグリゲーション)ことが多いからね。
 ロサンゼルスやニューヨークにはチャイナタウンが作られているし、ニューヨークにはイタリア人街が今でもあるよね(注:エスニック・タウン)。

 しかし、社会が急速に近代化していくにつれ、「アメリカとしての一体感」をつくっていく必要性も叫ばれるようになっていった。

移民の国なんですから、バラバラなのは当然じゃないですか?


―そうなんだけどね。
 「典型的なアメリカ人」としてイメージされたのは、アンクルサムに代表されるワスプというイギリス系の白人中心のグループ。
 そこから外れた人たちは、「アメリカ人としてふさわしくない」「アメリカ人として認められない」と判断されるようになっていったんだ。

 
 「仲間はずれ」のターゲットにされたのは、まずは南部のアフリカ系の人たち。憲法で一度認められたはずの選挙権を否定されたり、行動範囲を狭められたりした(注:プレッシー対ファーガソン裁判)。

 黒人のポジションを改善しようとする運動も起こったけど、差別はまだまだ続くことになる(注:NAACP)。


 また、移民として到来した中国人移民も差別のターゲットになった。
 さらには東ヨーロッパ・南ヨーロッパの人たちもだ。

 日本がロシアとの戦争に勝つと、日本人の移民に対する差別的な扱いも強まるようになっている。

どうしてですか?

―いままでコキつかっていたアジア人たちが「仕返し」をしてくるんじゃないか?って恐れたんだ(注:森鴎外『黄禍論梗概』)。


◆日本の勝利に驚いた人たち ②

―また、日本と同じころに国を統一したイタリア王国でも、日本の勝利を称えた人たちもいた。
 日本のように勇敢に戦い、イタリアを強くて立派な国にしようと呼びかけたのだ(注:コッラディーニのイタリア・ナショナリスト協会)。

 この時期のイタリアは、豊かな北と貧しい南の格差が大きく、「出稼ぎ」によって本国にお金を送ることでしか経済を成り立たせることができない状況だった。

 たとえば、多くのイタリア人が、有刺鉄線と冷凍船の発明のおかげで、アルゼンチンをはじめとする南アメリカに移民として渡っているよ。

「有刺鉄線」と「冷凍船」とイタリア人って何の関係あるんですか?

―有刺鉄線は牧場の柵(さく)に使う。トゲがあるから、少ない人数でたくさんの牛を管理することが可能になる。

 冷凍船は、そこで育てた牛をお肉にしてヨーロッパに送るのに使われた。
 これによって、新鮮な肉が大量にヨーロッパ人のおなかに届けられることになり、牛肉ブームによる発展で移民を大量に受け入れることとなったんだ。

牛肉ですか。とくにどんなところから運ばれたんですか?

―アルゼンチンだ。広大な草原地帯(注:パンパ)が広がり、牛のエサに適している。
 ヨーロッパって「肉食」ってイメージが強いと思うけど、さかんに食べられるようになったのは18~19世紀のこの時代のことにすぎないんだよ。


日本の勝利に驚いた人たち ③  
―また、ロシアの支配下にあった人たちにも、日本の勝利は価値観の転換をもたらしている。

 支配下に置かれていたフィンランドでは民族運動が盛り上がったし、中央アジアの人々(タタール人)も日本に注目した。

 タタール人のロシアに敵対するイスラーム教の指導者(注:イブラヒム。のちの東京にあるモスクの初代指導者)は、日本が勝利したあと直接日本に足を運び、日本の要人(注:伊藤博文、大隈重信、犬養毅、頭山満ら)とも接触している。

―日本に負けたロシアは、太平洋方面への進出はあきらめ、地中海方面への進出を進めることに。
 それが第一次世界大戦へと発展することとなったわけだ。


なんだか植民地に対してふるっていた「暴力」が、ヨーロッパ諸国に ”しっぺ返し”として降り掛かっているようにも思えますね。

―そうだね、これまでアジアやアフリカに対して行使されていた暴力(大量に人を殺すテクノロジー)が、まさにそのままヨーロッパに跳ね返っていったともいえる。

 支配を受けていたアジアやアフリカ諸国にとっては、「内輪もめ」である第一次世界大戦は、自分たちが独立できる「チャンス」とも映った。将来の自治や独立を交換条件に、兵を出してヨーロッパ諸国の側に立って戦う人たちも大勢いた(注:なんとインド兵は150万人!)。

要求はかなえられたんですか?

アジアやアフリカの期待は大きかったけど、ヨーロッパの民族をのぞいては戦後になっても独立が認められないエリアがほとんどだったんだ。

 もともとドイツ領だったところは戦勝国によって「代わりに支配するところ」(注:委任統治領)という体(てい)で「分配」される始末。
 戦勝国によって「国際平和」を守る組織(注:国際連盟)がつくられたけど、こちらも「戦争の解決」という点では実効性のない仕組みにとどまった。 

ヨーロッパ諸国による植民地の「取り合い」は、内に外にも大きな爪痕(つめあと)を残したわけですね。

―「軍事技術」のスケールが大きくなりすぎて、もはや自分たちでは「手に負えない」状況になってしまったとも言えるね。
 ヨーロッパ諸国が生み出した「科学」の力が、瓦礫の山と大勢の死者、そして世界中で巻き込まれた人々の悲劇を生み出してしまったのだから。

 それでも、いったん越えてしまったラインの向こう側から、もう戻ることはできない。根本的に人類の戦争が「なんでもあり」の段階に突入してしまったのだから。

 一方、アジアやアフリカの人々がいくら独立を叫んでも、いったん「暴力」によって築かれた支配を崩すのは至難の業だ。
 この時期に起きた「暴力」の影響は、その後や現在にまで影響を残しているものも少なくない(注:アルメニア人虐殺パレスチナ問題バスマチ蜂起イースター蜂起)。
 

* * *

【3】この時代の人類は、自然にどのような影響を与えたのだろうか?

目標14.4 水産資源を、実現可能な最短期間で少なくとも各資源の生物学的特性によって定められる最大持続生産量のレベルまで回復させるため、2020年までに、漁獲を効果的に規制し、過剰漁業や違法・無報告・無規制(IUU)漁業及び破壊的な漁業慣行を終了し、科学的な管理計画を実施する。
目標15.2 2020年までに、あらゆる種類の森林の持続可能な経営の実施を促進し、森林減少を阻止し、劣化した森林を回復し、世界全体で新規植林及び再植林を大幅に増加させる。
目標15.5 自然生息地の劣化を抑制し、生物多様性の損失を阻止し、2020年までに絶滅危惧種を保護し、また絶滅防止するための緊急かつ意味のある対策を講じる。
目標15.7 保護の対象となっている動植物種の密猟及び違法取引を撲滅するための緊急対策を講じるとともに、違法な野生生物製品の需要と供給の両面に対処する。

―現在でも違法伐採が深刻なシベリア。

 この時期にはアムール川沿いの森林の開発が進み、切られた木材は川で運ばれ、港から中国、オーストラリア、日本へと輸出されていった。この時代の後半(19世紀初め)には総量で少なくとも年間10,000トン以上が輸出されていたとみられる(下掲書、p.188)。

この地域って、今まではそんなに開発が進んでいた地域ではないですよね?

―「沿海州(えんかいしゅう)」と呼ばれるこの地域に世界規模のビジネスチャンスを見いだし、さまざまな地域から人がやって来るようになるのはこの時期のことだ。

 日本人は肥料になるニシンのカスとか食用のサケ・マスの塩漬けをつくるため、中国人はオホーツク海一帯で中華食材のコンブ生産にいそしんだ(こちらも最大10,000トン、上掲書、p.188による)。


 漁業が「ビジネス」化し、テクノロジーの発展が重なると、水産資源の「とりすぎ」問題も発生する。
 長い目でみてちょっとずつ獲(と)っていこう(注:持続可能な漁業)ということにはなりにくいわけだ。

 こうしてそれまで持続可能な漁業をおこなっていた先住のアイヌやニヴフといった人々が追いやられ、内陸の遊牧民たちも世界的なビジネスの一部に巻き込まれていくことになった。

太平洋でも「鳥の糞」ビジネスが盛り上がっていましたよね。

―そうそう。

 肥料や火薬の材料になるから、人口急増と富国強兵の両方に対応するためにニーズが高まっていったんだよね。

 日本もオセアニア方面への関心を強めていて、小笠原諸島のあたりのアホウドリの乱獲が始まっている。
 羽毛も高く取引されたんだ。

人間の活動によって動物たちの世界も影響を受け始めているんですね。


* * *

―さて、この通りこの時期は、科学文明によってうみだされた「暴力」が世界中にひろがる時代だったといえる。

でも、どうしてこんなひどいことをおこなえたんでしょうか。考えられません。

―当時の人の持っていたアジアやアフリカへの見方も、少なからず影響しているだろうね。

 「科学的な説明」ということで、「人類の中には、高いレベルの人種と低いレベルの人種があって、アジアやアフリカの人たちは低レベルの人種だ」という説が、まことしやかに出回っていたんだ(注:科学的人種主義)。

でも日本はアジアですけど。

―そもそも、人種は経済発展や国力とは関係ないから、こだわらないほうがいい。
 どの地域や国が工業化し、どの国の工業化が進まないかということは、単に経済的な問題だけで決まるのではない。
 しばしば、その時代に政治や軍事的なパワーを持っている国の方針に左右されるんだ。

 例えば、この時期の世界の「貿易のルール」は、政治・軍事面で圧倒的パワーを持ち、世界中に自国に都合のいい仕組みやインフラを張り巡らせていたイギリスがにぎっていた。
 そんな中、日本の工業が発展できた背景としては、イギリスが戦略的に日本と仲良くする政策をとってくれたことや、イギリスの植民地や勢力圏が広がるインド洋の海域で安定した貿易ができたおかげでインドやシンガポール、中国などが日本の「競争相手」かつ「お得意様」として機能したことが挙げられる(注:アジア間交易)。

 それに比べて、例えばアイルランドはイギリスのすぐ隣にあって、工業化を進めることができなかった(注:東海散士の『佳人之奇遇』)し、メキシコもアメリカ合衆国の隣にあって干渉を受け続けた
 また、インドはインド洋支配にとっては欠かせないポイントにあるし、エジプトやアラビア半島も、地中海とインド洋を結ぶ海運を重視したイギリスにとって手放せないエリアだったんだ。

「工業化した国」にとっては、ある意味「工業化していない国」が必要ってことですかね。

―それは一理ある。
 「工業化していないまま」のほうが都合が良いってわけで、まさしく「」「」の関係があるともいえそうだ。

 「工業化していない国」が「工業化」するには、莫大な資金を投じる必要がある。ふつうは手持ちがないから、「工業化した国」のお金持ちが甘い言葉で誘うわけだ。

 うっかり借りてしまうと、利子付きで何年も返済する必要に迫られ、借金漬けになることは必至だ。
 そうなると、借りた国は「貸した国」に頭が上がらなくなってしまう。

)アメリカ合衆国の「金貸し」(注:クーン・ローブ)はこの時代の初め以来、隣国メキシコのインフラや鉄道・鉱山に投資をすすめ、さらに世界大戦中にはヨーロッパ諸国に代わって中国でのインフラや鉄道・鉱山への投資をすすめようとしていた(ケネス・ポメランツ他『グローバル経済の誕生』筑摩書房、2013年、pp.300-305)。

自力で「工業化」はできないものなんですか?

―自力で工業化しようにも、そもそも国内の市場が不統一で、関税を設定して国内の産業を守ることができず、安定した資金を供給するための銀行をつくれず、はたらく人の質を統一した教育によって高めることができなければ、なかなか難しかったんだ。

 難しい要因は地域によっても違うし、さまざまな要素が複合しているけど、さっき言ったように「暴力」では勝てないヨーロッパ諸国との力関係や方針も影響するし、アフリカの場合には、長らく続いたヨーロッパ諸国による奴隷貿易のような歴史的な事情も痛手となったはずだ。

出だし」の差によって、大きな差が生まれてしまったんですね。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊