南関東の石造物①:聖天院層塔(伝・高麗王若光の墓)

名称:聖天院層塔

伝承など:高麗王若光の墓

所在地:埼玉県日高市 聖天院


東京都北西部から埼玉県西部にかけての所謂「武蔵野」と呼ばれる地域には、古代の帰化人・渡来人の伝承にちなむ地名や史跡が多いが、埼玉県日高市にある聖天院と、それに隣接する高麗神社もそうした古代の渡来人ゆかりの寺社である。

聖天院はJR八高線の高麗川駅より徒歩二十分ほどの場所にある。

伝承によれば、高句麗より日本の亡命した王族である高麗若光が王(こにしき)の姓を朝廷から賜って移り住んだ場所がこの聖天院周辺であったとされ、高麗神社は高麗王若光を祀り、聖天院は高麗王若光の菩提寺として創建されたものと言う。

『日本書紀』には天智天皇の時代に高句麗から来た使者「玄武若光」なる人物の記述があり、『続日本紀』には、先述のように「高麗若光」が文武天皇の時代に王の姓を賜ったと言う記述がある。

この二人の「若光」が同一人物かどうかは不明であるが、史実的な真偽はともかく、この地には渡来人系の氏族が後世まで居住し、高麗王若光の子孫を称する高麗氏が代々高麗神社の神職を務めていた。

今回取り上げた層塔のある聖天院は、文字通り聖天を祀る寺院で、本尊の聖天は高麗王若光が高句麗から持参した仏像であると言う。

層塔は山門横の覆屋の中にあり、「高麗王廟」の扁額が掲げられているように高麗王若光の墓とされる。

欠損が激しいが鎌倉時代中期から後期と推定される砂岩製の層塔で、関東地方では最初期の層塔の作例である。

一度倒壊したものを積み直したものと見られ、当初の形状のままではないが、現存するパーツの数からするにおそらく造立当初は四層、ないし五層であったのではないだろうか。

銘文がないため、実際に高麗王若光とどのような関係がある層塔かわからないが、子孫の高麗氏が造立した供養塔かも知れない。

余談であるが、廟は山門脇にあるため、層塔だけなら無料で拝観出来る(山門より奥の境内は拝観料が必要)。


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